2020年4月 1日 (水)

映画『ジョーカー』が放出する〈暗渠〉

 ホアキン・フェニックスの快演が、〈ジョーカー〉という〝バットマン〟シリーズの悪役を、下層民衆のたぎる力を象徴する存在として屹立させた。そして、監督・脚本のトッド・フィリッピスの多彩な映像力によって深い物語性を湛えた作品が提示されていくといってもいい。病弱な母(実は遺児を養子にした関係)の面倒をみながら、コメディアンを目指す青年アーサー・フレックの苦闘の時間を追っていく物語は、疎外され、最底辺の生活を強いられながらも、やがて憤怒の様を纏っていくことになる。映画『ジョーカー』は、社会を安直に包摂していく国家という〈暗渠〉を、わたしたちに指し示しているといえる。
 ゴッサムシティが、頽廃化していく現況を打破するために市長選挙に立候補するウエイン産業のトップ、トーマス・ウエインは、下層民衆を徹底的に蔑んでいく。アーサーは、地下鉄の車内で女性に理不尽な絡みをする証券マン三人を、仕事仲間に手渡された拳銃で殺す。証券マンはウエイン産業の一員だった。ウエインが犯人をピエロと罵ったことによって、下層民衆はピエロの仮面を被って抗議行動を生起させていく。
 テレビの人気番組「マレー・フランクリン・ショー」に呼ばれたアーサーは、そこでジョーカーと名乗り、証券マンたちの殺人を告白する。
 「僕にはもう失うものはない/傷つける者もいない」「僕の人生はまさに喜劇だ」「自分を偽るのは疲れた/喜劇なんて主観さ」「この社会だってそうだ/善悪を主観で決めてる」「僕が歩道で死んでも踏みつけるだろ/誰も僕に気がつかない/だがあの三人はウエインが悲しんでくれた」「誰も他人のことを気にかけない/こう思うだけさ〝黙っていい子にしてろ〟〝狼にはなれない〟」
 独白しながらマレーを銃で殺す。
 街中でさらに、ピエロの仮面を被った群衆が決起している。ピエロの男にウエイン夫妻が殺される。一人残された少年のブルース・ウエインが、後のバットマンとなるわけだが、この物語との連続性があるわけではない。そこが、この映画を特異にしているところだ。フランクリン殺しで逮捕されたジョーカーを乗せたパトカーが路上を走っていく。そこにトラックが追突する。運転していたのはピエロの仮面を被っていたものたちだ。彼らは、ジョーカーを引きずり出して車の上に横たえる。やがて蜂起した群衆の前で立ち上がりゆっくりと踊り始めるジョーカー。そこで終景かと思ったが、一転、ジョーカーの笑う顔のアップ。カウンセラーと会話するジョーカーの手には手錠。その後、ジョーカーは廊下を真っすぐ、光り輝くような窓の方へ歩いて行く。突き当たりの横の廊下を人が左右に走っていき。物語は閉じていく。
 長い石段を登り降りし、石段の途中で踊ったりするアーサー、街中を懸命に走るが、不思議な可笑し味を漂わせるアーサー。映画『ジョーカー』の救いは、もしかしたらそういうところにあるのかもしれない。

(月刊情報紙「アナキズム」創刊号―20.4.1)

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