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2021年3月20日 (土)

富岡幸一郎 著『古井由吉論  文学の衝撃力』          (アーツアンドクラフツ刊・20.9.23)

 古井由吉(一九三七~二〇二〇年)が逝去して一年経った。享年八十二が早すぎるのか、そうではないのか、判然としないが、やはり、やや早すぎるのかなと思う。わたしは、古井作品を熱心に読んできたわけではないが、『野川』(〇四年)までは、競馬エッセイも含めて断続的に接してきたつもりだ。それ以降は、やや遠くなったといっていい。だが、古井由吉なら単著での作家論が、何冊かあってもいいはずだ。しかし作品論や作品評は数多くあると思うが、本書が初めての古井論の単著ということになる。敢えて末端の読者の一人として述べてみれば、おそらく、やや晦渋な文章(文体)が古井論を表出することを困難にしているといっていいかもしれない。本書は、巻末に、著者と古井との対談二篇(八九年、一五年)が収録されていて、古井論を補完していることを強調しておきたい。
 ほぼ全作品に渡って解読していく著者の視線は、精緻にしかも深遠に射し入れていく。
 「「杳子」という作品の出現は、近代小説で描かれてきた「恋愛」の空間を新たな次元へと変容させつつ、そこでこれまでにない小説の可能性を示した。それは、恋愛という関係性を男女の心理や意識の領域から解き放ち、内面的な(自我と関わる)出来事として描くことの限界を超えていったことである。」
 著者が、このように「杳子」を捉えていくことに異論はないが、古井の作品世界を、「「恋愛」の空間を新たな次元へと変容させつつ、そこでこれまでにない小説の可能性を示した」といわざるをえないことに、古井論の難しさがあるといっていいかもしれない。だが、著者は、大胆に切開してく膂力をこの古井論のなかで示していく。
 「古井由吉は、(略)現代世界の実相を小説というジャンルによって最も先鋭に描き続けた作家である。硬質かつ緊密な抽象度の高いその文体の特異な小説空間は、一見すると現実を映し出すリアリズムとは異質のように思われる。しかし、現代世界の、その現実と社会の微細な流動を、これほど稠密に根底的に作品化した作家は他にいないのである。古井文学は、文学史の名称で「内向の世代」の文学などといわれたが、その作品はむしろ逆に、現実の外界の正体を描き出すところに最大の特色があるといってよい。」
 「現実の外界の正体を描き出す」といいきることによって、わたしなどが思い込んでいた古井由吉の世界を解体していく。代表作のひとつとして称揚される『槿』は、さらに脱構築していくかのように述べていく。
 「家族の親和性や血縁の桎梏が崩れ去り、社会の慣習性や伝統の秩序がことごとく無化され、人間が剥きだしの「個」として晒される虚無の地平が、この作品の真の舞台なのだ。」
 もちろん、わたしは古井由吉を「内向の世代」の作家として読んできたつもりはない。当たり前のことだが、古井由吉は、作家・古井由吉として屹立しているのだ。三七年十一月生まれの古井は、敗戦時、七歳であった。自分が七歳から八歳といえば、小学一年から二年にかけてということになるが、それなりに記憶は残っている。戦後生まれのわたしには、大きな様態が横たわっていたわけではないから、平凡な幼少期ということになる。戦禍のなかであれば、やはり大きな衝撃として記憶は残存し続けることは当然のことだといっていいかもしれない。
 古井は著者と一五年に行った対談の中で「今の作家が最も苦しんでいるところは、歳月というのが実につかみがたいということです。これは僕のような年寄りも、中堅どころの作家も、新人もそうだと思う。いま戦後七十年と言うでしょう。はたしてその七十年が長かったのか、短かったのか。(略)三七年には日華事変が始まった。それから間もなく総動員令が出て、それから四〇年に大政翼賛会ができた。その四年後には、僕なんかは無差別空襲の下を走っているわけです。あげくに原爆が落ちた」と述べている。
 古井の七歳時の記憶が、その後の作家活動のなかで、大きな源泉となったことを、著者に誘われるように了解することになる。
 「戦時下の災厄のなかに平穏があり、平和な日々のなかに残虐な破壊がある。いや恐怖と陰惨、安寧と快楽は同じ地平にあって、内は外であり、外は内となる。(略)古井作品の「可能性感覚」はさらに研ぎ澄まされはじめる。それは視覚の記憶にうちにひそむ、聴覚と臭覚の感受が驚くほどの密度をもって言葉で掬され作品を覆いつくしていくからである。」
 「視覚の記憶」が古井文学のひとつの核としてあることは理解できる。理念や理屈で理解することではない。感覚や視覚が記憶を濃密なものにしていく。そこにわたしたちが読むべき物語が開かれていくことになるといっていいはずだ。

(『図書新聞』21.3.27号)

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2021年3月 1日 (月)

「アイヌの手仕事」をめぐって

 わたしは、工芸家・芹沢銈介に長年、関心を抱き続けてきた。芹沢の仕事は、琉球・沖縄からの影響を見て取ることができる。一方、アイヌの仕事にも深い関心を寄せていた。
 「アイヌは古く日本から渡った工芸品を家宝として子孫に伝えてきたが、蒔絵のある漆器類をはじめ太刀、劔など内地では神社にしか見られぬほどの、中には鎌倉期にもさかのぼるものがあった。これらはアイヌの造ったものではないが、一般にアイヌ工芸として扱われてきた。一方その信仰、行事生活に根ざしてつくられた数々の木工品、太刀鞘、マキリ、ヒゲベラ、食器、道具類があり、織物刺繍による衣料のようにどこへ出してもひけをとらぬ真個のアイヌ工芸があった。」(芹沢銈介「北方の着物」、七一年十一月)
コロナ禍のなか昨年、久しぶりに日本民藝館を訪れた。「アイヌの美しき手仕事」展を見に行ったのだ。日本民藝館では四一年に柳宗悦と芹沢が企画して、「美術館で最初のアイヌ工芸展とな」(「手仕事」展チラシ)った「アイヌ工藝文化展」を開いた。今回、その時の展示を一部再現している。
 アイヌの切伏刺繍衣装には、独特の〈美〉がある。その文様が放つものは、「美しいのみならず、立派でさえあり、神秘でさえあり、其の創造の力の容易ならぬものを感じる」(「アイヌへの見方」)と柳が述べているように、ただただ、圧倒されるといっていい。二階奥の大展示室に掛けられた数多くの切伏刺繍衣装は、圧巻だ。柳は、さらにユニークな視線を放っていく。
 「なぜアイヌにあんなにも美しく物を作る力があるのだろうか。今も本能がそこなわれずに、美を作りだす働きがあるのであろうか。なぜ彼らの作るものに誤謬が少ないのであろうか。どうして不誠実なものがないのであろうか。」(柳「同前」)
 わたしは、宗教的なるものを信じたり、何がしか仮託することを一切しないが、宗教やそれらにまつわることを信じる人たちを批判したり否定したりすることはしない。アイヌの人たちのなかに神観念が中心にあるのは周知のことだが、なぜかわたしには、意識的にそのことを考えることなく、受け入れていることに気づいてしまう。まだ、明確な視座を持っているわけではないが、アイヌの共同体のなかに、自然との結びつきのなかから発生する〈カミ〉があるというのが、とりあえず、わたしなりの入り方となる。切伏刺繍衣装の有様は、ひとつの芸術作品のように見ることを可能にしているが、やはり、アイヌの暮らしという共同性が生み出した手仕事の象徴としてあるといいたくなる。そして、刀掛け帯、首飾り、煙草入れ、椀といった手仕事によって生起した生活用品は、見事にひとつの作品としてそこにあったといっていい。「アイヌ婦人は、幼時から針の運びを見習い、野でも浜でもそらんじた模様を砂の上に描いて確かめたり、また葉を編み結び文をくふうしたといわれる」(「同前」) と芹沢は、述べていることに納得する。

(月刊情報紙「アナキズム」第十二号―21.3.1)

 

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