« 堀江朋子 著                             『西行の時代――崇徳院・源義経・奥州藤原氏~滅びし者へ』(論創社刊・21.1.20) | トップページ | 能登恵美子 遺稿集『増補 射こまれた矢』           ( 皓星社刊・21.3.7) »

2021年6月 1日 (火)

『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』を読む

 九〇年に公開された映画『悲情城市』は、わたしが初めて観た台湾映画だった。冒頭、ヒロヒトの玉音放送が延々と流れるなか、出産間近で苦しむ妊婦の声がかぶってくる。そして、男の子が産まれましたと産婆の声。画面は基隆港が映し出され、S.E.N.S.の鮮烈な音楽が流れる。物語は台湾の、つまり、日本の敗戦後、東アジアの混沌としていく情況を映し出していくことになる。この作品を契機に、わたしは侯孝賢[ホウ・シャオシェン]作品を、それ以前のもの、それ以後のものを観てきたことになる。また、侯孝賢(四七年~)の盟友、エドワード・ヤン(四七~〇七年)の『牯嶺街少年殺人事件』(九二年公開)は、さらなる衝撃を受けた作品だった。台湾ニューシネマとは、この二人の映画監督が切り開いた領野だった。本書の著者、朱天文[チュー・ティエンウェン](五六年~)は作家であり、脚本家として、侯孝賢作品の『風櫃の少年』(八三年)から『黒衣の刺客』 (一五年)までの作品に参加している。
 「まえがき」で、「三十九年前のこと、私は初めて侯孝賢に出会った」と朱は述べている。会った場所は、明星珈琲館の三階であった。表紙に配置された写真は同じ場所での、翌年、『冬冬の夏休み』の脚本をめぐって話しているところだ。撮影者は、エドワード・ヤンだという。
 「もし『風櫃の少年』が雰囲気と趣で、ドラマというより散文的な映画であるなら、『冬冬の夏休み』はひたすら語り続ける小説的な映画だ。『風櫃』のすっきりして味わい深い個人主義的なスタイルから、『冬冬』になると、侯孝賢は意欲的に個人主義を突破し、台湾独特の風土と情感を背景としたスタイルを確立したように見える。(略)侯孝賢が私たちに自信を与えてくれるのは、彼がいつも男らしく明るいからだ。宗教家の悲壮な心情で芸術の殿堂に向かって巡礼するのではなく、また革命家のように孤独で熱狂的に、この二年来の台湾ニューシネマを推し進めることに身を捧げているのでもない。(略)しばしば躓きもするが、彼はすぐに起き上がり、いつもまた嬉しそうに歩き出すのだ。」(「初めての侯孝賢論」)
 作家であることが、視線を揺らぐことなく侯の立ち位置を見通すことができると、わたしなら朱の言葉から素直に受けとめたくなる。
 わたしは、加藤泰にしても鈴木清順にしても、脚本を第一主義的に考えて、映画を撮る映画作家ではないことを知っている。侯もまたそうではあるが、朱たちと議論をしながら作り上げているわけだから、撮影中の停滞はありえない。本書の後段で、〇四年の、映画『珈琲時光』をめぐっての二人の対話を掲載している。そこには、侯が無意識のうちに隘路のような場所で停滞していることを、朱は柔らかく指摘しているが、応答は交差することはない。小津安二郎生誕百年を記念して作られた作品とはいえ、侯孝賢は小津作品に影響を受けて映画の世界に入っていったわけではないし、それほど、小津作品を知っていたわけではないことを本書では触れている。むしろ本書で知ったことだが、侯と朱たちは、小川紳介と通交していたのだ。本書の中で朱は「小川紳介監督とは一度しかお会いしたことのない私、朱天文がペギー・チャオと侯孝賢に代って筆を執り、小川監督とともに夢を追い奮闘してきた友人たちに向けてこの手紙を書いている。映画の世界では、私たちはすでに互いをよく知り、強いきずなで結ばれている。」(「小川紳介監督を悼む」)と述べている。
 『黒衣の刺客』から長い空白期を経て、ようやく次回作『舒蘭河上』が今年の後半にクランクインするようだ。期待したいと思う。

[朱天文著、樋口裕子・小坂史子編訳、竹書房刊]

―――月刊情報紙「アナキズム」第十五号―21.6.1

 

|

« 堀江朋子 著                             『西行の時代――崇徳院・源義経・奥州藤原氏~滅びし者へ』(論創社刊・21.1.20) | トップページ | 能登恵美子 遺稿集『増補 射こまれた矢』           ( 皓星社刊・21.3.7) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 堀江朋子 著                             『西行の時代――崇徳院・源義経・奥州藤原氏~滅びし者へ』(論創社刊・21.1.20) | トップページ | 能登恵美子 遺稿集『増補 射こまれた矢』           ( 皓星社刊・21.3.7) »