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2021年2月 6日 (土)

北村皆雄 聞き手/松村 修 編著                『沖縄・西表炭鉱 抗夫聞き書き1972』             (発行・樹林舎 発売・人間社 --20.11.16)

 本書の頁をめくり、「はじめに」へ視線を射し入れた。そこで不思議な感慨を抑えることができなかった。映画『アカマタの歌――海南小記序説/西表島・古見』の制作のために、出てくれた「村の人たちから聞いた話をもとに、西表島西部炭鉱生き残り元抗夫を聞き取り撮影したテープの書き起こし記録」が本書なのだが、「海南小記」は、もちろん柳田國男の『海南小記』に由来するが、「アカマタ」は、西表島古見部落の「アカマタ・クロマタ祭儀」(本書では「祭祀」としている)のことを指している。この祭儀は秘儀であり、撮影は禁止なのだ。「想像していたことではあったが、あまりの剣幕にやむなく我々は、撮影機材等を置き、撮ることをやめた。しかし祭りを観ることはできた。祭りが終わったあと村の十七軒の家族を撮影させてもらいながら話を聞いて回った」と述べている。
 わたしは、かつて「祭儀論―天皇制における共同体的構造」(八回連載・未完)と題した論稿を『天皇制研究』(JCA出版・80年1月~86年8月)という雑誌に連載していて、連載六回目は西表島古見部落の「アカマタ・クロマタ祭儀」を取り上げた。現地に行ったわけではなく、幾つかの研究書を手掛かりに論稿を進めていったことになる。いまこうして、本書に出会ったのも、なにか、ひとつの縁といっていいかもしれない。
 しかし、本書に接して、南島の列島群に炭鉱があったことは、まったく想起できなかったといえる。
「西表島で石炭が採掘されるようになったのは、明治十八年(一八八五)に三井物産株式会社が内離島で試掘をして、明治政府が西表島の石炭に関心を持ったことにはじまる。(略)昭和十二年(略)からの日中戦争を経て、最盛期には千人前後の抗夫を使役して(略)採炭が活発に進められた。(略)太平洋戦争後、炭坑(ママ)は一時アメリカ軍に接収され再開したのち民間に払い下げられたものの採算が合わず撤退となった。」
 そして、敗戦後も、そのまま西表島に残って暮らしつづけた人たちに、七二年、聞き取りを行ったことになる。
四十二歳の時、星岡炭鉱の募集をみて、昭和十三年に熊本から来たという日高岩一は語る。
「(炭鉱には何人ぐらい働いていたかと聞いたことに対しての応答)台湾人、朝鮮人からみんなで五十人くらいおったですね。台湾人は十四、五人おったでしょうな。朝鮮人の人は少なかったですね。五、六人でしたね。あとは内地人と宮古、八重山の人でしたね。」「(台湾の人や朝鮮の人はいじめられていたかと聞くと)いえ、皆同じことです。それは差別は無かったです。働きさえすれば、台湾人は、またよう働きます。」
 西表島には、幾つも炭鉱があって、それぞれで様相は違っていたと思われる。野田炭鉱で働いていた太田(名前は不明)は、次のように述べている。
 「炭鉱の親方としては差別はなかっただろうな。人手が欲しいから、じゃが一杯飲む時には差別はあったとみえるですね。日本人は必ず琉球もんとそのとき馬鹿にしたですからね。(略)台湾人なんかまだ下ですよ。」
 同じ野田炭鉱で働いていた福島出身の君島茂は、炭鉱で亡くなった人は、どこに葬られたのか尋ねたのに対して、次のように語っている。
「あんたらウタラ(宇多良)まで行ってみましたか、ウタラ。(略)あそこに墓地があるんですよ。墓地に全部納めてあるんですよ。そして亡くなった人に対する慰霊祭はよくやりましたよ。結局、親方自体も亡霊に悩まされたくないんだろうな。きついこと言っておってもね。もう年に三回はね山の神といって山の神祭があるわけだ。三、五、九とね、その明けの日は慰霊祭といって拝んでから、坊主呼んでね、懇ろに弔っていましたがね。」
 やはり、神宿る島だといっていい。
 台湾から西表に来た、周沈金と陳蒼明の二人の言葉は、過酷さを体験したことが滲み出ている。「時々バカヤロウとかね、この台湾のチャンコロとかね、言うばい」(周)、「もう戦争が止めたからよ、そのままこっちに居たわけさ。人夫は皆んな台湾に送り帰してよ、戦後よもう炭鉱やらんから皆な帰って、自分だけまた復興しようと思うてよ、炭鉱起こしてやろうと思うてよ、待っておったさ」(陳)と述べているが、炭鉱は辞めて農業をすることになる。南島からみれば、最も近い本土は九州である。そこには三池炭鉱があった。やがて、エネルギー源は石炭から石油へと移っていく。三池争議は五九~六〇年というまさしく六〇年安保闘争と重なっていく。
 南島の神々の祭儀の行われる島に、炭鉱があり本州から、朝鮮半島から、台湾から労働者あるいは請負人としてやってきたということが、ひとつの歴史的時間を持っていたことに、アジアが有する〈混沌〉を、わたしなら感受してしまう。

(『図書新聞』21.2.13号)

 

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