2020年3月 7日 (土)

岡本勝人 著                                   『詩的水平線―萩原朔太郎から小林秀雄と西脇順三郎』    (響文社刊・19.9.10)

 「詩的水平線」とは、なかなか意味深い書名だと思う。詩的なるものや、思想・文学表現の位相は、様々に繋がっていくものだと思う。ひとつの系列が縦割りのように繋がるのではなく、幾重にも折り重なって拡張されていくのが、表現の水位といえるはずだ。著者が本書で指向していくのは、萩原朔太郎を起点として小林秀雄と西脇順三郎の表現の有様における詩的水平線(地平線)を切開していくことにある。
本書の開巻、萩原朔太郎の詩「夜汽車」が引かれる。「抒情詩を唱える朔太郎の反自然主義態度は、象徴詩運動にみる音楽性に詩的優位をおくものであった」と述べた後、次のように繋いでいく。
 「詩はひとりで書くものであるが、大正期の北原白秋、室生犀星、山村暮鳥、萩原恭次郎という「無名にして共同なる社会」の一員として、詩作に精力をついやしていたころである。」
 本書では、このように「無名にして共同なる社会」という捉え方が、基調となって流れていく。後段において、西脇順三郎と小林秀雄の「青春の時代は、大正期に重なっている。大正期の教養主義の坩堝のなかに、二人の教養があったことはいうまでもない」と述べながら、著者は直截に記していく。
 「二人はとても近い関係にあった。小林秀雄や西脇順三郎にも、確かな時代の空気である深層に、「無名にして共同なる社会」があった。」
 この、「無名にして共同なる社会」という視線を、著者は、「鮎川信夫が起草したといわれている「Xへの献辞」の文章」に拠っていて、「「閉じた社会」から「開かれた社会」への転換をはたし、詩を書くうえでの生活の上によみがえってくるのである」と述べている。しかし、わたしなら、「社会」を前提として措定するのではなく、鮎川信夫が『戦中手記』のなかで記しているように、「思想は精神たちをあつめた無名にして共同のものであ」るということのほうが、共感できるといいたい気がする。「思想」は、「文学」、「芸術」に置き換え可能なのはいうまでもない。
 さて、本書の中心へと向かってみる。
 「小林秀雄の「中世古典論」から戦後いち早く発表された『モオツァルト』を執筆する散文(エッセイ)の幅と、西脇順三郎の『Ambarvalia』から戦後いち早く発表され発行された『旅人かへらず』の詩のエクリチュール(書記)の幅をひとつの軸とすれば、そのように時代の転換期を通過した小林秀雄と西脇順三郎のふたりのタイムラグの幅に、文化の幅と文化を架橋する現代的可能性が仄みえるといえるだろう。(略)ふたりのクロスする戦中から戦後という「戦争期」の文化の詩的地平線をとらえ、日本文学の、特にテクノロジーによる革命を内在させる近代を通過した現代社会にたいして、「戦後」というものを超える詩的現代の問題性が、文化を架橋する層として存在してみえてくると言えるだろう。」
 「萩原朔太郎は、故郷との葛藤のなかで、自らの言語の構造に無意識裡に目覚めている。精神のうちから、文語調をつきあげている。そこに朔太郎の故郷のイメージも、結ばれていた。(略)近代の運命のなかに生きた萩原朔太郎にたいして、故郷への帰郷を果たし、死に水をとられる西脇順三郎は、文語調ではない言語のネットワークの自由な詩をつむぎ、それはある意味で、空や無のような無色で幸せな帰郷をしたと言わなければならない。」
 小林秀雄の戦前期のドストエフスキー論から『モオツァルト』へと至る軌跡と西脇順三郎の『Ambarvalia』から『旅人かへらず』への軌跡は、ともに戦時下を通過していくにもかかわらず、確かに、そこでは詩的水平線(地平線)を架橋していると見做すことができる。それは、二人の表現者が一貫して自らの立ち位置を、情況的な事態に絡めとられることがなかったからだといいたくなる。
 朔太郎と西脇は、「故郷」という原像に、複雑に絡み合っている。二人の詩人にとって、「故郷」は、詩魂が宿る場所なのである。だから「故郷」も詩的水平線を架橋していくといっていい。
 著者の論旨に誘われながら、戦前期から八〇年代初頭にかけての詩魂の地平は豊饒なものだったことが、確認できる。最後に著者は、「詩的現代の問題性について考え、論ずることは、とりもなおさず、詩について考えるヒントを明示することであろう。詩を書くことを欲望論とするために、もういちど、現代社会のなかで、孤立し、社会的効用から切り離された詩そのものへと立ち返りながら、詩の実態とその存在の意義について、考えてみようと思う」と述べている。むろんそのことに、わたしは率直に同意したいと思う。

(『図書新聞』20.3.14号)

 

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2020年1月18日 (土)

構 大樹 著『宮沢賢治はなぜ教科書に掲載され続けるのか』(大修館書店刊・19.9.10)

 宮沢賢治を、漱石や太宰以上に世代を超えたかたちで知らない人はいないといっていいはずだ。詩作品と童話作品というジャンルにもかかわらず、いや、だからこそ、小学生から大人までという幅広さで「賢治受容」というものが戦争期を挟みながら持続されてきたといえる。それは、賢治作品が途切れることなく教科書に掲載され続けてきたからだというのが、著者の捉え方で、その深層を切開していくことが本書のモチーフということになる。著者は次のように述べていく。
 「〈宮沢賢治〉が肯定/否定を問わず言及され、語られるときの枠組みを析出し、どのような意味づけがなされたのか、それを成立させた環境とはどのようなものだったのかを、歴史的に解き明かそうとするものである。そうした検討を賢治受容の活性化と、将来的な展開をうながす糸口にしたい。」(「はじめに――賢治受容の不思議」)
 わたしは、「なぜ教科書に掲載され続けるのか」という問い掛けを起点として、ひとつの賢治論は成立しうるのだろうかと、書名を見たとき理解できなかった。だが本書の著者の力点は、継続性、持続性の解明だけにあるのではなく、戦時下から、敗戦後の「教科書」における賢治受容の有様にかなりの焦点を当てていることで、「受容の活性化と、将来的な展開」というあらたな賢治理解の位相を提示していくことに、新鮮さをわたしは感受したことになったといっていい。
 媒介軸として著者は、没後発見された遺作を契機に「「雨ニモマケズ」的な人間性への評価」をあげる。さらにいえば、「〈宮沢賢治〉が肯定/否定を問わず言及され」るのは、まさしく、「雨ニモマケズ」に生起したことだといっていい。わたしは、小学低学年時(一九五六、七年頃)に近所の友人宅に行った際、居間の壁側に手書きした「雨ニモマケズ」が貼られていたことを鮮明に記憶として刻まれてしまったといえる。ミヤザワケンジという名前とともに怪しげな詩篇が七歳の子どもにどう影響を与えたかは思い出すことはできないが、後年、賢治の世界に親近性を抱いてからは、「雨ニモ」の世界をできるだけ避けて通ることになったのは間違いない。
 「一九四二年に大政翼賛会文化部が編纂した『詩歌翼賛』第二輯への「雨ニモマケズ」採録がある。(略)同冊子に採られたという事態は、「雨ニモマケズ」から当時の総動員体制に資する文学的価値が、さらには賢治に「日本精神」を代表する詩人としての価値が、文壇/政治の思惑が複雑に絡み合った組織としての大政翼賛会文化部に見出され、承認されたことを意味する。」(「第二章 「雨ニモマケズ」という生き方」)
 戦時下において戦争賛美の詩篇を数多く表現した高村光太郎とともに収められているのだが、「雨ニモ」は、戦時下に発表されたわけではないから、戦争協力詩と理解することはできない。吉田司に『宮沢賢治殺人事件』(一九九七年刊)という苛烈な著作があり、そのなかで国柱会との関わりをもって戦争推進派に賢治を入れるのは無理がある。
 「肯定的な評価が一方的に集約される環境のなかに〈宮沢賢治〉はあった。だからこそ「雨ニモマケズ」と賢治を積極的に称揚する機運が、総動員体制の長期化にあっても、着実に高揚していったに違いない。そして、このとき「雨ニモマケズ」の〈宮沢賢治〉の図式が大きな力を持ったのだ。」(「同前」)
 そして戦時下に、「満州開拓青年義勇隊訓練本部編『国語 下の巻』(冨山房、一九四三年)という準公的な教科書」に「雨ニモマケズ」が掲載されたのだ。その頃の「〈宮沢賢治〉は、〝滅私奉公〟の文学的形象化を達成した詩人として、また優れた農業実践者の模倣像として、強い公共性を帯びていた」(「第三章 「雨ニモマケズ」教材化の前夜」)と、著者は捉えていく。そして、そのことはある意味、戦後へと繋がっていくことにもなるのだ。
 「戦後国定教科書は(略)新たな教材を選び、GHQの検閲を経た上で、一九四六(略)年度の授業に間に合せ」るという時間的な逼迫があったから、「賢治作品に光を当てたのではなかったか」と著者はみる。
 「ストックされた文学的遺産から戦後の今・ここで意義づけられるものを教材にしようとしたとき、「雨ニモマケズ」や賢治童話から読み取られた「時局」との距離(略)は、選定にあって有利に作用しただろう。(略)共同体を維持させるのに有用であることは、(略)「雨ニモマケズ」で十分印象づけられていた。」(「第四章 「どんぐりと山猫」と民主主義教育」)
 その後、「やまなし」や、「注文の多い料理店」、「永訣の朝」など、多くの作品が教科書に採用されていく。
 「賢治受容の持続にとって国語教科書に採られることは、賢治作品の多くの潜在的な享受者の前にひらかれるだけでなく、そこで〈宮沢賢治〉のアクチュアリティの更新が行われるという点でも重要だと、さらにいい直すことができる。国語教育で扱われるということは、今、ここの価値の更新作業そのものと言ってよい。」(「第七章 「グスコーブドリの伝記」の再創造」)
 著者は、八六年生まれ、現在、清泉女学院中学高等学校の教諭であり、本書は博士論文を基にしたもので、初めての単著ということになる。
「賢治受容」という視線によって、鮮鋭な賢治像が描出されたといっていい。

(『図書新聞』20.1.25号)

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2020年1月11日 (土)

丸山健二 著『丸山健二 掌編小説集 人の世界』       (田畑書店刊・19.8.30)

 掌編小説の掌を〝てのひら〟と読む。だから、掌編はてのひらほどの短さという意味を持たせている。かつてわたしは、川端康成の『掌の小説』(七一年)を読んだだけだから、掌編小説に通底しているわけではない。だから訳知り顔に語ることはできないが、丸山健二の掌編小説集とは意外な思いを抱いたが、丸山健二的ではあるなと確信したといっていい。それは、丸山健二の『生きることは闘うことだ』(朝日新聞出版刊・一七年三月)を読んでいたからだ。こちらは、全四行の短いエッセイ集とでもいえるものだが、そこに込められた激しい言葉の表出は、『人の世界』に連結していくと感受できたといっていい。
『人の世界』は、『われは何処に』(一七年、求龍堂刊)と『風を見たかい?』(一三年、同社刊)を「組み方を替え、加筆・修正を施したもの」だという。
 「風をみたかい?」は、「風人間」を象徴化して、物語っていく連作集といえなくもない。
 「おれは世を避ける者などではない。/世のほうがおれを避けることはあっても、その逆は断じてない。/おれこそがまさに自由の第一人者であるというれっきとした事実は、永遠の始まりを想わせてくれそうなこの風が見事に証明している。」「「風人間」を自認してやまぬおれは、口笛をやめて鼻唄に切り替える。人に明かしてはならぬ一身上の事柄など皆無だ。」「「風人間」にとって社会を保全する義務はなく、国家は無益であり、国境は無用な代物でしかない。」「生は死を減殺し、死は生を減殺することで、不朽性が失われずに済み、ために、永劫に滅びない存在という形がしつかりと保たれるのだ。」
 「国家」、「生」と「死」、これらの言葉は通底音のように丸山健二の発語の場所として横断している。例えば、『生きることは闘うことだ』のⅡ章「家族や国家を過信してはならない」のなかの「国家とは」には、次のような言説が展開されている。
 「国家を当たり前なものとして、空気や水や食料のようにしてありがたがるのは、明らかな誤りで、また、それなしでは一日たりとも生きてゆけず、たちまちにして混乱の極みに投げこまれてしまうという伝統的な考えに無意識にしがみついていると、自我にまつわる基盤が根底から覆され、自己を失ってしまう。」「国家はひとつの悪だ。それも巨悪だ。その悪に比べたらやくざの悪など実にちっぽけなものでしかない。(略)民主国家の神話なんぞにけっしてだまされてはならない。」「国家なんて幻だ。」
 わたしは、丸山のこれらの発語を苛烈とは思わない。なぜなら、わたしもまったく同じ考え方、捉え方、認識の仕方をしていると感受できるからだ。
 「われは何処に」を見てみよう。「無害な分だけ面白味に欠けた人々が、どんな風の吹き回しなのか、突如としていっせいに、(略)荒くれた発想がもたらす叛逆の方向へと、半ばやけ気味に舵を切った」は、何気ない記述のように読めるが、「叛逆の方向へ」と惹起していく様態は、想像できる、いや、正確に述べれば想像したいのだ。
物語は、多様に表現できる、しかし、直截に表現する作家、思想家は極めて少ない。丸山健二は、芥川賞受賞後数年、二十代半ばで、文壇世界に囲い込まれることなく、信州で自立した表現活動を続けてきたのだ。
 「雑魚は見逃してやるからさっさと消えちまえと、そう事もなげに言って澄ましている、定年間近の情のこまやかな刑事は、それでもまだわずかばかりの誠実さが残っている素行不良者どもの後ろ姿を見送りながら、なんとも複雑なため息をそっと漏らし、さほどの理由もなしに世を拗ね、死をもってちっぽけな罪を贖おうとする若者の急増に心を痛め、(略)家路を辿る足どりは重くもなければ軽やかでもなく、(略)二十年も前の夏の真っ盛りに病死した妻の位牌の前に座ってからは、いつものように長いこと動かずに時間を忘れ、言うならば、湯冷めにも似た心境をずっと保ちつづけた。」
 集中、最も惹き込まれた世界だ。定年間近の刑事は、世情に抑えがたい憤怒を抱いている。だが、帰宅して待っているのは、二十年前に病死した妻の位牌だ。「長いこと動かずに時間を忘れ、言うならば、湯冷めにも似た心境をずっと保ちつづけ」てきた心情は、凄いと思う。「国家なんて幻だ」と言い切る丸山健二だからこそ、描出できる世界だといっていいはずだ。

(『図書新聞』20.1.18.号)

 

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