« 大野光明・小杉亮子・松井隆志 編               『社会運動史研究 3 メディアがひらく運動史』(新曜社刊・21.7.15) | トップページ | 『アイヌの世界に生きる』をめぐって思うこと »

2021年12月 4日 (土)

榎本了壱 著『幻燈記 ソコ湖黒塚洋菓子店』          (而立書房刊・21.7.17)

 本書の帯に、〝水と螺旋の寓話集〟と記され、中表紙を開けると表題の右側に〝セルロイドフィルムが カタカタ回って映し出す 明滅幻燈機のあやかし譚 奇想迷宮異界の十七篇〟の文字群が置かれている。そもそも書名の、〝幻燈〟にわたしの視線は引き寄せられていたから、〝寓話〟とともに、高ぶる思いを抑えながら本書の頁をめくっていったことになる。十七篇の作品には、著者による挿画(一作だけ、表紙デザイン担当の坂口真理子との合作)を配置し、巻頭に置かれ、副題となっている「ソコ湖黒塚洋菓子店」のみ書き下ろし作品となっている。他の十六篇は、『かいぶつ句集』という定期刊行誌に発表されたものに加筆、再構成したと巻末に記述されている。
 「瀧街の人々はソコ湖で水遊びしたりはするものの、決して中程にある湖穴には近づこうとはしない。ここに入るのは故人ばかりで、棺舟に乗せられてレイクホールに送り出される水葬儀を、この街では湖穴斎事と呼んでいる。だから瀧街には墓地がない。」「ソコ湖黒塚洋菓子店は、ソコ湖の湖畔にあった。黒塚緒似女という83歳になる老婆が珍しく経営する洋菓子店である。」(「ソコ湖黒塚洋菓子店」)
 そして、なぜか「ヘンゼルとグレーテルがソコ湖畔にやって来」て、「たまたま見つけた」ソコ湖黒塚洋菓子店に、「潜り込んだ」。黒塚のお婆さんとヘンゼルとグレーテルとの不思議な物語が語られていく。だが、この作品の最後の三行は、次のように述べて閉じられていく。
 「ヘンゼルとグレーテルは、お父さんと継母の4人で出かけた瀧街シネコンで、自分たちと黒塚お婆さんが登場する「ソコ湖黒塚洋菓子店」という奇妙な映画を、ポップコーンとコーラを飲みながら見入っている。」(「同前」)
 わたしが、惹かれるのは夢か現実かといった二律背反的なことではない。〈生〉と〈死〉の境界を無化することはなにかという問いに繋がることに関心があるのだ。あるいは、無化といった直截的な捉え方ではなく、ソコ湖には湖穴があるという設定によって、「瀧街には墓地がない」というイメージをいかに捉えるかということに繋がっていくかもしれない。
 だから、二百年以上前の『グリム童話』のなかの、「ヘンゼルとグレーテル」が、ソコ湖に現われる意味を問いたいとは思わない。むしろ、黒塚お婆さんは、「ソコ湖のレイクホール冥界管理人」であることに物語の中心はあるといいいたい。
 「玩具レンズの向うで粗悪な光源がパラパラまばたき、暗い幻燈機の明滅は、切りなく落下するパラフィン紙を映し出している。(略)ミヤザワケンジの電信柱男が傾きながら、送電してくる青い幻燈機の回転音だろうか。」(「黒いソンコ」)。「マキオは慌てて歩を早めて径を行くと、少女は同じ姿勢のまま径の中程にいた。しかしマキオとの距離が離れたわけでもないのに、小さくなったように見えた。その分背中の瘤が大きく見える。カメラの液晶画面を覗いているうち、また少女の姿は消えてしまった。」(「巻貝圖象学」)。「春の芽吹きの精気にやられてしまったのか、覚醒出来ないでいる幻燈機の曖昧な映像の中で、やたら暗くて眩しい世界に目を細めながら、確認しがたい奇体な獣たちの動静を窺う。」「ちょろの鰹節削り箱が、笑いながら瓢を口元に運んでくる。森の木立の葉陰の中の多くの奇体な影がざわざわ揺れ出し、それは大きな風音となって、私の全身に降(ふ)りおりてくる。」(「ちょろの鰹節鬼」)。
 「幻燈機の明滅」、「少女」の背中の瘤と「カメラの液晶画面」、「幻燈機の曖昧な映像」といった「幻」の様相は物語(寓話)を豊穣な装いへと醸成していく。異形なものであっても、そこには美醜の位相を無化していくことを漂わせていく。だから、〈幻燈〉記は鬱屈している現在を解きほぐしているといっていいかもしれない。
 一九七五年、本書の著者・榎本了壱は、萩原朔美とともに、雑誌「ビックリハウス」を創刊したことは、よく知られている。わたしは、店頭で「ビックリハウス」を手に取って見た記憶はあるが、内容的なことは、ほとんど覚えていない。関心の方位が交錯することがなかったからだといえば、やや不遜ないい方になるだろうか。いまこうして、榎本了壱が紡ぐ寓話集に接して、サブカルチャーがメインカルチャーを凌いでいく時代を疾走したことが、いい意味で投射しているといいたい気がする。

(『図書新聞』21.12.11号)

|

« 大野光明・小杉亮子・松井隆志 編               『社会運動史研究 3 メディアがひらく運動史』(新曜社刊・21.7.15) | トップページ | 『アイヌの世界に生きる』をめぐって思うこと »

コメント

久保隆さま

説書「幻燈記」丁寧に読んでいただき、評論いただいたことに、大変感謝いたします。引用された部分は、自分でもこだわって書いたところなので、とても嬉しく思いました。たくさんのものを書く力もありませんが、これを励みにまた少しずつ書いていきたいと思います。自分の、Facebookと、Instagramに紹介させていただきます。ありがとうございました。榎本了壱

投稿: 榎本了壱 | 2021年12月 4日 (土) 11時34分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 大野光明・小杉亮子・松井隆志 編               『社会運動史研究 3 メディアがひらく運動史』(新曜社刊・21.7.15) | トップページ | 『アイヌの世界に生きる』をめぐって思うこと »