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2020年8月 1日 (土)

石井正己 著『現代に共鳴する昔話 異類婚・教科書・アジア』(三弥井書店刊・20.1.10)

 著者は柳田国男の世界をわたしたちの世代が考えてきた受容の仕方とは、幾らか角度を広げ、多層なかたちで捉えていくことを、これまで指向してきたといっていい。例えば、わたしなら、柳田の『遠野物語』を、吉本隆明の『共同幻想論』に倣って共同体の禁忌の物語として解読していくということを課してきたといっていいが、そのことは、もう少し拡張して捉えることで、〈現在〉という時空を見据えることもできると思っていたからだ。
 「思えば、柳田国男研究を進めてきたのは民俗学者ではありません。民俗学者はアカデミズムの確立に向けて、民俗学を科学にするのと差し替えに、柳田を仰ぎながらも個性をはぎ取ってしまったように見えます。民俗学者が進めようとしなかった研究を全面的に受け止めたのは、吉本隆明や橋川文三、後藤総一郎といった思想史の人々でした。柳田国男は思想家として評価されたのです。そうした刺激は歴史学や人類学、社会学、国文学、教育学など幅広い分野に及びました。」(「柳田国男とグローカル研究」)
 六十年代後半から七十年代にかけて、吉本、橋川、後藤に導かれるようにして柳田の〈思想〉に触れていったのは確かだが、わたしには、菅江真澄への近接感が柳田の民俗学的方位と交錯していったという僥倖があった。 
著者は重ねて述べていく。
 「例えば、現代社会が抱えている親殺しや子殺し、孤独死、そして大震災からの復興を考えるときに、『遠野物語』は大きな示唆を与えてくれます。柳田国男の思考は今も決して滅びていないと断言することができます。」(「同前」)
 そして、本書の書名にもある「昔話」という言葉をめぐる問題がある。柳田は「昔話」ということに拘泥していた。
 「木下順二は、太平洋戦争の深い反省から、次々と民話劇を発表して民衆運動を進めました。民話劇は社会が直面する現実の課題と向き合うことを使命感とし、民衆の話そのままではなく、新たな命を吹き込まなければ意味がないと考えました。柳田国男は新しい時代の思想を盛り込もうとする「民話」という言葉に対して、最晩年まで不快感を隠しませんでしたが、それほど社会的な影響が大きかったのです。そうした民話劇の象徴とも言える作品が「夕鶴」であり、ぶどうの会によって長く上演されました。」(「異類婚姻譚の系譜」)
 わたしたちは、ともすれば、「昔話」も「民話」も古くから語り継がれた物語というイメージを抱くかもしれない。もちろん、そういう一面もあるとは思うが、木下順二の「夕鶴」が、「民話」から想を得たとしても、それは新たな創作作品というべきである。「夕鶴」が、大きな影響力を持って、異類婚姻譚の「鶴の恩返し」と一体化されて「民話」として拡張され流布されていくことに危機感を柳田が抱いたのは当然というべきかもしれない。
 わたしは、「夕鶴」を観ていないし観たいと思ったことは一度もないが、民衆運動といういい方で語られるものが、実は民衆の存在を希薄にしていくことになることを知っているつもりだ。
 『遠野物語』が、共同体、つまり共同性に孕んでいる問題を照らし出しながら、そこで生活している人々の心性を露わにしていくことに衝迫性を持っているといっていい。だから、著者の視線は次のようなかたちで柳田の苦闘を称揚していくことができるのだ。
 「重要なのは、「心の繋がり」や「精神生活の帰趨」を見つけ出そうとする点です。柳田にとっての昔話というのはそれ自体に魅力があるというより、日本人の「心」や「精神生活」を知るための素材であると考えていたように思います。柳田が昔話にあれほどの情熱を注いだのは、自分の方法を鍛え上げるための最も重要な場所だったからにちがいありません。」(「昔話研究の未来をどう考えるか」)
 著者に誘われて、柳田国男の鮮鋭な〈像〉がかたちづくられていくことに、わたしは、素直に共感したいと思う。

【付記】
 著者は、本書の最後で次の様に述べている。
 「今から二〇〇年ほど前に東北地方を歩いて、民俗を記録し、絵画に残した菅江真澄という人がいます。(略)菅江真澄の絵画の中には、今も残っている民俗もあれば、消えていった民俗もあります。先月(引用者註・一四年一〇月)、秋田県立博物館で行った講演では、「菅江真澄の残したものを世界記憶遺産に出してはどうか」と提案しました。(略)秋田県の若い人の関心が薄くなっている菅江真澄の価値を、世界的に意味づけることができるからです。」(「無形文化遺産と日本」)
 一八年九月に、秋田県立博物館で菅江真澄の没後百九十年記念展があり、その図録は、「菅江真澄、記憶のかたち」と題されていた。「記憶のかたち」は、著者が提案したことを継承したのかもしれない。ところで、ちくま文語版『柳田國男全集』(全32巻)のカバー表紙絵は、すべて菅江真澄の「民俗図絵」から採っている。

(『図書新聞』20.8.8号)

 

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