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2020年6月13日 (土)

雨宮処凛 編著                            『ロスジェネのすべて――格差、貧困、「戦争論」』          (あけび書房刊・20.2.20)

 〝ロスジェネ〟、つまりロストジェネレーションとは、日本において、バブル経済崩壊後の就職氷河期世代のことを指し示し、七四年から八四年生まれをカテゴライズして総称している。わたしが、もっとも印象深く感じたのは、フリーターという言葉が、かつての旧左翼が好んで使用した労働者と等価な、あるいはそれ以上に拡張した意味で使われ、フリーター労組が結成されたのは、〇四年だった。〇五年から、メーデーの時期に、「自由と生存のメーデー」を始めていく。わたしは四七年から四九年に生まれたベビーブーマー世代(堺屋某が命名したダンカイと一括りするような捉え方に異議を持っているから、わたしは使用しない)の最終年生まれだが、なにか隔絶した時間の流れを思わないわけにはいかなかった。なぜならわたしたちの世代は、多様性があった。わたし自身も含めて積極的に就職しようとしなかった(あるいは、様々な事由で就職できなかったといいかえてもいい)人たちが多くいたから、就職氷河期ということに悲惨さよりなにか空しさのような思いを抱いたといっていい。
 それでも、当時わたしは、本書の編著者、雨宮処凛や対話者の一人、松本哉が様々なかたちで発信したことを鮮烈な印象を持っている。その時から、十五年以上の時間が経過した。
 本書での雨宮処凛(七五年生まれ)との対話者は、倉橋耕平(八二年生まれ、立命館大非常勤講師)、貴戸理恵(七八年生まれ、関学大准教授)、木下光生(七三年生まれ、奈良大教授)、そして松本哉(七四年生まれ、「素人の乱5号店」店主)だ。
 雨宮は、かつて右翼団体に入った後、そこから離脱し、現在を堪えず見通す立ち位置を持続させている。
「私が23歳の頃、小林よしのり氏の『(略)戦争論』(略)が出版された。/『戦争論』は、多くのロスジェネにとって「初めての政治体験」となった。そうして『戦争論』以前から小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』(略)の熱心な読者だった私は、その時、右翼団体に入っていた。/ロスジェネは、もしかしたら「右傾化第一世代」ではないだろうか。」
 さらにいえば、若い世代の右傾化を象徴する言葉としてネットウヨ(ネット右翼。もちろん若い世代だけではなく、たんにネットにはまってしまった、わたしと同世代の人たちもいるだろう)があるが、そのことも、ロスジェネとリンクしていくといっていいはずだ。倉橋は次のように注目すべき発言をしている。
 「日本(=祖国)を考えること自体に自己啓発性があり、自分に喝を入れる作用もすごくある。それは、日本という国家と自己を同一化させるアイデンティティへの志向がそうさせるものだと思います。実際に90年代は、自己啓発本がブームになり始めた時期でした。」
自分と国家は絶対同一化しないと考え続けてきたわたしにとってみれば、愕然とする事態を倉橋は切開している。
 「難しいけど、一つ言えるのは、自分の中だけの問題にしないで、関係性のなかに問題を開いていってほしい。脳内で暴走しないで、実際に付き合うなかで生身の相手に触れてみてほしい。」(貴戸)、「(註・雨宮のどうしたら「自己責任」論を超えられるかという問いに対して)講演会とかで、歴史をふまえたうえで、日本社会これからどうするの?みたいな話を最後にするわけです。で、どうしても「自己責任」が大好きで、なおかつ社会を壊したくないなら、もう江戸時代に戻るしかないぞ、と言っています。」(木下)
 貴戸が述べる「関係性のなかに問題を開いてい」くということは、凄く切実なことだ。これは、「自己責任」論にも通底していく。〇四、五年頃、フリーターの孤独死(自死)を知って言葉が出なった。「貧しいのも、不安定なのも、正社員になれないのも結婚できないのも将来の見通しが立たないのもすべて自己責任。おそらく、ロスジェネはその価値観をもっとも内面化している世代だ」と雨宮は述べている。そんな皮相な自己責任という幻想は拭い払うべきだと声高に叫んでも、自死していく若い人たちには、残念ながら届かないのだ。
 「ちゃんとして生きるのは無理ですよね。うちらの世代というのは、成功してる人もいるし、困っている人もいる。あるいは本当に勝手なことをやって、金はないけどすごい自由にやっている人もいるし、いろいろいると思うんです。(略)今更ね、そんな真面目に生きようなんて考えたって意味ない。(略)適当に勝手にやって、ざまあみろって最後に言って死ぬのを目指したらいいと思うんですよね。ざまあみろって言える生き方を、皆ですれば。」(松本)
 松本は一見苛烈に述べているようだが、関係性を開きながら生きていくことをシンプルに言っているのだと思う。自分を責めて関係性を閉じていくことは、暗渠に入っていくことになるからだ。暗渠は国家や国家に準じた社会が作り上げた幻想でしかない。そういう幻想は解体すべきだと言っても、残念ながら、彼ら彼女らにはなかなか届かないかもしれないが、本書をぜひ読んで欲しいと思う。

(「図書新聞」20.6.20号)

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