2011年11月12日 (土)

梶木 剛 著『文学的視線の構図――梶木剛遺稿集』           (深夜叢書社刊・11.5.13)

 梶木剛(1937.5~2010.5)は、吉本隆明が編集・発行していた雑誌『試行』(1961年創刊、97年74号にて終刊。10号までは、谷川雁・村上一郎・吉本の同人会による発行、11号以降は、吉本の単独編集で発行)に最初期から執筆し、批評活動の出発の場所としたことで知られている。さらにいえば、文芸評論家としての確たる立ち位置を『試行』という場所を通して形成していったことになる。「初期万葉における抒情詩の成立」(4号、6~8号)は、第一評論集『古代詩の論理』(68年刊)の中心論稿として収められ、やがて「夏目漱石論」(32~45号)、「折口信夫の世界」(46~58号)、「柳田國男の思想」(61~67号)といった連載群は、それぞれ『夏目漱石論』(76年刊)、『折口信夫の世界』(82年刊)、『柳田國男の思想』(89年刊)といった大著へと結実していった。中学時代に短歌に親しんでいたという経緯もあり、後年は、多くの短歌論を著している。一周忌を機に刊行された本書は、80年から2008年までに発表された単行本未収録論稿によって構成されている。茂吉、子規、漱石、柳田、そして吉本に関した論稿を中心とした、いわば、梶木のこれまでの“文学的視線”を包括したものとなっている。
 月村敏行は、梶木における批評の基層を評して、「全集博読、文献渉猟の徹底性」(「哀辞―梶木剛の王道」―本書収録)ということを述べている。例えば、本書に収めている「子規雑事手控」という論稿にも、そのことが顕著に表れている。子規をめぐる「年譜的、書誌的、伝記的な問題」、つまり、「子規が関わったのは、何という学校なのか」ということをはじめとした三つの問題点を推測していくという手捌きは、まさしく「全集博読、文献渉猟の徹底性」のなかでなされていくのだ。子規に関心あるものにとって、そこまで徹底して、関わった学校を明示していくことにどんな意味があるのだろうかと思うに違いない。しかし、梶木にあっては、自分自身の内部の問題として、それは、鮮明化させねばならないのだ。つまり、「四半世紀たって、東京帝国大学が跳梁し、〈大学予備門〉という誤記の復活していることが許せない。そういうことだ」という信念ということになる。いわば、こうした膂力をともなった信念ということが、梶木の徹底した批評性を支えているといっていいはずだ。それは、本書の中でも白眉といえる力稿「柳田学と折口学」に集約されているとわたしには思われる。
 柳田國男と折口信夫の関係は、微妙な空隙を孕んでいると捉えるのが、ひとつの定説になっている。方法の違い、視線の向け方の違いといったように、民俗学的なカテゴリーにおける屹立した二人の差異は、例えば、神観念に象徴的に表れるとされる。「家々の祖霊ではなく、村の祖霊、ひとかたまりの村の祖霊というものが」「古い形」であるという「まれびとの考え方」が折口だとすれば、「家々に個別の祖霊というものがある」という氏神観念を主張していくのが柳田の考え方だとされきた。だが、梶木は、このような差異を二人の「終着点」と捉えるのではなく、「出発点」と見做して、徹底性を持った視線を二人の仕事の交錯した場所へと注ぎ込んでいく。つまり、このように。
 「氏神以前の研究として折口さんの神の考え方はあり、それに対して柳田さんの神の考え方は氏神以後のものとしてあったのです。柳田國男も南島論に突っ込んで氏神以前を問題にしなければならなかったとき、無限に折口信夫に接近しなければなりませんでした。(略)こう言うことができましょう。氏神以後と氏神以前の体系を分担したものとして、柳田学と折口学とはあるのだ、というように。(略)この師弟は異なる資質を持ちながらもその思想的紐帯ゆえに、結果として手を携えて空前の氏神以後と氏神以前との歴史像、精神像とを分担開示した。こういうことになるのです。従って、柳田学と折口学とを一口に言うなら、ヨーロッパ的な普遍主義に敵対する思想の学的創始と展開、というように位置づけられます。そしてそれがそのまま、両者、柳田國男と折口信夫の近代思想史に占める位置なのです。」
 さらに梶木は、ここで「ヨーロッパ的な普遍主義に敵対する思想」ということは、「内からの視線、内側の視線をどう作り上げるかという思想の問題と同じ」ことであると付言している。これは、ほとんど、梶木自身の思想的モチーフに他ならず、これまでの多くの作家論・思想家論においても、そのような視線を徹底して通してきたことを意味する。吉本隆明の『柳田國男論』に触れた文章で、梶木は、次のように述べている。
 「柳田國男は立ち上がって、外部の思考としてのヨーロッパ的な普遍主義との間に〈亀裂〉を露出させ、〈空隙〉を喚起させるために奮闘する。そこで行使されたのが内側の視線の方法と文体なのだとすれば、それは戦闘のための方法と文体なのであった。」(「内側の視線の構図―吉本隆明『柳田國男論』読後」)
 自らを鼓舞するかのように、「奮闘」、「戦闘」という言葉が表出される。それは、「徹底性」とともに、梶木の文学的視線の主調音であったのだ。

(『図書新聞』11.11.12号) 

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2011年10月21日 (金)

シャンカール・ヴェダンタム 著、渡会圭子 訳                  『隠れた脳――好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』(インターシフト刊、合同出版発売・11.9.30)

 民主党政権となってから、政治家たちの軽薄な失言が、頻出しているように思う。かつての自民党政権時における与党議員の場合、イデオロギー的な偏向が失言を誘発していたことを思えば、いまの民主党の政治家たちの方が、はるかに稚拙な様態を示しているといわざるをえない。それにしても、政権を奪取したことで浮かれてしまったのか、箍が緩んで抑制が効かなくなったのか、あまりに軽率な発言が多すぎる。本書の著者に倣っていえば、このような現象は、別に不思議でもなんでもなく、ただ、“隠れた脳”のコントロールが出来なくなったことを表しているということになる。つまり、「無意識」、「潜在意識」、「暗示的」といった概念で言い表せる“隠れた脳”とは、「気がつかないうちにわたしたちの行動を操るさまざまな力のこと」なのだが、「人間が弱っているとき、無意識のバイアスが」、大きな影響を与えてしまうことを意味している。
 「プレッシャーがかかると、意識的な脳がいっぱいいっぱいになってしまうことがある。すると隠れた脳を抑える力が弱まり、ふだんは隠れている考えや態度が表に出てくる。スポットライトを浴びているときやカメラが回っているとき、ばかなことを言ってしまう人が多いのはそのためだ。(略)政治家や有名な芸人といった、本来“分別を備えるべき人々”が、悪質な敵意を口にすると、私たちは激しい怒りを感じる。しかしこうした失言をする本当の原因は、無意識をコントロールする意識的な脳の力が失われてしまったことにある。」(「第4章 思わず知らずに偏見は忍び入る」)
 例えば、仙谷由人の「暴力装置でもある自衛隊」という発言のように、気の効いたことを言おうとして、つい直截過ぎて、逆に反発を招くということもある。だが仙谷のような、ある意味、政治理念に絡む問題なら、稚拙さとは遠い位相にあるから、まだいいとしても、差別的発言や暴言は、許されることではない。では、そもそも、「無意識のバイアス」はなぜ、わたしたちに潜在してしまっているのだろうか。フロイトやユングが分析してみせた無意識的領域と、『ワシントン・ポスト』紙の著名なサイエンス・ライターでもある著者が、提示してみせる無意識のバイアスとは、もちろん連関性はあるが、“隠れた脳”を、人類の進化過程で形成された初源的(動物的)とでもいうべきものであると捉えながら、ここでは無意識的領域をもっとアクティブなものに拡張している。
 「(略)重大な危機に陥ったとき、隠れた脳がその力を発揮して、何が起こっているのか、まわりの人たちと共通の理解を得たいという強烈な願望が生まれる。(略)進化の歴史を見れば、集団でいるほうが、安全が保たれる。ときとしてそれが裏目に出る場合もあるが、私たちの脳は、総合的にうまくいく手段がわかるよう進化しているし、進化で身につけた自己保存のための本能は、必然的に単純である。警報が鳴ると不安が引き起こされ、集団を頼るよう隠れた脳が指令する。それは私たちの祖先の時代から、集団でいたほうが危険にさらされる可能性が低く、安心と安全が手に入りやすかったからだ。/しかし今の時代は、集団でいる安心感を優先すると、個人が危険にさらされるケースが以前より増えた。それは現代の危険があまりも複雑で、いったい何が起こっているのか、誰にもわからない場合が多いからだ。私はここで、集団の行動は常に間違っていると言いたいわけではない。集団は誰も気づかないうちに、個人の自主性を奪ってしまうことがあると言いたいだけだ。」(「第6章 なぜ災害時に対応を誤るのか?」)
 本書では、実際にあった事象を様々な角度から検証し、分析したうえで論述している。だから、専門的な分野にわたったことでも、理解しやすい例示となっている。9.11の時、サウスタワーの八八階と八九階のフロアーにいたKBWという投資銀行の社員たちが、それぞれ違った行動をとったために、犠牲者の数が真逆になった事例から、集団性と個人の自主性の間隙を照らし出していくここでの分析は見事である。また、ジェンダーの問題(「第5章 男と女は入れ代わらなければわからない」)や、銃社会の問題(「第8章 一匹の犬が多数の犠牲者より同情を集めるわけ」)では、無意識のバイアスの負性を的確に露出させて、わたしたちに、警鐘を鳴らしている。
 こうして著者は、「無意識を意識するのが困難なのは、障害が自分の中にあるからだ。しかし本能や直感より理性を優先できるのは、人間をこれまで存在したあらゆる動物との間に一線を画する、特筆すべき性質である」から、「理性だけが無意識のバイアスの波に逆らうことができる」し、「私たちにとっての灯台でありライフジャケットなのだ。それは私たちの良心の声である。いや、声であるべきなのだ」と結語していく。だが、「理性」を、わたしたちの中に屹立させるには、至難なことである。それでも、本書の著者のように、そのことを希求していくことに対して、わたしは、素直に共感したいと思う。

(『図書新聞』11.10.29号)
    

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2011年9月25日 (日)

池澤夏樹・坂本龍一他著『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ刊・11.7.15)

 3.11の東日本大震災は、想像を絶する自然災害であったと同時に、独占資本権力・東電による理不尽な原発事故という人災を露出させたことになる。それから六ヶ月以上の時間が経過しているにもかかわらず、いまだ大きな余震が発生し、復旧・復興はといえば、声だかに叫ばれながらも、遅滞した様態を依然示し続けている。そして、なによりも、福島第一原発事故による、放射能汚染並びに被曝の恐怖と終息の見通しの立たない現実というものが重くのしかかったままなのだ。たらればをいえば、きりがない。しかし、水素爆発が起きた時に、放射線予測システムSPEEDIを活用した速やかな退避勧告を福島の人たちに、なぜできなかったのかということだけは、憤りに堪えない。画期的な政権交代を成し遂げた民主党政権(菅政権)の最大の犯罪がそのことだと、敢えて、わたしはいっておきたい。
 原子力の平和利用、CO2を排出しないクリーンエネルギー、水力・火力に比べてコストが安い、しかも安全だなどといったデマゴギーを駆使して推進してきた原子力発電の虚構の神話が、ここにきて、いっきに崩壊したといっていい。わたしは、これまで原発に依存してきた社会だったとは見做してはいないが(原発に依存している社会だと、わたしたちをマインドコントロールしてきたといった方がより正確なはずだ)、少なくとも原発をめぐる「電官政学報の『ペンタゴン』(五角形)」(坂本龍一)システムが、わが国の支配体制の構造と密接にリンクしてきたことは、確かだと思っている。福島第一原発事故によって、多くの人たちが、原発に対してNoと言い出し、「脱原発社会」という方位へと視線を向け出したことは、大いに歓迎すべきことである。こうした情況のなか、本書は、様々な分野における30人の考え方を纏め、「脱原発社会」へ向かうべく刊行された提言集である。
 「脱原発社会」という時、そもそも原発とは何だったのかということに収斂せざるをえないはずだ。使用済燃料を永久的に処理が出来ない「原子力は人間の手に負えないのだ。フクシマはそれを最悪の形で証明した」(池澤夏樹)という象徴的な言辞から、「原発を推進しようというのはなぜか。(略)ひとつには、軍事目的があると思います。よく言われるように、プルトニウムを確保して、いつでも核武装できることを世界に、地域に誇示すること。もうひとつは、お金でしょう。自分たちに都合のいい法律を作って、原発を造れば造るだけ儲かる体制を整え、好きなだけ電気代と税金として国民からしぼりとり、そこにハイエナのように群がっているわけです」(坂本龍一)といった捉え方や、「原発は、その出自からして核武装を究極の目標とした軍事的装置です。平和利用は見せかけにすぎません。事実、日本は原発の運転によって核兵器の原料となるプルトニウムを大量に保有し、各国から『日本はいつか核武装する気ではないか』と懸念されています」(高橋巌)というように、「核」と「原発」はまったく同義であるということになる。この視線を前提にしない限り、「脱原発」への道筋へは辿れないといっていい。ところが、電力会社各社や原発推進派、維持派は、原発を止めると電力供給量が足りなくなるといったレトリックを弄し続けている。計画停電といった究極の恐喝手段は、もう取れないとみるや、節電を必死になって喧伝しているのが、現状だ。
 「発電所の設備能力を見るかぎり、原子力発電はいますぐ止めても困りません。(略)発電所の設備能力で見ると、原子力は全体の18%しかありません。その原子力が発電量では28%になっているのは、原子力発電所の設備利用率だけを上げ、火力発電所の多くを停止させているからです。原子力発電が生み出した電力をすべて火力発電でまかなったとしても、なお火力発電所の設備利用率は7割にしかなりません。それほど日本では発電所は余っていて、年間の平均設備利用率は48%にすぎません。(略)私が言いたいのは、電気が足りようが足りなかろうが、原発は即刻、全廃すべきだということです。(略)現在、地球温暖化問題の重要性が喧伝され、それを防ぐためには原子力が必要だなどという途方もないウソが流されています。地球温暖化、もっと正確に言えば気候変動の原因は、日本政府や原子力推進派が宣伝しているように、単に二酸化炭素の増加にあるのではありません。」(小出裕章)
 あえて極端なことをいえば、節電も、早急な代替エネルギーの構築も、とりあえずは、必要がないということになる。それでも、いままでの「暮らし方」を再考すべき段階に差し掛かっていることは、明らかだと思う。
 「一人ひとりの生き方で言えば、『農的くらし』を心がけるということです。『農的くらし』とは、くらしの場で自分の必要な食糧やエネルギーをできるだけ自給することです。(略)仮に都市に住み続けたとしても、『農的くらし』を諦めることはありません。従来の都市空間を解体し、そこに農的空間として再生させる新しいプロジェクトが、都市には必要だからです。どこにあっても、そこで最善を尽くせば、そこはその人の『故郷』になります。」(明峯哲夫)
 だからといって、ライフスタイルを何十年前かに戻すといったことを、わたしはいいたいのではない。3.11を奇禍として「身の丈に合った」(斎藤貴男)社会を再構築していくべきなのだ。

(『図書新聞』11.10.1号)

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2011年6月24日 (金)

原 敏晴 著                                     『生きることへの共感――カントとマルクスの自由と生活の共存する社会』(清風堂書店出版部刊・11.5.3)

 マルクスの思考的構想をカントやアリストテレス、フォイエルバッハなどの構想と連結させて、ありうべき共同性を開示していこうとする意欲的な論稿集である。
 わたしは、マルクスの思想とマルクス主義の思想は、全く別物だと思ってきた。第一インターナショナル(国際労働者協会)でのヘゲモニー争いのための小政治屋的振る舞いをしたマルクスは論外だとしても、『経済学・哲学手稿』、『ユダヤ人問題によせて』や『資本主義的生産に先行する諸形態』といった著作から、わたしは、多くのことを享受してきたといっていい。そして、エンゲルスやレーニンがマルクスの思想を政治的戦略のなかで、転倒したかたちで改造したものがマルクス主義の思想だったと、見做している。本書の著者もまた、徹底したエンゲルス批判(レーニンも含む)を通して、マルクスとエンゲルスの思想性の明確な差異を提示している。
  「エンゲルスは(略)対植民地交易のような、力による資本家同士の『自由競争』の『無政府状態』を廃棄するとして、(略)正常な市場商品交易の廃止を主張しているが(略)、軍事力による異常な形での植民地交易は、正常な(マルクスの理論に適合した)市場交換とは全く異質なものであるから、前者を根拠として後者の廃棄を言うことはできない。」(「第七章 生命活動を繋ぐ民需市場経済活動」)
 ここでは、エンゲルス独特のレトリックを指弾している。家族と国家における共同性の異和を無視した、極めて粗雑な国家論を持つ『家族・私有財産・国家の起源』を例に出すまでもなく、エンゲルスの思想は、そもそも論理的に破綻しているのだ。
 著者は、『資本論』の精緻な解読を試み、市場交換と消費の問題を卓抜に取り出しながら、「商品特有の使用価値を生産し、別の商品特有の使用価値を消費するという『社会的な物質代謝』(マルクス)を介して、人間と他の人間とが社会的にやりとりする普遍的なもの、人間労働即ち生命活力である、というのがマルクスの見解である」として、「売る商品の生産過程だけでなく、買う商品の予想される消費過程をも考慮する」(「同前」)ことは必然であると述べていく。エンゲルスの転倒は、生産をプロレタリアートによる公的権力の掌握の対象とするというように、消費(大衆・生活者層の行為の象徴と見做していい)を軽視した経済システムを想起しているに過ぎない。結局、過剰な生産重視によって、プロレタリアートという仮構の階級というものが、資本主義経済における独占資本家と同じような支配システムを透徹することになっていったのは、既に91年末の事象へ至るプロセスによって明らかだ。消費とは遅延した生産だといったのは吉本隆明だが、生産と消費は、いうまでもなく、ひとつの共同性の円環として捉えるべきなのである。
 『経済学・哲学手稿』では、「ある人間の生の証(生産物)が、他の人間の生を支え、他の人間の証(生産物)が、ある人間の生を支える、という―人と人との互いの生による生の相互扶助という―理想的な市場経済活動の在り方が語られている」(「第二章 生活と自由の共存」)と述べる著者の視線は、カントの「合意の力」と、マルクスの「団結・結合の力」を基軸にしながら、理想の共同体というものを描いていく。
 「現在では、個人たちの意志の自由と表現と行動の自由の多種多様性は著しく発展してきている。(略)カント的な自由意志の原理と現実の発展とを踏まえて、『多様な個人の意志の自由』を明記し、十分に議論を尽くした上での合意、自由・平等・独立な個人たちの合意、というように、共同体の形成と関係する合意の形成過程のあり方を明記することが団結の強度を増すためにも絶対不可欠であり、(略)カント・マルクスの《合意の力》こそ、旧い『弁証法の力』に替わるべき、民主主義と人間本性にぴたりと合致する社会改革の力なのである。」(「第五章 合意の力による変革」)
 マルクスの構想を、「生きた個人たちを大切にし、彼らの生活の心と身体の両面での人間的な自由な発展を希求する」(「序にかえて」)ものだという著者の考え方は、本書では一貫した通底音となっている。
 だからこそ、「多様な個人の意志の自由」によって形成されていく共同性というものを、カントやマルクスの構想の中に見い出そうとする著者の本書における試みは、極めて真摯な言葉として響いているといっておきたい。

(『図書新聞』11.7.2号)

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2011年6月11日 (土)

内村剛介 著、陶山幾朗 編集・構成                    『内村剛介著作集 第5巻 革命とフォークロア』            (恵雅堂出版刊・11.4.30)

 「ロシヤについて手にとるように鮮やかに語りうる唯一のロシヤ学者」(吉本隆明「『流亡と自存』跋」)、内村剛介(1920~2009)の著作集(全七巻・年二回刊)が一年ぶりに刊行された。その第5巻は、「革命とフォークロア」というモチーフによって編纂されている。編者の陶山幾朗は、「著者の『フォークロア』的視線は、眼前に進行する『革命』とはあくまで外被であり、マルクス主義という美名の下にロシアの大地を引っ掻いた一過性の事象に過ぎないのではないかという疑いと、その『革命』の中核に棲む『いかなる法にも束縛を受けぬ』無法の精神のうちに、伝統ロシアの民俗と地続きのカルチュアを見出してゆく」(「解題」)とそのモチーフをめぐって述べている。ここでいう「革命」とは、当然、ソビエトを生成させた十月革命とそれ以後のことであり、「フォークロア」とは、ソビエト未生以前のロシア的(本著作集は、“ヤ”ではなくすべて“ア”の表記としている)なるものを意味する。内村は、そのロシア的なフォークロアを、本書のなかで、「フォークロアは無名の民の創作の一切を含むものというのがロシアの考え方だ。したがって俚言、諺、地口、これすべてフォークロアとなる」(「ロシア風物誌(抄)」)と記している。さらにいえば、このロシア的フォークロアの基層には、「『いかなる法にも束縛を受けぬ』無法の精神」や「無名の民」、つまりロシア・ナロードの心性があるといっていい。
 わたしが、ロシアにあるいはロシア・ナロードニキに関心を抱き続けてきたのは、内村の誘いによってであることは、間違いない。そして、そこで内村の論述が示してくれたものは、ことロシア史固有のことではなく、わたしたちの現在においてもなお、未明の難題を包含するものであったのだ。
 「ロシアの十九世紀はロシアのネーションの在りよう、そのフォルムを求めて、西欧に従うべきか、それともスラブ固有の道を歩むべきかをはげしく論じあっていた。そしてそのとき行方を決める決定的存在としてナロードが浮上し、このナロードに対するリーダーシップをめぐってひとは相争うのであった。『ナロードナヤ・ウォーリャ(人民の意志)』という名の農民党が出来る。するとレーニンが『ナロード(人民)の友とは何ぞや』と言いはじめてそれを難ずるといったぐあいで、その行き着いたところは一九一七年のご存知“大十月革命”。そのさきさらに定石どおり農民党の後身エス・エル(社会革命党)への弾圧があった。」(「ロシア・ナロードの名誉回復」)
 「人間にとって奴隷の心性は、死が実存に対して与えるところのテロルに裏打ちされているだけに、抜き難いものがある。とすれば、ロシア・ナロードをフォークロアを介して奴隷の制度・心性に即してとらえることは、私たちの存在を根源的に問うことでもあるといっていいだろう。」(「ナロードの心性」)
 ロープシン=サヴィンコフの『蒼ざめた馬』や『漆黒の馬』を例示するまでもなく、ロシア革命前夜のテロルの問題は、現在、様々に頻出する抵抗の表象でもある自爆テロといった深刻な情況相へも敷衍できるといえる。現在的なテロルの問題は、他岸の事象ではなく、わたしたち自身の存在性をも喚起することなのだ。
 さて本書では、ロシア・ナロードを起点に、革命における暗部を、トロツキーの在り様を通して見事に照らし出しているのが、印象的だ。
 「トロツキーの場合は、革命の思想が、かれを捨てた。(略)かれが特許権を持っている革命の諸思想がいまトロツキーを捨てたのだ。(略)革命が死に、党が国家と同一視され、この国を保守しようとするとき、主役はスターリンに移って行く。」(「十月革命の残照」)
 「日本の『トロツキスト』をぼくはこれっぽちも信じない。ロシア人がついて行けなかったトロツキー、彼の冷酷な論理をフィジカルに見抜いていたロシア人たちのことがぼくにはわかるような気がする。革命のクライマックスには論理と心理とその表現とが密着している。そこでは、だから、トロツキーは当然主役だ。退潮がアンチ・トロツキズムをひき出して来るのもまた当然至極なことだ。アナーキズムというものは心理的ファクターを多分に持っていると思う。ロシア思想の本流はアナーキズムだ。だからアナーキズムの弾圧に際してレーニンは心を痛めたろう。トロツキーは『情況の論理』のみで明るくクロンシュタットを弾圧できた。」(「トロツキーと日本の風土」)
 ここでいう“クロンシュタット”とは、1921年3月に、ペトログラード (ソ連時代はレニングラードと称し、現在はサンクトペテルブルク)の北西にあるコトリン島の軍港都市クロンシュタットで生起した水兵たちの反政府蜂起(通例、“クロンシュタットの反乱”といわれている)のことを指す。最高軍事会議議長だったトロツキー指示の下、赤軍部隊によって弾圧・鎮圧されたのだ。マフノ運動弾圧とともに、ロシア革命史の暗部といっていいし、悲劇の革命家としてのトロツキー像へと至る悲劇の必然性を逆説的に示しているというべきかもしれない。
 「わたしは理念なるものが人間から生まれておりながら何故に人間のものでなくなるのかということこそスターリニズムの根源にある問題だと思う。だからスターリニズムは現代の思想の問題の根基にかかわるわけだ。」(「スターリニズムの原基」)
 吉本がいうところの「ロシヤ学者」内村剛介とは、このような場所に、絶えず、立っていたということになる。

(『図書新聞』11.6.18号)

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2011年5月13日 (金)

『“城ちゃん”在りき―城之内元晴回想文集』              (七月堂刊・11.1.20)

 六十年代中頃から七十年代前半期、全国的な叛乱と抵抗のムーブメントに呼応するかのように映画や美術といった表現領域において、様々な実験的試みがなされていった。わたしたちは、それらを商業的ではないアンダーグラウンドなる表現として、略してアングラ映画、アングラ芸術などと称していた。わたしが、東映やくざ映画群とともに熱心に見ていたのは新宿蠍座という小さな映画館で上映されていた若松プロ製作のピンク映画といわれた一群の作品である。若松プロには若松孝二、大和屋竺、足立正生、沖島勲といった気鋭の映画作家たちが結集していて、幾つもの傑作を生み出していた。当時は、当然のことながら大学映研、つまり大学の映画研究会といったサークルも、たんなる映画愛好者が集まるといった集団ではなく、ひとつの運動体として位置づけて活動していた。その象徴的なこととして、鈴木清順が日活を解雇されたことに対して異議申し立てをする鈴木清順共闘会議なるものが、68年に幾つかの大学映研を中心に結成されたことだ。だから、若松プロのなかの足立、沖島が、日大映研の出身であり、特に、足立に関していえば、在学中に撮った『鎖陰』というフィルムは伝説の作品として知られていたわけだが、わたしたちは、必然的なプロセスとして、そのことを了解していたといえる。
 城之内元晴(1935~86年)という映像作家、平野克己の言に倣うならば映像詩人がいた。わたしは、残念ながら城之内の作品は未見である。だが、日大闘争をめぐる一連のフィルム(『ゲバルトピア予告編』、『日大白山通り』、『日大大衆団交』)や、68年10.21闘争をモチーフにした『新宿ステーション』など、その作品の存在性を認知していたのだが、作家名を記憶に留めることもなく時間が過ぎてきたのだが、本書に接して、その邂逅に驚いたといっていい。そして、映像詩人としての“はじまり”が、日大映研であり、VAN映画科学研究所であったことを知り、その先導性にあらためて驚嘆した。
 本書の中で、城之内の一学年年長の平野は、日大映研について、次のように述べている。
 「今にして思えば、『日大映研』とは、若者たちの情熱が、あたかも運命共同体のように結集して、何事かを成しとげたグループだったと回想することができるが、(略)僕達は、この『日大映研』を、既成の映画界のもつ価値観と一線を画した、新しい映画とは何かを探り、その主張を実行する(自主映画を創る)運動体として自立させるのが急務だった。」(「追想“城ちゃん”~二十八年間の交友の中から~」)
 本書にも愛惜溢れる文章を執筆している足立(城之内より、二歳年少である)は、『アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブス』という論集のなかで、共同生活を通して「“場”としての運動形態を維持することを重要視したものだった」とVAN映画科学研究所について述べている。このように平野や足立から発せられる「運動」という言葉は、叛乱と変革を希求する極めて時代情況的な色合いを有しているとはいえ、既成(体制)の価値観への対抗ということで考えてみれば、現在的な意味においても、依然、表現行為のなかに潜在する難題性であり続けているといってもいいはずだ。だからこそ、城之内は苦闘し続けながらも、映像詩人であることを最後まで貫徹したといえる。あたかも、東アジア反日武装戦線による苛烈な闘争に共鳴しているかのように、77年、四十二歳の時、映画『アイヌモシリへの道』(制作・布川徹郎、演出・城之内、撮影・長田勇一、進行・磯村一路)を作ることを宣し、いまはなき『日本読書新聞』で、「薄明の無限に棲息する時間帯へ アイヌモシリへの道」と題した激烈な文章を記している。
 「映画は、国家が振り撒く幻想のユートピアに隷属している奴隷状態から自立せねばならぬ。ここに我々の映画の原初の、第一の、再生宣言が在る。幻想のユートピアとは、日本民族と日本国家と天皇制である。(略)我々の映画の主要な敵は、国家が産み出す擬制のユートピアである。/国家は、常に、幻想を生産する世界を重宝してきた。見給え! 其処では『神』も『仏』も哀れになるほどだし、天才達の錯乱、冒険家の不屈なる行動、貧民群の反乱さえも見事に掬い取られている。(略)我々の映画は出発の原点に国家との訣別、を置く。」
 作品は、「数千フィートの記録を殘していた」(平野)が、未完のままである。
 いま、その国家は、原発という自らが産み出した幻想のユートピアを自然の強大な力によって簒奪され自壊しようとしている。アイヌという原初の存在性によって国家を解体しようとした映像詩人・城之内元晴は、現在の光景を見て、どのような言葉を発するだろうか。たぶん、『新宿ステーション』で放たれた言葉たちが、反復されてそれはなされるはずだ。
 「ああ 地下には あてどもなく十月はやってくる/背広が ヒオドシの硝煙をつづり/背は 挑発性狂暴性憂鬱症でケンラン/あてどもなくコレダ!!/ゲバルトピアは予告する/我々は地下へ降りるのだ/廃墟は廃墟と続き/旗は 黒く亀頭を見せて沸つ/地下は幽界の光りなき光りが/歩み初める/そうだ諸君 十月だ」
 さて、これから半年後の二〇一一年十月に、わたしたちは、どんな〈場所〉に立っているだろうか。

(『図書新聞』11.5.21号)

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2011年4月 8日 (金)

イブン・イスハーク著 座喜純・岡島稔 訳・解説        『預言者の生涯 第二巻―イスラーム文明を創造した男の物語』(ブイツーソリュージョン刊・11.2.25)

 9.11同時多発テロから、十年が経過した。当時、イスラーム原理主義の組織、アルカーイダが引き起こしたとされ、わたしたちは、イスラーム教、イスラーム世界をめぐって、すぐさま関心を向けざるをえなかったといっていい。すでに、イスラエル・パレスチナ紛争というものが、何十年にもわたって、対峙情況が続いていたことを考えてみれば、アラブ・イスラーム世界は、政治的問題が宗教的位相と複雑に錯綜した断面というものを見せていることに、思い巡らすことは必然的なことであった。イスラーム教は、キリスト教、仏教と並んで世界宗教のひとつと見做されているわけだが、わたしたちは、そこに擬似的な文明性を偏在させ、イスラーム圏を後進域へ斥けてしまう視線を対置してしまっているといわざるをえない。例えば、9.11テロを予見したといわれたハンティントンの『文明の衝突』(96年刊)では、西欧文明対イスラーム文明、あるいは中華文明との対立・衝突を示唆していくものであったが、そもそも文明という概念自体、現在では破綻してしまっているにもかかわらず、そのような視線は、相変わらず欧米世界の優位性を潜在させたものでしかないのは、明らかである。わたしの少なからず知りえたイスラームとは、自爆テロを果敢に決起するといった苛烈な心情を胚胎していることに、その核心があるのではなく、ウンマという理想の共同体を描出していることにある。つまり、「『ムハンマドのウンマ』こそ神の下した真理を正しく地上に具現するものであり、正義の行われる理想社会の実現を目指し、神のよしとする祝福された聖なる共同体として、その全人類的使命が強調される」(平凡社刊『新イスラム事典』)というものだ。唯一神・アッラーフに絶対的服従を信とするイスラームならではの、ひとつの方位ともいえるし、イスラームが世界宗教とはいえ、場所性が西アジアから北アフリカへと連結していることに、そのことの証左を示しているといっていいかもしれない。
 本書は、アッラーフの啓示を受けて、神の使徒・預言者としてイスラームを説いたムハンマド(わが国では、マホメット、モハメッドなどと呼ばれてきたように、アッラーフも、アラーといった方が馴染み深い)の、八世紀に著された最古の伝記であり、アラビア語原典からの完全邦訳版である。ただし、わたしたちが、通例考える伝記とは、明らかに異貌な表出を湛えていて、いうなれば、伝承譚の集成といった色彩を放っている。訳者による第一巻での解説によれば、「それまでのアラブ史は」、「口承伝承を残すことによって形成されてきた」のだが、「イスラームの出現」によって「口承ではなく、文字として記録することが不可欠とな」り、「歴史の蓄積、継承、伝達において、アラブ民族の知的能力を飛躍的に向上させ」、「口承伝承から記述伝承へと、パラダイムの転換が起き」たという。わが国に視線を戻してみるならば、天皇伝ともいえる〝記紀〟が編纂されたのが、奈良時代であり、本書の原典が著された時期に照応していくことになるのだが、たんなる偶然なのだろうか。そのことを比較対照するのは、とりあえず留保するとして、本書へと分け入っていくならば、第二巻では、預言者となったムハンマドが、マッカ(メッカ)に住むクライシュ族との軋轢から、マディーナ(メディナ)へと移住し、先祖伝来の偶像崇拝を信ずるクライシュ族との三度の戦いを経てマッカを制圧し、イスラームの聖地とするわけだが、その最初の戦いである“バドルの戦い”までを描いている。そして、イスラームを異端視されるプロセスで、徐々にムハンマドの預言者としての膂力が輝いていく様が、伝承の断片を重層化させていくことによって、効果的に描出していく。象徴的なのは、ユダヤ教との確執の変遷だ。ムハンマドが、マディーナで、「ムハンジルーン(引用者註=ムハンマドとともにメッカからメディナに移り住んだ信徒たち)とアンサール(同=ムハンマドの教えに共感したメディナの住民たち)の関係を定め、その中でユダヤ教徒と友好的な協定を結」んだ文書には、「ユダヤ教徒は、信徒と共に戦うとき、戦費を分担しなければならない。アウフ族のユダヤ教徒(彼らの奴隷を含む)は、信徒と一つの共同体である。ユダヤ教徒にもムスリムにもそれぞれの信仰があり、それぞれの奴隷と個人の裁量があり、安全が保障される。しかし不正と罪を犯す者については、彼ら自身と彼らの家族を害することになる」とある。しかし、やがて、「神が御自分の使途を、ユダヤの子孫からではなく、アラブの子孫からお選びになったので、その事実に対する嫉妬、憎しみ、敵意から、ユダヤ教のラビたち(同=イスラーム教のウラマーと同じ宗教指導者・知識層)が使徒ムハンマドに敵対し始めた」ため、伝承者の言葉として、ユダヤ教徒たちは、「背信的で嘘を言う邪悪な民である」と述べられていく。「一つの共同体」であった友好的な関係から、敵対する関係になっていくプロセスが、既に八世紀に著したイスラームのテクストに記述されていることを知って、あらためて、イスラエル対アラブ・イスラーム間に横断する深い基層の亀裂に思いを馳せざるをえない。

(『図書新聞』11.4.16号)

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2011年3月26日 (土)

横田榮一 著『ハーバーマス理論の変換―批判理論のパラダイム的基礎』(梓出版社刊・10.7.10)

 ハーバーマス(1929~)は、わたしにと って、近いようで遠い存在であった。わが国では七〇年代から八〇年代にかけて、ドイツ・フランクフルト学派再考といった動きがあったわけだが、どうしても、西田学派や丸山学派といった学的権威のようなものを連想し、わたしは忌避してきたのである。その間、マルクス主義の呪縛を解き放つ潮流として、レヴィ=ストロースやフーコー、バルト、ボードリヤールといったフランス構造主義、ポスト構造主義の方へとわたしの関心は向いていったことになる。いくらか迂遠した視線でハーバーマスをめぐって述べていくならば、八〇年代前半、反核運動が生起した時、単独で運動への批判を徹底的に展開した吉本隆明と、論議応酬した何人かの論者のなかに、山本啓がいたのだが、彼は当時(現在もそうなのかも知れないが)、ハーバーマス研究者として知られていたことを、いまでも印象深く覚えている。また、一昨年、民主党を中心とした連立政権が成立し、いまとなっては、形骸化しつつあるマニフェストの中の中心理念として、「新しい公共」を推進するというものがあった。わたしは、すぐに、ハーバーマスの公共性論を想起したものだったが、立案者の意図は、もちろん知るよしもない。ハーバーマスの新著『ああ、ヨーロッパ』でも、そのモチーフが貫かれているようだ。さて、本書は、ハーバーマスの仕事の中でも、『公共性の構造展開』(本書の中でも後半部で触れている)と並んで、最重要著作でもある『コミュニケーション的行為の理論』をめぐって、「システム」と「生活世界」といったハーバーマス独特の二層概念をあらためて検証しつつ、その思考の枠組みを含む理論性の書き換え、つまり変換を目指した意欲的な論考集である。「新自由主義がフォーディズム時代のシステムに支配していた神話的力を打ち破ったと言っても、神話的力が消滅したのではない。それはむしろ変容したのである。今度は、その反復の力はその反復の一歩ごとに、ますます強力に、世界に分断と分裂を、格差を、そしてまた自らの崩壊の諸条件を生み出した。かくて今日新自由主義及び新自由主義グローバリゼーションがもたらした世界は破局に直面している」と「あとがき」で著者が述べているように、この先の未知を見通すこと、つまり、グローバル化した資本主義が加速度的に変容していくことに対して、いかなるパラダイムを対置すべきなのかということを本書は論及しているといっていい。そして入り口は、ハーバーマスが提示した「生活世界」と「システム」という二層概念となる。
 「私は人間達の一切の生活行為を通して再生産される世界を生活世界と呼ぶのであるから、経済及び政治システム自体がひとつの生活世界をなす。このように理解するとき、『生活世界』概念と『システム』概念は、もはやハーバーマスのように対置されはしない。私は諸言語ゲーム・生活実践が相互に織り合わされて構造化された生活世界をシステムと呼ぶのである。(略)とすれば、もはや生活世界に作用を及ぼし、それに病理的な歪みを加える『外』をハーバーマスの意味でシステムとすることができない。」(「第一章 システムと生活世界」)
 わたしなりの知見でいうならば、「生活世界」を内部的位相に、「システム」を外部的位相に擬定することができるはずだ。そして二層に分化する発想の淵源を、マルクスの上部構造・下部構造に求められるといってもいい気がする。しかし、そもそも、こうした分化させて考究する方途というものは、多様多層に複雑化した現在にあっては、ひどく、アナクロニズムな思考といわざるをえない(もちろん、上部構造・下部構造概念もそうだ)。著者は、それでも、ハーバーマスの画期的な思考に、丹念に近接し、あるいは離反しつつ、マルクス、フッサール、ウィトゲンシュタイン、ウェーバー、ルカーチ、アーレントらを渉猟しながら、複雑化した現在というものを浮かび上がらせようとしていく。そして、主題は、帝国アメリカの帝国たる矛盾の根源の剔出へと向かう。
 「新自由主義的グローバリゼーションが世界にもたらす矛盾と軋轢、それ故の世界の不安定性が今やアメリカ帝国とアメリカグローバル帝国にとっての真の敵となるのである。(略)世界の不安定性の源泉は、新自由主義の世界化と制度化にある。これが世界を不安定にしている根本原因であるが、(略)アメリカ帝国中枢部の世界像の中では遮断されてしまっており、その世界像の中では不安定性が所与として入り込んでくるだけである。(略)帝国は世界工作人として振る舞う。帝国は世界を帝国にとって好ましいものに作り上げようとする。ところが、この行動は必然的に矛盾、軋轢、貧困化、水平的暴力などを生み出す。新自由主義は暴力の水位を高めるのである。帝国にとって、この事態はそれとしてではなく、世界の不安定性、不確実性として現象する。」(「第八章 戦後資本主義の変容」)
 ここでは、帝国アメリカが世界を工作しようとすることによって生起する矛盾、軋轢、貧困化、水平的暴力を的確に指弾している。著者のこの解析にわたしなりの付言をしてみるならば、「アメリカ帝国中枢部の」「世界像の中」に「不安定性が所与として入り込」むことによって、世界工作人としての帝国性は、やがて自壊の素因を増殖していくことになるはずだといっていいのではないだろうか。

(『図書新聞』11.4.2号)

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2011年2月12日 (土)

上智大学グローバル・コンサーン研究所 国際基督教大学社会科学研究所 共編『グローバル化に対抗する運動ともうひとつの世界の可能性』(現代企画室刊・10.11.13)

 米ソ対立を基軸とした冷戦構造体制の終焉後、生起したグローバリズムというものの始まりは、国境を超えていくことによって、あたかも国家を開いて、あらたな社会が到来するかのような幻想を与えていたといっていい。やがて多国籍企業の台頭と拡大が、帝国主義的な植民地支配の変容であったことに気づき始めた頃、アメリカの一国帝国化が既に確立していたのだ。しかし、99年11月30日から数日間にわたって決起されたシアトルでのWTO閣僚会議への苛烈な反対行動(シアトル暴動とも称された)、01年7月のジェノバG8抗議行動(以後、反G8行動は、毎年のように苛烈な運動を持続していくことになる)、9.11テロ直前に刊行されたネグリとハートの共著『帝国』の鮮烈さ、そして01年の9.11テロといった一連のムーブメントや事象を契機に、反グローバリズム運動として大きなうねりをつくっていくことになる。以後、グローバリズムという概念は、アメリカ一国支配、帝国主義、覇権主義、新植民地支配といったことと同義になっていったのだ。
 ここ数年、反グローバリズム運動というものが、ある種の停滞性を余儀なくされてきたように思う。帝国アメリカの資本権力の弱体化や、軍事的戦略の失態(イラクやアフガンを象徴として)が露呈しだすようになってくると、帝国アメリカへの対抗を核とした反グローバリズムというものの内在性が希薄化するようになってきたからである。それは、直接的な抗議行動から、多様な対抗運動へと移行しつつあることを意味している。09年11月29日、上智大学四谷キャンパス中央図書館で開かれたシンポジウムでの講演や討論を加筆修正のうえ収録した本書が指向するのは、「対抗的である運動の性格をより的確に現していた」、「反」に代わって(あるいは置き換えて)、「もうひとつの世界」の可能性を模索し、主張することにある(シコ・ウィッタケル「世界社会フォーラム」)。発言者は、五人。ATTAC創設者のクリストフ・アギトン、世界社会フォーラム(WSF)発起人のシコ・ウィッタケル、ATTACジャパン運営委員の秋本陽子、そして、首都圏青年ユニオン書記長の河添誠、「素人の乱」の松本哉、他に討論参加者として中野晃一、幡谷則子。
 アルテルモンディアリスム(altermondialisme仏語:「もうひとつの世界主義」)と称される運動がある。新自由主義に対抗する新しいグローバリゼーションの運動とでもいうべきもののようだ。シコ・ウィッタケルは、「世界社会フォーラム(以下WSF)は、『「もうひとつの世界」を求める運動(altermondialisme)』として知られる国際的なうねりそのものと混同されてはならない」とし、次のように述べていく。
 「『もうひとつの世界を求める運動』による動員は、支配的なシステムに抗して、社会が行動を起こし、政府を選び直し、戦争による占領や人殺し、拡大する不平等、地球の破壊に終止符を打とうとするものである。WSFは、このうねりのなかで、これらの闘いに資するべく作り出された道具であった。(略)社会を運営していくような運動や組織に取って代わろうとするものではなく、闘いにおいて運動や組織を導いていこうとするものでもない。(略)ただ単に、社会運動が目的を達成する支えとなることだけを目的としている。」
 「市民社会を構成する組織が、目的、大きさ、取り組む対象の社会センター、行為のテーマとテンポにおいて、きわめて多様であるゆえに、市民社会は細分化され、全体としての力が削がれてしまう。この見解は、いまある世界と異なる世界を構築するために、行為の多様性と複数性が必要だという考えと、当然のことながら一致した。したがって市民社会層を、均質化することなく、連携を構築する方法が模索されねばならなかった。(略)まず何よりもネットワークの水平な関係がそうであるように、(略)政治組織や労働組合、政府が伝統的に構築してきたようなピラミッド型のヒエラルキー的な構造を必要とせずに、市民社会の連携を構築するためのオルタナティヴな道筋として認知されている。」
 わたしは、運動が指向していく道筋や目的の是非を問う前に、運動自体に内包するアポリアを超克していくことこそ切実だと思っている。WSF発起人のシコ・ウィッタケルのように、運動の有様に対して「うねりのなかで」、「闘いに資するべく作り出された道具」だとし、「社会運動が目的を達成する支えとなることだけを目的」とすると位置づけていくことに対して、まったく同意する思いだ。ピラミッド型ではない水平な関係のなかで、「行為の多様性と複数性」を汲みいれて、「市民社会層を、均質化することなく、連携を構築する方法」を模索するシコ・ウィッタケルたちの方位は、グローバル化に対抗する新たな運動の可能性を示唆しているといっていい。だから、「もうひとつの世界」の可能性とは、つまるところ運動自体に内包する多種多様な権力関係をいかに超えていくかということにかかっているといっていいのだ。

(『図書新聞』11.2.19号)

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2011年1月29日 (土)

つげ忠男・菅野修・うらたじゅん他 著『幻燈 11』               (北冬書房刊・10.11.15)

 漫画・劇画作品のアンソロジー集『幻燈』の第11集が、一年ぶりに刊行された。なによりも、つげ忠男の61頁にも及ぶ新作「曼荼羅華綺譚」を発表したことは、ひとつの“事件”だといってもいい。この作品は、「Websiteつげ忠男劇場」に01年発表されたものを前半部として、『幻燈 第8集』(08年1月刊)に28頁分掲載された。本集掲載の作品は、その後半部・完結編ということになる。よく知られているように、つげ忠男は、貸本漫画歴数年を経て、八年ほどのブランクの後、『ガロ』(68年12月号)誌上にて、「丘の上でビンセント・ヴァン・ゴッホは」という作品で漫画家としての再スタートをした。そしていま、四十年後の新作でも、モチーフは、ビンセント・ヴァン・ゴッホである。この符号は、何を意味するのだろうか。もちろん、ゴッホという存在性にまつわる際立つ才能そして狂気といったイメージが、つげ忠男という作家性と共鳴しあうからだといえなくもない。本書収録の原マスミとの対談で、つげは、「思い切り遊んでいます。もうべたべたに遊んじゃおうかと思って」(「『幻燈展』トークイベント・つげ忠男の世界『曼荼羅華綺譚』にふれて」)と述べている。もちろん、ここでつげが述べる「遊ぶ」ということは、独特の抑制したいい方だといっていい。例えていえば、ゴッホに皮膜のように覆い被さっている狂気・才能、そして死というものを戯画化というよりも遊戯化して描出するということを意味していると、わたしには思われる。釣り場を探して彷徨っていた男が、風変わりな男女三人と出会い邂逅していく物語であるが、淡々と男と三人の通交が描かれながら、奇妙な三人の関係性が徐々に露になっていくというものだ。やがて寺の住職と同居する女性の二人は、火災によって焼死し、ゴッホのように耳を切り取ってしまった絵描きの青年が一人残されたところで、物語は閉じていく。まるで、「性」と「死」をめぐって戯れるかのように、つげ忠男の筆致が自在に遊戯しながら、作品は表出されていると感受できる。そして読後、不思議な心地よさのようなものを湛えていることに気づかされるのだ。
 うらたじゅんの「ホットケーキ」もまた、まるでつげ忠男に呼応するかのように、自在な遊戯性というものを醸し出している。ミホという少女の母が、誕生日のケーキを買うために本を売るところから始まり、結局、ケーキは買わずに、屈託なく快活にホットケーキを作って誕生会に来たミホの友人たちに振る舞う。一転して、ミホの友人のユカリに焦点を当て、ミホの母とは好対照と思われるユカリの母を登場させる。そんな母の子であっても、快活に犬を散歩に連れて行くユカリを追って作品は終えている。そこでは、隠されエピソードとしてミホの母の行動があるのだが、貧しいもの・富めるものという差異を、肩に力を入れることなく無化していく試みを、この作品はしている。そしてやはりいいようのない心地よさを感じさせるのだ。
 ネズ実の「夜の光沢」は、これまでの作品とは違い、ベタを多用し、空白とのコントラストが、画像から動態感を放出している、力感溢れる作品だ。
 角南誠の「水辺の憂うつ」は、孤独な少女と少年と犬をめぐる寂寥感湛えた作品だ。犬を捨てざるをえない少年、なぜか、少年と犬に関わる少女。河岸の橋の下での通交。いつもの作品同様、静謐に淡々と物語は進んでいく。しかし、少女が妊娠していること、自分の身の処し方に悩みながらも、犬を保健所に通報して処理を付託することによって、やがて自分の身も結着させることを暗示させながら、雨が降りしきる場面で終えている。少女(この作品では、少年が中学生なら、高校生のはずだ)は、少年に比べれば、いつでも大人なのだ。しかし、それでも、イノセンスな時期であることには、変わりはない。生命あることへの慰藉、そして不安・恐怖というものは、現在という時空において、誰にとっても依然、難題性から逃れることはできないものだといっていい。
 西野空男の「トンマな肉屋」は、不安神経症的迷宮の世界を遊戯していく。そう、この作品もまた遊戯だ。何かから逃れようとして隘路に入り、またそこから這い出ようとして、迷宮を彷徨う。電車はその象徴的なモメントだ。甲野酉の「甘い女」では、男女間における遊戯的迷宮を衝撃的に描出していく。男に寛容的に振る舞う女の深奥は、ここでは少女性のままの迷宮世界の母型であり、女の寛容性に甘える男の存在は、少年性(幼児性)から抜け出ることなく迷宮世界をただ漂流するだけだということになる。とすれば、「水辺の憂うつ」の少女と少年は、不安なる関係性の迷宮のとばくちにいることの予兆が示されているといっていいかもしれない。
 他に菅野修「こころにちょっと悩みのある人々に」、山田勇男「燃えるようなオレンジ色の閃光で囲まれた青い横顔」、藤宮史「或る押入れ頭男の話・街のなか」、おんちみどり「昨日の床」、海老原健吾「Mは自分の名を嫌う」、斎藤種魚「橋役人」、金ゐ國許「困惑の正体としての不愉快~少年王者館『ガラパゴス』雑感」が、収載されている。
 
(『図書新聞』3000号―11.2.5号)


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