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2021年7月 1日 (木)

『試行』について―――「戦後アナキズム紙片」

 わたしが、アナキズムという考え方に関心を抱いた契機は一人の小説家との出会いだった。高校一年生の後半、高橋和巳の『憂鬱なる党派』に接した。現代小説を読むことはほとんどなかったから、大きな衝撃を受けたことになる。遡って、『悲の器』、『堕落』(「文藝」掲載)、『散華』などを読み、六六年秋、『邪宗門』上下巻を一気に読み通し、混沌とした思想(観念)の領野をめぐっていったことになる。高橋和巳を通して、埴谷雄高を知り、高校の図書館にあった近代生活社版『死霊』を借りて読み、後に、『幻視のなかの政治』へ辿り着き、明確にアナキズムの内奥を見通すことになる。その後、六八年秋に刊行された吉本隆明の『共同幻想論』は、わたし自身が国家や権力の問題を開示していく確定的な論拠となった。この時に至っても、秋山清や内村剛介、大正時代の労働運動社とギロチン社の面々、そしてバクーニンには惹かれたが、それ以外のアナキズム的な思想家、運動家には関心がなかった。
 さて、紙片(紙誌)について述べてみる。十代後半から、欠かさず購読して読んでいたのは、『日本読書新聞』、『映画芸術』、『無名鬼』、『現代の眼』、『ガロ』、そして『試行』だ。『試行』は、六〇年安保闘争の翌年、谷川雁、村上一郎、吉本隆明の三人が創刊同人として発行し、十号で同人制を終え、吉本単独編集の雑誌となる。七四号(九七年一二月)で終刊。
 ひとつの時間を区切って誌面を見てみる。二六号(六八年一二月)から二八号(六九年八月)までの三号には、宍戸恭一「三好十郎」(六回から八回)、内村剛介「コングロメラ・デ・リュス(九)」、吉本隆明「心的現象論」(一二回から一四回)などの連載があり、毎号巻頭に配置されているのが、「〈情況への発言〉」である。内村剛介「呪縛の切断」、内村剛介/吉本隆明「二つの書簡」、吉本隆明「書簡体での感想」。特に「二つの書簡」で展開された吉本の羽仁五郎批判は、十九歳のわたしにとって痛快で刺激に満ちていたことを忘れることができない。
ーーー(月刊情報紙「アナキズム」第十六号ー21.7.1)

 

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