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2020年12月 1日 (火)

アイヌ、その始原的世界へ

 「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が、開館した。連日、TVCMが流れ、アイヌの民族衣装をまとい、何人かの若い女性が踊るシーンから広大な土地に異和感のある建物が映し出され、それが、ウポポイであることが喧伝される。そもそも、象徴空間といういい方に釈然としない思いが、わたしなら湧いてくるといっていい。
 〇七年、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択され、日本政府をはじめ百四十四カ国が賛成し、〇八年に、衆参両院で、「アイヌ民族を先住民族として認知すること」を満場一致で決議。一九年に、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」、つまり「アイヌ新法」が成立し、その成果が象徴空間(国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園、慰霊施設)を白老町に開設、今年、七月の開館ということになる。
 「(略)旧白老・アイヌ民族博物館は、いくらか柔軟な規定の下で地元のアイヌ民族によって運営されていましたが、新たに建て替えられる国立アイヌ民族博物館は日本政府の管理下になることです。より厳格な政府の監督下に置かれることが予想されます。」(テッサ・モーリス=スズキ「演出された民族共生」―『アイヌの権利とは何か』所載)
 問題は慰霊施設に象徴的に現われている。アイヌの人々の長い時間性のなかで最も屈辱的時間を強いられたのは、明治政府以降といっていい。同化政策という差別化の推進によって、「戦前から戦後にかけて、北海道、千島、樺太などの主にアイヌ墓地から人類学者たちが発掘して持ち去ったもので、北海道大学をはじめ全国各地の大学が保持し、研究対象にしてき」(殿平善彦「はじめに」―『同前』)たアイヌの人たちの遺骨を「象徴空間」の慰霊施設に移管する作業が実行されたのだ。ほんとうは発掘ではなく大多数は盗掘といっていい。本来はアイヌの人たちに即刻、返還すべきものだと思う。
 「今回のアイヌ新法は、アイヌを先住民族と認めましたが、「先住権」を認めていない。私らは空っぽの皿をもらったような気がします。(略)国が白老町に「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を作りました。菅官房長官が白老に来て、「これでアイヌの生活が良くなる」と言いましたが、その場所でアイヌが踊り、儀式を行い、それを見せることで、アイヌの生活がよくなるのでしょうか。ここでもまた和人のつくり話です。」(葛野次雄「父から子へ受け継ぐ」―『同前』)
 国会で、首相になった菅の答弁を聞いていると空洞感を払拭できないでいたが、国直轄の観光施設を「アイヌの生活」に連結させる偽善性がわかった。東北出身であれば、アイヌに親近感を抱くはずだという、東北出身のわたしの思い込みは菅にはあてはまらない。
 「現在の日本政府のアイヌに対する基本姿勢は、日本にはいまや先住権や自決権を有するようなアイヌ集団は存在しない、というものです。アイヌを先住民族と認めたからといっても、先住権や自決権を有するアイヌ集団そのものの存在を否定するのです。(略)明治以降のアイヌの歴史を見ると、日本政府自身が、先住権や自決権の主体たる集団を否定し、抹殺してきました。土地を国有地として和人に払い下げていくとともに、独占的、排他的に支配していた自然資源もアイヌ集団から奪いました。」(市川守弘「アイヌ先住権の本質」―『同前』)
 ここで、わたしは、市川には申し訳ないが、「和人」とは誰か、あるいは何かという疑念があるといいたいと思う。「アイヌ」と「和人」はどう違うのか、まったく別の係累というべきなのかということである。そこには、曖昧な歴史時間が流れていることに注視すべきなのだ。
 「日本列島人は、一万七千年くらい前に東南アジア大陸の沿岸部から移動して住みついた「スンダ型歯列」の旧日本人(縄文時代人、アイヌ人にその特徴がおおく保たれている)と、二千年ほど前、日本列島に移住してきた「中国型歯列」の新日本人(弥生時代に特徴がおおく保たれている)の二層から成り立っているとかんがえられている。」(吉本隆明『母型論』)
 吉本が、ここで論及していることは、日本列島人(あるいは和人)は、純粋なかたちで生成されてきたわけではないということを滲ませている。
 「弥生時代、或いは縄文時代の末期に新たにモンゴロイドが大陸から直接に、或いは朝鮮半島を経て北九州に上陸し、(略)彼らは大和に王朝をたてて北へ進んだ。(略)南へも進んだ。(略)この渡来者であった大和人は先住民と混血しながら、その勢力を拡大していった。」(『同前』)
 わたしたちが、思考を巡らしていくべき先は、従来のつくられた記紀神話の世界を、アイヌの神話(『ユーカラ』)や南島の神話によって相対化していくことだといいたい。アイヌの始原の先を見通すことによって、列島の偽装された時間性を解体していくべきなのである。

(月刊情報紙「アナキズム」第九号―20.12.1)

 

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