« 石川捷治・中村尚樹 著『KUP選書 1                スペイン市民戦争とアジア―遥かなる自由と理想のために』(九州大学出版会・20.8.31) | トップページ | 大澤正道著[解説・森元斎]『石川三四郎 魂の導師』     (虹霓社刊・20.8.31) »

2020年10月24日 (土)

山田邦紀 著『今ひとたびの高見順               ――最後の文士とその時代』(現代書館刊・20.6.25)

 高見順(一九〇七~六五年)を、わたしが意識的に関心を抱くようになったのは、七十年代か八十年代か判然としないが、『いやな感じ』(六三年刊)という作品を知ってからだ。『故旧忘れ得べき』、『如何なる星の下に』といった戦前期の作品ではなく、晩年の『いやな感じ』と詩集『死の淵より』によって、高見順が親近な作家として、わたしのなかでかたちづくられていったことになる。同じころ、タレントの高見恭子(高見順が亡くなる直前に養女として籍に入れている)がテレビに出て父は高見順であると公言していたことに不思議な感慨をもったといっていい。高見順自身も私生児であった。
 高見順について、わたしはほとんど知らないできた。日本民藝館に行った時に、日本近代文学館に何度か訪れたことはあるが、創設に尽力をしたことは知っていたが、それ以上の関心を向けることはなかった。
 本書は評伝である。「四苦八苦して自分なりの工夫を試みたつもりだが、「高見順を通して見た昭和史」という目論みが成功したのかどうかは正直わからない」と著者は「あとがき」で述べているが、読み終えて思ったことは、作家である前に一人の人間として高見順(高間芳雄)が時代情況とどう関わってきたのかということが、鮮明に浮かび上がってきたといっていい。そしてそれは、『いやな感じ』を書き上げたことにつながっていき、わたしは高見順の有様をあらためて考えることになったのは、本書を読み通したからだと率直にいいたいと思う。
 高見順の父親は福井県知事・阪本釤之助(長兄は永井荷風の父)である。「当時の知事は官選知事で、絶大な権力を持っていた」のだ。阪本が、「三国を巡察した際、三国の高級料亭「開明楼」」に四日間、滞在した時の接待役が地元の「美貌の素人娘であるコヨ」だった。この時に高間コヨは阪本の子を身ごもる。明治三九(一九〇六)年のことである。「私生児であるという事実は、高見順を生涯にわたって苦しめ続けた」と著者は述べていく。認知を拒み続けた父とは、葬儀に参列したが直接会うことは一度もなかった。
 母と祖母の三人が三国を離れて上京したのは、高見順がまだ一歳の時で、〇八年九月だった。「釤之助邸のすぐ近くだ」った。
 府立一中(現・日比谷高校)、一高、東京帝大と進学していく。府立一中四年生時、大正十二(二三)年の九月、関東大震災が生起する。高見順はその頃、有島武郎に惹かれていたが、やがて、「大杉栄の作品を読むようになる」。著者は、「白樺派とアナーキズムの間には距離感があるものの、順の中ではそれほど矛盾しなかった」として、高見順の次のような言葉を引いていく。
 「調和的なヒューマニズムと破壊的なアナーキズムの間に一見つながりはないようで、私にはそこに自我の重視という点で共通するものを見た。ヒューマニズムが自我の確立を私に教えたとすると、アナーキズムは自我の拡充を私に教えた。」(高見順「青春放浪」)
 多感な十代半ばを思えば、大杉栄から、「自我の拡充」を喚起されるということは、庶子として生まれ育ってきた自分を律するための原初の有様だったといっていいはずだ。だから、震災時の「大杉栄・伊藤野枝が殺された甘粕事件」に衝撃を受けることになる。そしてそれは、晩年の傑作『いやな感じ』に結実していく。事件の深層を著者はかなり詳細に述べているが、直接、本書を読んで欲しいと思う。高見順は戦時下に報道班員として満洲に渡り、甘粕正彦(敗戦直後、自死)と何度も会っているということも興味深い。
 小説を書き始めるのは、一高入学以降である。そして帝大時代、三好十郎、壺井繁治らと『左翼芸術』を昭和三(二八)年に創刊、初めて筆名・高見順を使用し、「秋から秋まで」という作品を発表する。
 「順は昭和八年一月のある日、日本プロレタリア作家同盟城南地区キャップとして街頭連絡に出ている時に逮捕され、大森署に留置された。」
 「拷問を受けて転向」し、釈放されたのは三月の初めだった。その間、最初の妻、石田愛子が離れていく。二年後、水谷秋子と再婚。
昭和十六年十一月、陸軍報道班員として徴用されビルマ派遣となる。サイゴンに向かう船の中で、日米開戦を知る。その後、十九年六月からは、中国へ。帰国は十二月十日。翌年、敗戦。
 そして、高見順が、「私としては渾身の勇と力をこめて書いた」作品『いやな感じ』を著者は次のように述べていく。
「「いやな感じ」はアナーキストでありテロリストでもある主人公を中心に、昭和初期から昭和六(略)年の満州事変、昭和十一(略)年の二・二六事件を経て昭和十二(略)年に始まった日中戦争までの約十年間の激動期を描いた作品で、作家・川端康成は「異常な傑作」と激賞した。」
 『いやな感じ』の雑誌『文学界』での連載は昭和三十五年一月号から三十八年九月号までだ。あの〝六〇年安保闘争〟が苛烈化していく時期に連載が始まっていったことに、不思議な繋がりを感じる。そして、現在(いま)は、それから六十年という時間を経てきた。
 〝今ひとたびの〟と書名に関した著者の思いを、わたしは真摯に受け止めたいと思う。

(『図書新聞』20.10.31号)

 

 

 

|

« 石川捷治・中村尚樹 著『KUP選書 1                スペイン市民戦争とアジア―遥かなる自由と理想のために』(九州大学出版会・20.8.31) | トップページ | 大澤正道著[解説・森元斎]『石川三四郎 魂の導師』     (虹霓社刊・20.8.31) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 石川捷治・中村尚樹 著『KUP選書 1                スペイン市民戦争とアジア―遥かなる自由と理想のために』(九州大学出版会・20.8.31) | トップページ | 大澤正道著[解説・森元斎]『石川三四郎 魂の導師』     (虹霓社刊・20.8.31) »