« 虚無の情感、無限の優しさ――鮎川信夫『宿恋行』 | トップページ | 「貸本マンガにこだわり続けた人―ちだ・きよしさんを偲んで」 »

2020年11月21日 (土)

加藤英彦 著『歌集 プレシピス precipice』         (ながらみ書房刊・20.8.31)

 第一歌集『スサノオの泣き虫』から十四年、待望の第二歌集が届いた。歌集名の〝プレシピス〟は、聞き慣れない言葉だが、「危機的な状況や断崖の謂いで、この数年、集団的自衛権や沖縄の基地問題、原発の再稼働や憲法改正など、政権は急速に危うい方向へと舵を切りはじめたように思う。そんな暗鬱な時代への喩をこめ」たと作者は「あとがき」のなかで述べている。この二十年間を振り返ってみても内と外で様々な大きな動態に接してきた。そして、理不尽なことへの憤怒から親近なる人たちの〈死〉へと、わたしたちは、年齢を重ねながら遭遇し、多様な時間を経てきたことになる。

 ひとつずつ忘れてゆけばいつの日か生まれし海にもどれるかもしれぬ
 いま夢はどのあたりなるあの沖にいつかは母もねむる日がくる
 なびくことなき隊列として山の腹には千本の杉の直立
 声をしぼれば昏き淵よりくさぐさの語りつくせぬもの立ちあがる

 海や山へ思念を飛翔させてみれば、生と死の往還を絶えず透視できるような気がしてくる。生と死は断絶して、あるのではなく連続したもの、円環しているものとして、想起させてくれるからだ。
 「いま夢はどのあたりなる」と語る作者の思念のなかには長い時間が胚胎し続けている。だから、ほんとうは「ひとつずつ忘れてゆけば」いいというわけではないのだが、忘れることは、けっして哀しいことではない。
 「千本の杉の直立」は、確かなものとして、わたしたちを喚起させてくれる。諦めることはない、「語りつくせぬもの」を立ちあがらせるのだと、いってみたくなる。

 土ふめば足裏にうすく纏いつくガジュマルの影 沖縄の翳
   辺野古の海をとりもどせ――。
 掌のなかにまだ小石ほどの熱もてば鳴らせる鐘のすべてを鳴らせ
 ふくろうが翔びたちてゆくもうだれも泳ぐことなき海の冥さへ

 「足裏にうすく纏いつく」ふたつの影・翳が鮮烈だ。列島の人々は、ふたつの影・翳の有様を感受しなければならないと思う。そして、その先へ視線を走らせることを忘れてはならない。作者は、影・翳を起点として、「鐘のすべてを鳴らせ」といい、「海の冥さへ」と向かっていく。滾る想いは南島を照射する力となっていくはずだ。しかし、だからといって、視線は絶えず地を這うようにして向けていくべきだと作者は語っていると思う。列島と南島の間には深い暗渠が横断しているからだ。そこを少しずつでも埋めていかなければならない。

 いつかわたしも消える日が来むその日まで騙しつづけてゆけわたくしを

 「いつかわたしも消える日が来む」、確かにそうだと思う。だから、「騙しつづけてゆけ」と鼓舞することの思いは切実だ。十四年という月日に、どんな意味があるのかなどとは、わたしは思わない。たぶん、作者もそうだと思う。一年も十四年も、わたし(たち)にとっては、同じ時間があるだけなのだ。

 燃える水のありかをめぐり百年を諍いやまず国家というは

 「燃える水のありか」は、様々なことの暗喩だといっていい。そこには、原発の蒙昧も南島の苦渋も、息苦しさの現在も胚胎していると見做していいと思う。だから、「暗鬱な時代」を生き続けるわたしたちは、「国家」を相対化していく視線を手放してはならない。「わたくし」から、絶えず、「国家」を透徹していく方途を見定めていくことを、〈プレシピス〉の歌群たちは、叫んでいるからだ。

(『図書新聞』20.11.28号)

|

« 虚無の情感、無限の優しさ――鮎川信夫『宿恋行』 | トップページ | 「貸本マンガにこだわり続けた人―ちだ・きよしさんを偲んで」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 虚無の情感、無限の優しさ――鮎川信夫『宿恋行』 | トップページ | 「貸本マンガにこだわり続けた人―ちだ・きよしさんを偲んで」 »