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2021年5月29日 (土)

堀江朋子 著                             『西行の時代――崇徳院・源義経・奥州藤原氏~滅びし者へ』(論創社刊・21.1.20)

 『西行の時代』という書名に、著者の溢れる思いが込められている。周知のように歌人、西行は鳥羽天皇の時代、北面の武士・佐藤義清として、平清盛とともに仕えていた。迷妄する天皇位継承と藤原摂関家の政治力の衰退がやがて、平家、源氏という武門、武家勢力の台頭によって、大きな転換期に向かっていく時期に、西行の生きた時代、歌人として生きた時代が照応していたということになる。わたしは、かつて歌人、西行という存在を国語教科書的に認知していただけだったといっていい。七六年に文芸誌『海』で吉本隆明の「西行」論が始まった。「僧形論」の後、「武門論」として連載が引き継がれていった時、西行は武士だったが出家したのかと、やや大げさにいえば衝撃を受けた。それは、たんに無知が露呈したに過ぎないのだが。
 「西行の出家の理由は具体的に追求していけば、どこかで立ち消えてしまう。だがこういう歌(引用者註・「出家した直後の体験を背後にひかえた歌」をさす)でたどった西行の心の劇をみると、歴史に加担するか宗教に加担するかの帰路にあって、宗教感情に就いたことは確かなようにみえる。(略)でも出家を決意し、実行することはどんなことで、どんな心の葛藤に出会い、周囲の人々とどんな疎隔に見舞われるものか、あたうかぎり複雑な陰影をこめて表現してみせた。それができるほどの力量ある歌人は西行のほかなかった。」(吉本隆明「西行論」)
 わたしは、吉本の西行像は、著者が想い描いた渦動する時代のなかで真摯に思考していく西行像と通底していると捉えてみたいと思う。
 著者は、若き義清(西行)と清盛の対話を次のように描いて見せている。
 「「目に見えぬ、それでいて人々を畏怖させる力。神や仏に近い力。永遠に続く力。それが欲しい」清盛は重ねて言った。/ややあって、義清は言った。/「目に見えぬ力? 永遠に続く力? そうだ民の力だ。民の力。それこそが永遠に続く力だ。畑を打つ、土を耕す、木を切る、猪を射る、機を織る、人が生きるために使う力だ。そして、この力は永遠に受け継がれる」/清盛は、義清の言っていることの意味が理解できずに、興ざめたような顔になった。」
 やがて出家する義清(西行)に、このように語らせる著者の思いは、深い。「人々を畏怖させる力」を求める清盛と、「人が生きるために使う力」は、「永遠に受け継がれる」と述べる義清(西行)の間には、大きな懸隔がある。思いを寄せる侍賢門院とその子崇徳天皇のことを心の奥に仕舞い込み、妻と三歳になる娘と別れ、西行は出家する。二十三歳の時だ。
 西行は佐藤家の祖にあたる奥州藤原家を訪れ、あらためて思う。「都の摂関家の浮き沈み、皇位争い、陰で天皇、上皇をあやつる女院たち。平家をはじめ、武者たちの勢力争い。在地の領主たちの土地を巡っての争い。平泉が孤塁を守ることはできないだろう、それが現世のさだめだ」と。西行が向かう先は、次のような世界だ。
 「その現世が厭わしくて出家したのではない、と改めて思った。人の生が愛おしいと思ったから出家したのである。滅びの予感があっても、負け戦であっても人は戦う。その生が愛おしい。」
 そして、〈時代〉は大きなうねりをもって、進んでいく。清盛の死を契機に、源氏再興の旗揚げをした源頼朝が平家と対峙していき、平家は滅亡した。「平家の栄華の時を知っている西行には、そのすべてが幻と思えた」のは、当然のことだった。西行は思う。
 「現世は幻なのだ。幻に縋って私たちは生きている。今という時も、桜の花びらのように儚く消えていく。」
 頼朝と義経の対立が、奥州藤原家を巻き込むかたちで露出していく。義経の死、奥州藤原氏滅亡。
 「秀衡の死に急かされるように、西行は生まれ故郷紀ノ川に近い河内国葛城山にある弘川寺に草庵を構え、嵯峨野から移った。やはり故郷は懐かしい。/ここで死を迎えたい。西行は七十歳を迎え、体力の衰えをしみじみと感じていた。」「歌を詠むことは、権威や武力、いや仏法思想をも超え、人間が造りだしたこの世の理すべてを超えた場所に、自分の魂を置くことだった。」「頼朝は「敵対する者、敵として滅んで行った人々、その縁者にも、情けの心を持って下さい」という西行の言葉を思い出していた。」
 著者が描く「西行の時代」は、けっしてこの国の中世だけを描出しようとしたわけではない。中世の時代を照らし出しながら、〈現在〉を開いているといっていいはずだ。西行に込めた著者の思いは、鮮烈だ。
 揺らぐことのない明晰な視線を持って、コロナ禍が拡がり、政治というものの空洞化が進む、〈現在〉の深層を捉えているといいたいと思う。

【付記】堀江朋子さんは、一月二日に亡くなられた。わたしが、最後に堀江さんとお会いしたのは、一昨年の十一月のコスモス忌(秋山清さんを偲ぶ会)の会場でだった。堀江さんとは何度も酒席を共にして楽しく歓談させていただいた。思い出は消えることはない。

(『図書新聞』21.6.5号)

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