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2021年3月 1日 (月)

「アイヌの手仕事」をめぐって

 わたしは、工芸家・芹沢銈介に長年、関心を抱き続けてきた。芹沢の仕事は、琉球・沖縄からの影響を見て取ることができる。一方、アイヌの仕事にも深い関心を寄せていた。
 「アイヌは古く日本から渡った工芸品を家宝として子孫に伝えてきたが、蒔絵のある漆器類をはじめ太刀、劔など内地では神社にしか見られぬほどの、中には鎌倉期にもさかのぼるものがあった。これらはアイヌの造ったものではないが、一般にアイヌ工芸として扱われてきた。一方その信仰、行事生活に根ざしてつくられた数々の木工品、太刀鞘、マキリ、ヒゲベラ、食器、道具類があり、織物刺繍による衣料のようにどこへ出してもひけをとらぬ真個のアイヌ工芸があった。」(芹沢銈介「北方の着物」、七一年十一月)
コロナ禍のなか昨年、久しぶりに日本民藝館を訪れた。「アイヌの美しき手仕事」展を見に行ったのだ。日本民藝館では四一年に柳宗悦と芹沢が企画して、「美術館で最初のアイヌ工芸展とな」(「手仕事」展チラシ)った「アイヌ工藝文化展」を開いた。今回、その時の展示を一部再現している。
 アイヌの切伏刺繍衣装には、独特の〈美〉がある。その文様が放つものは、「美しいのみならず、立派でさえあり、神秘でさえあり、其の創造の力の容易ならぬものを感じる」(「アイヌへの見方」)と柳が述べているように、ただただ、圧倒されるといっていい。二階奥の大展示室に掛けられた数多くの切伏刺繍衣装は、圧巻だ。柳は、さらにユニークな視線を放っていく。
 「なぜアイヌにあんなにも美しく物を作る力があるのだろうか。今も本能がそこなわれずに、美を作りだす働きがあるのであろうか。なぜ彼らの作るものに誤謬が少ないのであろうか。どうして不誠実なものがないのであろうか。」(柳「同前」)
 わたしは、宗教的なるものを信じたり、何がしか仮託することを一切しないが、宗教やそれらにまつわることを信じる人たちを批判したり否定したりすることはしない。アイヌの人たちのなかに神観念が中心にあるのは周知のことだが、なぜかわたしには、意識的にそのことを考えることなく、受け入れていることに気づいてしまう。まだ、明確な視座を持っているわけではないが、アイヌの共同体のなかに、自然との結びつきのなかから発生する〈カミ〉があるというのが、とりあえず、わたしなりの入り方となる。切伏刺繍衣装の有様は、ひとつの芸術作品のように見ることを可能にしているが、やはり、アイヌの暮らしという共同性が生み出した手仕事の象徴としてあるといいたくなる。そして、刀掛け帯、首飾り、煙草入れ、椀といった手仕事によって生起した生活用品は、見事にひとつの作品としてそこにあったといっていい。「アイヌ婦人は、幼時から針の運びを見習い、野でも浜でもそらんじた模様を砂の上に描いて確かめたり、また葉を編み結び文をくふうしたといわれる」(「同前」) と芹沢は、述べていることに納得する。

(月刊情報紙「アナキズム」第十二号―21.3.1)

 

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