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2021年2月20日 (土)

暮尾 淳 著『暮尾淳詩集 生きているのさ』           (川島書店刊・21.1.11 )

 暮尾淳、逝去の報(二〇二〇年一月十一日)に接して、思ったことは、最後に会ったのが、ちょうど一年前の一九年一月十一日だったということだ。そして、その日は、喫茶店で珈琲を飲みながらの歓談だった。わたしが、暮尾淳と親しく通交するようになってから、酒を飲まないことはなかったので、心に残る歓談だったといっていい。
本詩集は、二〇〇九年から一九年までに発表された詩篇から、遺族の方によって三十一篇(逝去後の二〇年に掲載された詩篇も含む)で編まれた詩集である。
 暮尾淳による表紙絵がいい。書名から暮尾淳の声が聞えてくる。
 「私鉄の駅のすぐ傍の/線路沿いのやきとり屋で/雪もちらつく夕暮れどきの/何度目かのガタンゴトンを聞き/焼酎のお湯割を飲んでいたら/(略)/お客さんはお幾つですか/カウンターの隣の白髪まじりの男が/とつぜん声をかけるので/七十六になるところですと応えると/お若く見えますねぇなのだ。/(略)/たしかに世界は荒む一方で/落語が好きだった伊藤さんも/そうではなかったろう石垣さんも/こんな人間文化のどんづまりを見ないで/この世からおさらばしたが/おれはそういうわけにもいかず/ゴットンゴトンゴゥオー/一輪挿しのくたびれた花びらを/ふるわせて電車はまた過ぎ/明日も生きているのさ。」(「生きているのさ」―[註・伊藤さんは伊藤信吉、石垣さんは石垣りん])
 暮尾淳の詩篇に接すると、詩語のなかにまぎれもない暮尾淳の呟くような声と発語が聞えてくる。そのような詩作品を、わたしは暮尾詩以外知らない。歳を聞かれて、「七十六になる」と応えたら、「お若く見えますね」といわれたということを描出していくわけだが、「お若く見えますねぇなのだ」といい切っていくことによって、独特の情感を湛えていくからだ。さらに、「たしかに世界は荒む一方で」と述べながらも、そこには皮相なメッセージ性を引き込まず、「明日も生きているのさ」と繋いでいく。
 巻頭に置かれた「スカイプ」は、次のように書き出されていく。
 「テレビ電話の時代など/考えもしなかったろう親父のことを/ふと思い出しながら/撫でたいなぁそのおかっぱ頭をといえば/ここはサッポロだからできないよと/パソコン画面の孫娘は/東京の四Fで缶ビール片手のおれにいい/あっ!じいじのカラスが鳴いている」
 酒場で一緒に飲んでいた時、わたしに札幌に転勤した息子さん一家が、孫たちと会話できるようにスカイプを設定してくれたことをうれしそうに話してくれたことを思い出した。札幌は、暮尾淳の生地で、だから、「親父のこと」と述べていくことになる。そして、この詩篇の最後の五行は、次のように結んでいく。
 「保を分解してイロホと号していた親父よ/あの世にスカイプ行ったなら/お袋も兄貴もあの姉も弟も/みんな本音で笑って泣いて/そんなやりとりできないものかな。」
 本詩集の巻末に略歴が掲載されていて、暮尾淳が参加した詩誌を確認できる。「未踏」、「あいなめ」、「コスモス」(第四次から終刊号まで参加)、「プラタナス」。九〇年、「騒」創刊。長く続けていた「騒」を終刊した時は驚いたが、二〇一五年に「Zero」を創刊し、毎号、暮尾詩を読むことができた。十三号(一九年十一月刊)に、掲載された詩篇に接した時、入院中であることは知っていたが、それでも、冷静に読めなかった。本詩集にも収めている。
 「なるようになるのは/死ぬこともそうだが/おれの心肺能力では/五〇行ほどの/そろそろちかいおれの死へ/という作品を/書こうとして/毎日病室で/粘ってみても/一行もできずに/眠る日々だから/先のことは/哀しいけれど/ケセラセラ/誰にもわからない」(「病室にて」)
 第十四号(二〇年五月刊)には、同人たちの追悼文とともに、本詩集の最後に配置された「病気の男」が掲載されているが、「病室にて」の方がはるかに辛い情感が伝わってくる。「死ぬこと」、「死へ」と言った言葉が、詩語として立ち上がることの難しさ、といいたくなる。わたしは、詩人ではないが、詩を愛唱し続けてきたという思いはある。そうであるならば、詩人が、必死に詩語を紡ぎ出そうとすることの意思は、生きていこうとすることの苦しみなのであろうか。「一行もできずに/眠る日々」があってもいいではないかと、いいたくなるが、それは詩人にかける言葉ではないことに気付いてしまう。
 暮尾淳は、わたし(たち)に多くの共感を与えくれた詩篇を紡ぎ出してきたからだ。

(『図書新聞』21.2.27号)

 

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