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2020年6月 1日 (月)

吉本隆明との〈通交〉をめぐって

 詩人の清水昶は、かつて「青年期につよい影響を受けたひとに出会うのは、いまでもわたしには怖い気がする。埴谷雄高、吉本隆明、谷川雁、この三人には、わたしは会いたくなかった。(略)『鮎川信夫著作集』完結記念講演会で大それたことに司会などをやったとき吉本さんが講演した。そのときわたしはボーッとあがってしまった。吉本さんとはひとことも口を利かなかった」(『詩人の肖像』八一年刊)と述べていたことがある。わたしは、昶さんより、ひと回り後の世代だから、谷川雁からは、ほとんど影響を受けていないので、埴谷、吉本となる。埴谷さんには十代後半に初めてお会いし、その後、友人とインタビューをした。吉本さんの講演は何度も聞きに行っているし、学生時代、講演録を起こしたこともあるが、直接会って話したいと思ったことは一度もなかった。昶さんのように、「怖い」ということではなく、著作世界に接し続けるだけで充分であり、そのことに共感性を抱き続けることでいいと思っていたからだ。
 八三年頃に、吉本さんの長女で漫画家のハルノ宵子(多子)さんと親しくなり(いまでも、交流は続いている)、どうしても、多子さんに伝えなければならない用件があり、電話をして、もし吉本さんが出たらどうしようと思いながら、ダイヤルを回したところ、お母さんの和子さんが出て、ほっとしたことを思い出す。
 その後、〇五年に『秋山清著作集』(ぱる出版)の編集にかかわることになり、吉本さんに推薦文をお願いすることになった。万事休すである。電話をかけ、多子さんに取りついでいただき、初めて、声を交わす。終わってみれば、著作世界だけでと固執していたことは、けっして声高に言うべきことではなく、粛々と関係性は開いていくべきだと思うようになった。わたしの妻が、俳句を通して和子さんと手紙のやり取りをしていたこともあり、その年の吉本家の忘年会と、翌年の花見の会から二人で参加することになった。
 九六年夏、吉本さんは水難事故に遭った。奇跡的な回復後、精力的に執筆活動を続けた。わたしがお会いしたころは、足腰が大分弱くなったころではあったが、変わらず、いろいろな話ができたのは、貴重な体験をしたといま思っている。
 『秋山清著作集』[全十一巻・別巻一]が完結し、「現代詩手帖」で特集を組むことになり、巻頭に吉本さんへのインタビューを掲載することを発案し、吉本さんに快く引き受けていただいた。〇七年六月五日のことである。自宅に伺い、わたし一人で吉本さんと五時間ほど話したと思う。二人だけで会っていたことに、特に緊張することもなく、中程からは、本題から離れて様々な話題を横断するかたちで談笑したといえる。もちろん、掲載するのは、詩の雑誌なので全部を収録できなかったが、なかでも、わたしにとって深い印象を抱いた吉本さんの発言を紹介したいと思う。
 「詩のほうで二十代、三十代の人たちの作品を読むと、なんかこれから後のことを考えたりすることが、お年寄りと同じで、億劫で億劫でしょうがないという感じなんですね。(略)それなら、いい詩を書くために踏ん張ったという作品を出してくれればいいですが、そういうものもないんですね。(略)詩を考えるみたいなところで、難しいことしか言えないなら、それはそれでいいから、詩らしくしてくれと思うんですが、そういうものもない。」(「現代詩手帖」〇七年一〇月号)
 これは、詩の世界のことだけではなく、若い世代の混迷様態を切開しているといっていいと思う。
 その後、〇八年五、六月に春秋社の仕事で、『第二の敗戦期』という本を進めて、吉本さんに起こした原稿を提示したが留保されてしまった。その頃、なぜか数多くの留保された本があったようで、吉本さん逝去後、次々と刊行された。多子さんは、父が引き受けたものはすべて刊行するという判断をされて、わたし(たち)の『第二の敗戦期』は、一二年一〇月に刊行した。
 「気心の知れた友達同士で同人誌を作るみたいな感覚を持ち、三人以上いればしっかりした集団ですので、そこでいろいろなことをやってみる。つまり、ここだけはすこし自由・平等なんだという、三人ぐらいでそういうものを作っていく、ということがたくさんできていけばいいと思っています。」(『第二の敗戦期』)
 吉本さんの優しい視線は普遍性を有しているのだ。

(「トンボ 10号」20.6.15)

 

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