2021年10月 1日 (金)

『虚無思想研究』20終刊号の発刊

 『虚無思想研究』は、八一年十二月に創刊。『虚無思想研究』編集委員会の発行で、編集長は大月健。年に一、二冊刊行からやがて間隔を空けての刊行が続き、第十九号が〇五年二月に発行された後、休刊となる。大月健は個人誌『唯一者』を九七年四月に創刊し、第十二号を一二年五月に発行。だが、一四年五月十七日、大月健は逝去。『唯一者』は、一四年十月に刊行された第十三号が終刊号となった。本誌には、『唯一者』総目次が挟み込まれていて、そこにはわたしの二人の友人の名前があった。第二号にちだきよしの名前があり、驚いた。第十二号は、うらたじゅんから送られてきた。二人とは、もう会うことは出来ない。
 本書は、十六年後に終刊号として刊行されたことになる。辻全集未収録作品を再録し、大月が創刊号に発表した「マックス・スティルナーと辻潤」をはじめ、寺島珠雄の「辻まことさんとの断片」など、六編が再録されている。さらに巻末には横組みで大月健「辻まことからみた父親 辻潤」、下平尾直の大月健『イメージとしての唯一者』の書評など他誌紙で発表された論稿を収録している。
 わたしは、幸徳秋水や大杉栄より、辻潤に関心があった。それは、十代後半(時期的には六十年代後半)に、秋山清の『ニヒルとテロル』に接したからだ。
 「巨大な国家権力やそれを支配する組織、これらの、到底及びもつかぬ相手に手袋を投げて、辻は退却したのである。自分の滅亡を覚悟して束の間の惰眠をむさぼることに意義を見いだしたのは、勇ましい改革者たちの夢を軽蔑したのではなく、その最大のものは、自分自身であったであろう。その自覚が辻潤の一切の生き方を支配したと私には見える。」(「ニヒリスト辻潤」)
 辻潤の死は、〝餓死〟である。そのことになにがしかの意味を、わたしは見出したいとは思わない。ただ、辻潤は自分自身を凝視続けていったといいたいだけだ。
大月は、次のように述べていく。
 「(略)「唯一者」が「唯一者」として生きる時、それなりに似た部分が生ずる。「唯一者」は「万物は己にとって無だ」といいきることの出来る者である。国家を否定し、宗教を否定し、そして、社会をも否定する。こういう「唯一者」が現実の世界と関わりをもつ時、それは悲惨な生涯を送るしかない。しかし、「唯一者」自身にとって、それが悲惨と意識されているかどうか判らない。自分自身を生きる、それがどのように過酷であろうとも後悔することはない。」(「マックス・スティルナーと辻潤」)
 確かに、「後悔する」ことこそが悲惨なのだ。だから例え重苦しい様態であったとしても、あるいは小さな通路かもしれないが、そこから明るい兆しが見えるときがある。いやあるはずだとわたしなら思い続けたい。

※発行・浮游社[〒八一四-〇〇二三福岡市早良区原団地十一棟一〇一号室(浮游庵)・郵便振替00970-6-47825・定価二〇九〇円(税込)]

―――月刊情報紙『アナキズム』第十九号・21.10.1

 

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2021年8月 1日 (日)

平手友梨奈試論

 平手友梨奈とは誰か。いや、具体性を帯びない言い方をすれば、「何か」と言ったほうがいいかもしれない。「何か」とは、〈有様〉ということを含むとして、まずそのことから、分け入ってみたい。
 平手友梨奈は、一五年、欅坂46の一期生オーディションに乃木坂46のファンであった兄に勧められて応募し、八月、合格。平手は、〇一年六月生まれだから十四歳、中二だった。一期生のなかでは最年少である。その頃の映像を見ると、顔はふっくらとして、よく笑っている。プロデューサーの秋元康はなぜか、最初から平手をセンターに置き、AKBグループや乃木坂とは明快な差異化をし、激しいダンスと意思表示を込めた苛烈な詞を乗せた歌を唄わせていく。安倍晋三に接近し親近なる関係を築いた秋元康とは思えない詞の世界なのだ。
 秋元は、八五年、アイドルグループのおニャン子クラブをプロデュースした。その解散後も、いくつかのグループを作ったが、成功していない。二十年近い年月を経て、〇五年、AKB48を登場させる。わたしは秋元の持っている才能を評価していたから、必然的にAKBに関心を抱くことになる。その後、AKBをいくつかのグループに派生させていきながら、坂道グループを表出。一一年に立ち上がった乃木坂46は白石麻衣(二〇年、乃木坂を離れる)を中心にして、独走していく。AKBグループは乃木坂の後塵を拝するようになる。
乃木坂46以後に位置づけられる欅坂46は、平手の存在、有様を据えて異彩な展開をしていく。
 デビューシングル『サイレントマジョリティー』(一六年四月)は、ややおとなしいが、AKBグループや乃木坂46に比べれば斬新さは感じられた。上半身を動かし、列の真ん中を手前に歩いてくる平手は微かな笑顔を瞬間、垣間見せながらも、動きには乱れがなく、堂々としている。まだ、十五歳になる前だとは、とても思えない。歌詞のもつ世界が、平手の登場によって、いい意味で変容したといえる。それは手の動き、顔の表情、身体から発せられる鮮鋭さによって、秋元の考えを超え、リアルなものとして、表出されている。
 『サイレントマジョリティー』リリースの一年後、『不協和音』(一七年四月)では、さらに苛烈化していく。拳が突き出される。平手の表情が違う。前髪が額を覆うようにしている。視線の鋭利さが違う。拳を突き出したまま立っている平手の所に他のメンバーが駈けてきて集まる。
 「僕はYesと言わない/首を縦に振らない/まわりの誰もが頷いたとしても/僕はYesと言わない/絶対   沈黙しない/最後の最後まで抵抗し続ける//叫びを押し殺す/見えない壁ができてた/ここで同調しなきゃ裏切り者か/仲間からも撃たれると思わなかった/僕は嫌だ」(作詞:秋元康)
 平手だけが突出してダンスの苛烈さが際立っている。そして、「僕は嫌だ」と叫ぶ平手の声が耳から離れない。時空間を一気に飛翔したかのようにわたしには感じられた。香港の活動家・周庭が留置所で何度も『不協和音』を歌い続けたと報じられたのは、昨年の八月のことである。
 後年、欅坂のキャプテン・菅井友香は、次のように語っている。
 「『不協和音』の時、目を合せてくれなかった。」「いままで出会ったことのない天才的な子だから、感情が豊かだから、人の心とか、空気感を敏感に察するのかなと思います。」(『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』)
 菅井友香は、平手より六歳年長だから、平手を冷静に見ていると思うが、平手が抱え込んだものまでを見通すことはできないだろう。『不協和音』の平手のダンス表現は、他のメンバーとは明らかな次元の違いを漂わせている。視線はカメラの方を見ているようで、実はその先を凝視している〈意思〉を感じないわけにはいかない。その先には何があるのか、混沌、混乱、あるいはアナーキーか。平手以外の他のメンバーからは残念ながら、なにかを感じ取ることはできないのだ。
 『不協和音』から一年後、『ガラスを割れ!』(一八年三月)を放たれる。ここまでくれば、平手は行き場がなくなるのではと、わたしなら思わないわけにはいかない。
 「川面に映る自分の姿に/吠えなくなってしまった犬は/餌もらうために尻尾振って/飼い慣らされたんだろう/(略)/今あるしあわせにどうしてしがみつくんだ?/閉じ込められた見えない檻から抜け出せよ//Rock you! /目の前のガラスを割れ!/握りしめた拳で /やりたいこと やってみせろよ/おまえはもっと自由でいい 騒げ!」(作詞:秋元康)
 映像で見る平手を、わたしは〈少年〉のようなイメージで捉えるつもりはない。むしろ、〈性〉を超えた〈有様〉として見做したい。そこではなにが胚胎しているのか。苛烈さを、単に「ラディカル」なこととしてしか受け取れない人たちには見えてこない、この先を見通す確かな潜勢力こそがそこには潜んでいるのだ。
 だから、平手が、今後、わたし(たち)に見せてくれるものは、まったく未知の〈世界〉かもしれない。
 だが次のような応答に接すれば平手の欅坂以後の〈有様〉と〈立ち位置〉のようなものが伝わってくる。
 「自分は何事もそうなんですけど、自分一人で決めることってほとんどなくて、(略)自分の意見は持ちつつ、周りの人の意見を聞いた上で決めることが多いです」「何を伝えたいか、何を届けたいか、というのは毎回考えていますね」「最終的にあるゴールや目的をちゃんと把握してからじゃないと私はやれないです」(『朝日新聞』二一年五月二二日付夕刊)
 二十歳になった平手友梨奈は、間違いなく〈個〉への確信と〈共同性〉への共感力を獲得しつつあるように思われ、関心が尽きることはない。

―――月刊情報紙「アナキズム」第十七号・21.8.1

 

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2021年7月 1日 (木)

『試行』について―――「戦後アナキズム紙片」

 わたしが、アナキズムという考え方に関心を抱いた契機は一人の小説家との出会いだった。高校一年生の後半、高橋和巳の『憂鬱なる党派』に接した。現代小説を読むことはほとんどなかったから、大きな衝撃を受けたことになる。遡って、『悲の器』、『堕落』(「文藝」掲載)、『散華』などを読み、六六年秋、『邪宗門』上下巻を一気に読み通し、混沌とした思想(観念)の領野をめぐっていったことになる。高橋和巳を通して、埴谷雄高を知り、高校の図書館にあった近代生活社版『死霊』を借りて読み、後に、『幻視のなかの政治』へ辿り着き、明確にアナキズムの内奥を見通すことになる。その後、六八年秋に刊行された吉本隆明の『共同幻想論』は、わたし自身が国家や権力の問題を開示していく確定的な論拠となった。この時に至っても、秋山清や内村剛介、大正時代の労働運動社とギロチン社の面々、そしてバクーニンには惹かれたが、それ以外のアナキズム的な思想家、運動家には関心がなかった。
 さて、紙片(紙誌)について述べてみる。十代後半から、欠かさず購読して読んでいたのは、『日本読書新聞』、『映画芸術』、『無名鬼』、『現代の眼』、『ガロ』、そして『試行』だ。『試行』は、六〇年安保闘争の翌年、谷川雁、村上一郎、吉本隆明の三人が創刊同人として発行し、十号で同人制を終え、吉本単独編集の雑誌となる。七四号(九七年一二月)で終刊。
 ひとつの時間を区切って誌面を見てみる。二六号(六八年一二月)から二八号(六九年八月)までの三号には、宍戸恭一「三好十郎」(六回から八回)、内村剛介「コングロメラ・デ・リュス(九)」、吉本隆明「心的現象論」(一二回から一四回)などの連載があり、毎号巻頭に配置されているのが、「〈情況への発言〉」である。内村剛介「呪縛の切断」、内村剛介/吉本隆明「二つの書簡」、吉本隆明「書簡体での感想」。特に「二つの書簡」で展開された吉本の羽仁五郎批判は、十九歳のわたしにとって痛快で刺激に満ちていたことを忘れることができない。
ーーー(月刊情報紙「アナキズム」第十六号ー21.7.1)

 

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2021年6月 1日 (火)

『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』を読む

 九〇年に公開された映画『悲情城市』は、わたしが初めて観た台湾映画だった。冒頭、ヒロヒトの玉音放送が延々と流れるなか、出産間近で苦しむ妊婦の声がかぶってくる。そして、男の子が産まれましたと産婆の声。画面は基隆港が映し出され、S.E.N.S.の鮮烈な音楽が流れる。物語は台湾の、つまり、日本の敗戦後、東アジアの混沌としていく情況を映し出していくことになる。この作品を契機に、わたしは侯孝賢[ホウ・シャオシェン]作品を、それ以前のもの、それ以後のものを観てきたことになる。また、侯孝賢(四七年~)の盟友、エドワード・ヤン(四七~〇七年)の『牯嶺街少年殺人事件』(九二年公開)は、さらなる衝撃を受けた作品だった。台湾ニューシネマとは、この二人の映画監督が切り開いた領野だった。本書の著者、朱天文[チュー・ティエンウェン](五六年~)は作家であり、脚本家として、侯孝賢作品の『風櫃の少年』(八三年)から『黒衣の刺客』 (一五年)までの作品に参加している。
 「まえがき」で、「三十九年前のこと、私は初めて侯孝賢に出会った」と朱は述べている。会った場所は、明星珈琲館の三階であった。表紙に配置された写真は同じ場所での、翌年、『冬冬の夏休み』の脚本をめぐって話しているところだ。撮影者は、エドワード・ヤンだという。
 「もし『風櫃の少年』が雰囲気と趣で、ドラマというより散文的な映画であるなら、『冬冬の夏休み』はひたすら語り続ける小説的な映画だ。『風櫃』のすっきりして味わい深い個人主義的なスタイルから、『冬冬』になると、侯孝賢は意欲的に個人主義を突破し、台湾独特の風土と情感を背景としたスタイルを確立したように見える。(略)侯孝賢が私たちに自信を与えてくれるのは、彼がいつも男らしく明るいからだ。宗教家の悲壮な心情で芸術の殿堂に向かって巡礼するのではなく、また革命家のように孤独で熱狂的に、この二年来の台湾ニューシネマを推し進めることに身を捧げているのでもない。(略)しばしば躓きもするが、彼はすぐに起き上がり、いつもまた嬉しそうに歩き出すのだ。」(「初めての侯孝賢論」)
 作家であることが、視線を揺らぐことなく侯の立ち位置を見通すことができると、わたしなら朱の言葉から素直に受けとめたくなる。
 わたしは、加藤泰にしても鈴木清順にしても、脚本を第一主義的に考えて、映画を撮る映画作家ではないことを知っている。侯もまたそうではあるが、朱たちと議論をしながら作り上げているわけだから、撮影中の停滞はありえない。本書の後段で、〇四年の、映画『珈琲時光』をめぐっての二人の対話を掲載している。そこには、侯が無意識のうちに隘路のような場所で停滞していることを、朱は柔らかく指摘しているが、応答は交差することはない。小津安二郎生誕百年を記念して作られた作品とはいえ、侯孝賢は小津作品に影響を受けて映画の世界に入っていったわけではないし、それほど、小津作品を知っていたわけではないことを本書では触れている。むしろ本書で知ったことだが、侯と朱たちは、小川紳介と通交していたのだ。本書の中で朱は「小川紳介監督とは一度しかお会いしたことのない私、朱天文がペギー・チャオと侯孝賢に代って筆を執り、小川監督とともに夢を追い奮闘してきた友人たちに向けてこの手紙を書いている。映画の世界では、私たちはすでに互いをよく知り、強いきずなで結ばれている。」(「小川紳介監督を悼む」)と述べている。
 『黒衣の刺客』から長い空白期を経て、ようやく次回作『舒蘭河上』が今年の後半にクランクインするようだ。期待したいと思う。

[朱天文著、樋口裕子・小坂史子編訳、竹書房刊]

―――月刊情報紙「アナキズム」第十五号―21.6.1

 

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2021年3月 1日 (月)

「アイヌの手仕事」をめぐって

 わたしは、工芸家・芹沢銈介に長年、関心を抱き続けてきた。芹沢の仕事は、琉球・沖縄からの影響を見て取ることができる。一方、アイヌの仕事にも深い関心を寄せていた。
 「アイヌは古く日本から渡った工芸品を家宝として子孫に伝えてきたが、蒔絵のある漆器類をはじめ太刀、劔など内地では神社にしか見られぬほどの、中には鎌倉期にもさかのぼるものがあった。これらはアイヌの造ったものではないが、一般にアイヌ工芸として扱われてきた。一方その信仰、行事生活に根ざしてつくられた数々の木工品、太刀鞘、マキリ、ヒゲベラ、食器、道具類があり、織物刺繍による衣料のようにどこへ出してもひけをとらぬ真個のアイヌ工芸があった。」(芹沢銈介「北方の着物」、七一年十一月)
コロナ禍のなか昨年、久しぶりに日本民藝館を訪れた。「アイヌの美しき手仕事」展を見に行ったのだ。日本民藝館では四一年に柳宗悦と芹沢が企画して、「美術館で最初のアイヌ工芸展とな」(「手仕事」展チラシ)った「アイヌ工藝文化展」を開いた。今回、その時の展示を一部再現している。
 アイヌの切伏刺繍衣装には、独特の〈美〉がある。その文様が放つものは、「美しいのみならず、立派でさえあり、神秘でさえあり、其の創造の力の容易ならぬものを感じる」(「アイヌへの見方」)と柳が述べているように、ただただ、圧倒されるといっていい。二階奥の大展示室に掛けられた数多くの切伏刺繍衣装は、圧巻だ。柳は、さらにユニークな視線を放っていく。
 「なぜアイヌにあんなにも美しく物を作る力があるのだろうか。今も本能がそこなわれずに、美を作りだす働きがあるのであろうか。なぜ彼らの作るものに誤謬が少ないのであろうか。どうして不誠実なものがないのであろうか。」(柳「同前」)
 わたしは、宗教的なるものを信じたり、何がしか仮託することを一切しないが、宗教やそれらにまつわることを信じる人たちを批判したり否定したりすることはしない。アイヌの人たちのなかに神観念が中心にあるのは周知のことだが、なぜかわたしには、意識的にそのことを考えることなく、受け入れていることに気づいてしまう。まだ、明確な視座を持っているわけではないが、アイヌの共同体のなかに、自然との結びつきのなかから発生する〈カミ〉があるというのが、とりあえず、わたしなりの入り方となる。切伏刺繍衣装の有様は、ひとつの芸術作品のように見ることを可能にしているが、やはり、アイヌの暮らしという共同性が生み出した手仕事の象徴としてあるといいたくなる。そして、刀掛け帯、首飾り、煙草入れ、椀といった手仕事によって生起した生活用品は、見事にひとつの作品としてそこにあったといっていい。「アイヌ婦人は、幼時から針の運びを見習い、野でも浜でもそらんじた模様を砂の上に描いて確かめたり、また葉を編み結び文をくふうしたといわれる」(「同前」) と芹沢は、述べていることに納得する。

(月刊情報紙「アナキズム」第十二号―21.3.1)

 

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2021年1月 1日 (金)

映画『無垢なる証人』が湛える世界

 『殺人の追憶』、『グエルム 漢江の怪物』の監督、ポン・ジュノが、『パラサイト 半地下の家族』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールと、アカデミー賞の作品賞・監督賞・脚本賞を受賞し、世界的に注目されたが、評価が高かった『母なる証明』とともに、わたしはなにも感応しなかった。『殺人の追憶』と『グエムル』の二作品だけでポン・ジュノを評価したい。
 ここ数年、韓国映画はアニメ映画で盛り上がっている日本映画を遥かに凌駕する秀作を量産している今年公開作品で一本だけ挙げてみるならば、わたしは、イ・ハン監督『無垢なる証人』である。主演の弁護士(ヤン・スノ)役のチョン・ウソンと自閉症の少女(ジウ)役のキム・ヒャンギがいい。
 人権派の弁護士だったスノは、四十代半ば、父と二人暮らしだ。父親が多額の借金を抱え、体調も悪い。仕方なく、大手企業を顧客にする弁護士事務所へ入る。最初の仕事が殺人事件の容疑者の国選弁護人として無罪を立証することだった。事件の目撃者で唯一の証人が、自閉症の少女ジウだ。意思疎通をはかろうと、接触を試みるが、うまくいかない。クイズ好きであることを知り、携帯をかけてやり取りが始まる。直ぐに正解を伝えるジウの利発さを理解していくことになる。一審は、ジウが自閉症であることを理由に証人としての正当性が却下されて無罪となる。検察側は上告し、二審の裁判が始まる。スノはジウの証人としての確かさを理解し容疑者側の弁護であるが、証人の正当性を述べていく。
 「聴力が極度に敏感なのは、自閉症の特徴の一つだ」「先天的な気質により、鋭い聴力を持つ」「普通とは違うことが、必ずしも劣るとは限らない」「人はみんな違うのだ」「証人は常に正直だった」「誰よりも立派な証人だった」「ありがとう」
 怒り狂うスノの事務所の所長は退廷。容疑者は被害者の一人息子にいわれて殺したことを自白する。
 ジウの誕生日に弁護士事務所を辞めたスノが呼ばれ、ジウにプレゼントを渡す。夜、部屋で袋からプレゼントを取り出す。青色の小さなガラス玉がいっぱい入っている瓶だ。青はジウが好きな色だった。
 この映画の湛える世界は豊饒だ。

(月刊情報紙「アナキズム」第十号―21.1.1)

 

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2020年12月 1日 (火)

アイヌ、その始原的世界へ

 「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が、開館した。連日、TVCMが流れ、アイヌの民族衣装をまとい、何人かの若い女性が踊るシーンから広大な土地に異和感のある建物が映し出され、それが、ウポポイであることが喧伝される。そもそも、象徴空間といういい方に釈然としない思いが、わたしなら湧いてくるといっていい。
 〇七年、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択され、日本政府をはじめ百四十四カ国が賛成し、〇八年に、衆参両院で、「アイヌ民族を先住民族として認知すること」を満場一致で決議。一九年に、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」、つまり「アイヌ新法」が成立し、その成果が象徴空間(国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園、慰霊施設)を白老町に開設、今年、七月の開館ということになる。
 「(略)旧白老・アイヌ民族博物館は、いくらか柔軟な規定の下で地元のアイヌ民族によって運営されていましたが、新たに建て替えられる国立アイヌ民族博物館は日本政府の管理下になることです。より厳格な政府の監督下に置かれることが予想されます。」(テッサ・モーリス=スズキ「演出された民族共生」―『アイヌの権利とは何か』所載)
 問題は慰霊施設に象徴的に現われている。アイヌの人々の長い時間性のなかで最も屈辱的時間を強いられたのは、明治政府以降といっていい。同化政策という差別化の推進によって、「戦前から戦後にかけて、北海道、千島、樺太などの主にアイヌ墓地から人類学者たちが発掘して持ち去ったもので、北海道大学をはじめ全国各地の大学が保持し、研究対象にしてき」(殿平善彦「はじめに」―『同前』)たアイヌの人たちの遺骨を「象徴空間」の慰霊施設に移管する作業が実行されたのだ。ほんとうは発掘ではなく大多数は盗掘といっていい。本来はアイヌの人たちに即刻、返還すべきものだと思う。
 「今回のアイヌ新法は、アイヌを先住民族と認めましたが、「先住権」を認めていない。私らは空っぽの皿をもらったような気がします。(略)国が白老町に「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を作りました。菅官房長官が白老に来て、「これでアイヌの生活が良くなる」と言いましたが、その場所でアイヌが踊り、儀式を行い、それを見せることで、アイヌの生活がよくなるのでしょうか。ここでもまた和人のつくり話です。」(葛野次雄「父から子へ受け継ぐ」―『同前』)
 国会で、首相になった菅の答弁を聞いていると空洞感を払拭できないでいたが、国直轄の観光施設を「アイヌの生活」に連結させる偽善性がわかった。東北出身であれば、アイヌに親近感を抱くはずだという、東北出身のわたしの思い込みは菅にはあてはまらない。
 「現在の日本政府のアイヌに対する基本姿勢は、日本にはいまや先住権や自決権を有するようなアイヌ集団は存在しない、というものです。アイヌを先住民族と認めたからといっても、先住権や自決権を有するアイヌ集団そのものの存在を否定するのです。(略)明治以降のアイヌの歴史を見ると、日本政府自身が、先住権や自決権の主体たる集団を否定し、抹殺してきました。土地を国有地として和人に払い下げていくとともに、独占的、排他的に支配していた自然資源もアイヌ集団から奪いました。」(市川守弘「アイヌ先住権の本質」―『同前』)
 ここで、わたしは、市川には申し訳ないが、「和人」とは誰か、あるいは何かという疑念があるといいたいと思う。「アイヌ」と「和人」はどう違うのか、まったく別の係累というべきなのかということである。そこには、曖昧な歴史時間が流れていることに注視すべきなのだ。
 「日本列島人は、一万七千年くらい前に東南アジア大陸の沿岸部から移動して住みついた「スンダ型歯列」の旧日本人(縄文時代人、アイヌ人にその特徴がおおく保たれている)と、二千年ほど前、日本列島に移住してきた「中国型歯列」の新日本人(弥生時代に特徴がおおく保たれている)の二層から成り立っているとかんがえられている。」(吉本隆明『母型論』)
 吉本が、ここで論及していることは、日本列島人(あるいは和人)は、純粋なかたちで生成されてきたわけではないということを滲ませている。
 「弥生時代、或いは縄文時代の末期に新たにモンゴロイドが大陸から直接に、或いは朝鮮半島を経て北九州に上陸し、(略)彼らは大和に王朝をたてて北へ進んだ。(略)南へも進んだ。(略)この渡来者であった大和人は先住民と混血しながら、その勢力を拡大していった。」(『同前』)
 わたしたちが、思考を巡らしていくべき先は、従来のつくられた記紀神話の世界を、アイヌの神話(『ユーカラ』)や南島の神話によって相対化していくことだといいたい。アイヌの始原の先を見通すことによって、列島の偽装された時間性を解体していくべきなのである。

(月刊情報紙「アナキズム」第九号―20.12.1)

 

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2020年10月30日 (金)

大澤正道著[解説・森元斎]『石川三四郎 魂の導師』     (虹霓社刊・20.8.31)

 石川三四郎は、幸徳秋水より五歳年少で、大杉栄より九歳年長である。同時代を疾走しながら敗戦後までアナキストとしての矜持を持ち続けていった。一九五六年、八十歳で亡くなる。本書は、石川三四郎伝である。
 「石川は考えてから歩き出すのではなく、考えるまえに歩きだし、あとで後悔することの多い人である。(略)打算ができず、純情なのである」と著者は述べていく。
 女性との関係や宗教、思想との往還にも、そのことはいえるかもしれない。大逆事件に連座しなかったことは、その後の石川にとって、どういうかたちで思想的醸成がなされていったのかは、その後の多様な活動のなかからはなかなか見えにくい。しかし、「土民思想」、「土民生活」に込めたものは、理解できないわけではない。権藤成卿を評価する〈思想的幅〉を持っていたことへ通底するといっていいからだ。Ⅳ章の「天皇と無政府主義者」では、石川の六十代後半からの思想の相貌を照射していく。敗戦時の天皇裕仁の生の声に心撃たれた優しいアナキストが、錦旗革命を目指して苛烈化していく。裕仁という「「偉大な天皇」を擁して、一気に「無政府社会」を実現するという一種の錦旗革命」を石川は妄想していったのだ。軍部の犠牲者だったと、裕仁に同情していく石川の思想の深層には、裕仁を信認して死に至った多くのひとたちのことを見過ごしていることに気付かないでいたのかもしれない。本書は八七年に刊行された新装版である 

(月刊情報紙「アナキズム」第八号―20.11.1)

20105

 

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2020年7月 1日 (水)

映画『半世界』、溢れる関係の物語

 監督・脚本の阪本順治にとって、「世界」という言葉は、覇権主義国家の為政者たちの使うものとなっているという考えがある。だから「半世界」は、〝もう一つの〟、あるいは〝別の〟、〝ほかの〟世界ということを込めているのだ。直截にいえば、「反(もしくは叛)世界」がいいかもしれない。作品の後半で、父親の仕事を自分の意志で継いでいる炭焼き職人の高村紘(稲垣吾郎)が、自衛官を辞め、妻子とも別れて八年ぶりに帰郷した沖山瑛介(長谷川博己)に向かって、「こっちも世界なんだよ」と言い放つ場面がある。
 これは、それ以前に、「おまえらは、世間しか知らない、……世界を知らない」と瑛介にいわれたことに対するものだった。瑛介のいう世界とは何を意味するのか。それは、海外派兵にまつわる世界のことである。彼らにはイラクと南スーダンから帰還後、五十六人もの自死という現実が、その世界には含まれている。もう一人、父親が経営している中古車販売を姉とともに手伝っている岩井光彦(渋川清彦)を含めた三人は小中学校が一緒という幼なじみの友人で、まもなく四十歳という年齢だ。
 作品は阪本の言(「映画芸術」四六六号)に添っていえば、〝土着の共同性(関係性)〟を照射していくことになる。もちろん、〝土着〟といっても、ひとつの象徴性を含ませているのだが、紘の仕事からいえば、わたしなら柳田國男の『山の人生』を想起したくなる。そこには孤独できつい手仕事のような様態がある。紘は、瑛介を喚起する気持ちで自分の仕事を手伝わせる。やがて、少しずつ慰藉されていく瑛介の心性が伝わってくる。「世間しか知らない、……世界を知らない」と言ってしまったことをどこかで押し込めておきたいとするかのように、表情も緩やかになっていく。しかし、ある日、光彦の販売店で客とトラブルになっているところに、紘と瑛介が乗っていた車が通りかかる。瑛介は急にそのなかに入って客と殴り合いになる。瑛介が〈狂気〉を表出した場面だ。瑛介の世界がついに破砕したのだ。それは瑛介の知っていた世界は世界ではなかったことになる。
 この作品では、もうひとつの世界も描かれる。紘と妻・初乃(池脇千鶴)と中学生の息子・明(杉田雷麟)の家族という世界だ。しかし、穏和で親和性に満ちた家族とは違う、危うい関係性が織りなしていくのだが、初乃の存在がこの映画では大きな有様として描かれていることに、わたしは阪本順治の物語力を感受した。
 物語は三カ月という短い時間性が横断している。しかし、紘の炭焼き小屋での突然死によって溢れる三人の関係性は閉じることになる。
 瑛介は、紘の死をかみしめるように「こっちも世界」かと呟く。
 息子の明は、一人で炭焼き小屋にやってくる。ランチボックスとグローブを持ってきている。小屋に吊り下げているサンドバックめがけてパンチを激しく撃っていく。
 もうひとつの「半世界」が始まる。

(月刊情報紙「アナキズム」第四号―20.7.1)

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2020年4月 1日 (水)

映画『ジョーカー』が放出する〈暗渠〉

 ホアキン・フェニックスの快演が、〈ジョーカー〉という〝バットマン〟シリーズの悪役を、下層民衆のたぎる力を象徴する存在として屹立させた。そして、監督・脚本のトッド・フィリッピスの多彩な映像力によって深い物語性を湛えた作品が提示されていくといってもいい。病弱な母(実は遺児を養子にした関係)の面倒をみながら、コメディアンを目指す青年アーサー・フレックの苦闘の時間を追っていく物語は、疎外され、最底辺の生活を強いられながらも、やがて憤怒の様を纏っていくことになる。映画『ジョーカー』は、社会を安直に包摂していく国家という〈暗渠〉を、わたしたちに指し示しているといえる。
 ゴッサムシティが、頽廃化していく現況を打破するために市長選挙に立候補するウエイン産業のトップ、トーマス・ウエインは、下層民衆を徹底的に蔑んでいく。アーサーは、地下鉄の車内で女性に理不尽な絡みをする証券マン三人を、仕事仲間に手渡された拳銃で殺す。証券マンはウエイン産業の一員だった。ウエインが犯人をピエロと罵ったことによって、下層民衆はピエロの仮面を被って抗議行動を生起させていく。
 テレビの人気番組「マレー・フランクリン・ショー」に呼ばれたアーサーは、そこでジョーカーと名乗り、証券マンたちの殺人を告白する。
 「僕にはもう失うものはない/傷つける者もいない」「僕の人生はまさに喜劇だ」「自分を偽るのは疲れた/喜劇なんて主観さ」「この社会だってそうだ/善悪を主観で決めてる」「僕が歩道で死んでも踏みつけるだろ/誰も僕に気がつかない/だがあの三人はウエインが悲しんでくれた」「誰も他人のことを気にかけない/こう思うだけさ〝黙っていい子にしてろ〟〝狼にはなれない〟」
 独白しながらマレーを銃で殺す。
 街中でさらに、ピエロの仮面を被った群衆が決起している。ピエロの男にウエイン夫妻が殺される。一人残された少年のブルース・ウエインが、後のバットマンとなるわけだが、この物語との連続性があるわけではない。そこが、この映画を特異にしているところだ。フランクリン殺しで逮捕されたジョーカーを乗せたパトカーが路上を走っていく。そこにトラックが追突する。運転していたのはピエロの仮面を被っていたものたちだ。彼らは、ジョーカーを引きずり出して車の上に横たえる。やがて蜂起した群衆の前で立ち上がりゆっくりと踊り始めるジョーカー。そこで終景かと思ったが、一転、ジョーカーの笑う顔のアップ。カウンセラーと会話するジョーカーの手には手錠。その後、ジョーカーは廊下を真っすぐ、光り輝くような窓の方へ歩いて行く。突き当たりの横の廊下を人が左右に走っていき。物語は閉じていく。
 長い石段を登り降りし、石段の途中で踊ったりするアーサー、街中を懸命に走るが、不思議な可笑し味を漂わせるアーサー。映画『ジョーカー』の救いは、もしかしたらそういうところにあるのかもしれない。

(月刊情報紙「アナキズム」創刊号―20.4.1)

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