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2020年1月18日 (土)

構 大樹 著『宮沢賢治はなぜ教科書に掲載され続けるのか』(大修館書店刊・19.9.10)

 宮沢賢治を、漱石や太宰以上に世代を超えたかたちで知らない人はいないといっていいはずだ。詩作品と童話作品というジャンルにもかかわらず、いや、だからこそ、小学生から大人までという幅広さで「賢治受容」というものが戦争期を挟みながら持続されてきたといえる。それは、賢治作品が途切れることなく教科書に掲載され続けてきたからだというのが、著者の捉え方で、その深層を切開していくことが本書のモチーフということになる。著者は次のように述べていく。
 「〈宮沢賢治〉が肯定/否定を問わず言及され、語られるときの枠組みを析出し、どのような意味づけがなされたのか、それを成立させた環境とはどのようなものだったのかを、歴史的に解き明かそうとするものである。そうした検討を賢治受容の活性化と、将来的な展開をうながす糸口にしたい。」(「はじめに――賢治受容の不思議」)
 わたしは、「なぜ教科書に掲載され続けるのか」という問い掛けを起点として、ひとつの賢治論は成立しうるのだろうかと、書名を見たとき理解できなかった。だが本書の著者の力点は、継続性、持続性の解明だけにあるのではなく、戦時下から、敗戦後の「教科書」における賢治受容の有様にかなりの焦点を当てていることで、「受容の活性化と、将来的な展開」というあらたな賢治理解の位相を提示していくことに、新鮮さをわたしは感受したことになったといっていい。
 媒介軸として著者は、没後発見された遺作を契機に「「雨ニモマケズ」的な人間性への評価」をあげる。さらにいえば、「〈宮沢賢治〉が肯定/否定を問わず言及され」るのは、まさしく、「雨ニモマケズ」に生起したことだといっていい。わたしは、小学低学年時(一九五六、七年頃)に近所の友人宅に行った際、居間の壁側に手書きした「雨ニモマケズ」が貼られていたことを鮮明に記憶として刻まれてしまったといえる。ミヤザワケンジという名前とともに怪しげな詩篇が七歳の子どもにどう影響を与えたかは思い出すことはできないが、後年、賢治の世界に親近性を抱いてからは、「雨ニモ」の世界をできるだけ避けて通ることになったのは間違いない。
 「一九四二年に大政翼賛会文化部が編纂した『詩歌翼賛』第二輯への「雨ニモマケズ」採録がある。(略)同冊子に採られたという事態は、「雨ニモマケズ」から当時の総動員体制に資する文学的価値が、さらには賢治に「日本精神」を代表する詩人としての価値が、文壇/政治の思惑が複雑に絡み合った組織としての大政翼賛会文化部に見出され、承認されたことを意味する。」(「第二章 「雨ニモマケズ」という生き方」)
 戦時下において戦争賛美の詩篇を数多く表現した高村光太郎とともに収められているのだが、「雨ニモ」は、戦時下に発表されたわけではないから、戦争協力詩と理解することはできない。吉田司に『宮沢賢治殺人事件』(一九九七年刊)という苛烈な著作があり、そのなかで国柱会との関わりをもって戦争推進派に賢治を入れるのは無理がある。
 「肯定的な評価が一方的に集約される環境のなかに〈宮沢賢治〉はあった。だからこそ「雨ニモマケズ」と賢治を積極的に称揚する機運が、総動員体制の長期化にあっても、着実に高揚していったに違いない。そして、このとき「雨ニモマケズ」の〈宮沢賢治〉の図式が大きな力を持ったのだ。」(「同前」)
 そして戦時下に、「満州開拓青年義勇隊訓練本部編『国語 下の巻』(冨山房、一九四三年)という準公的な教科書」に「雨ニモマケズ」が掲載されたのだ。その頃の「〈宮沢賢治〉は、〝滅私奉公〟の文学的形象化を達成した詩人として、また優れた農業実践者の模倣像として、強い公共性を帯びていた」(「第三章 「雨ニモマケズ」教材化の前夜」)と、著者は捉えていく。そして、そのことはある意味、戦後へと繋がっていくことにもなるのだ。
 「戦後国定教科書は(略)新たな教材を選び、GHQの検閲を経た上で、一九四六(略)年度の授業に間に合せ」るという時間的な逼迫があったから、「賢治作品に光を当てたのではなかったか」と著者はみる。
 「ストックされた文学的遺産から戦後の今・ここで意義づけられるものを教材にしようとしたとき、「雨ニモマケズ」や賢治童話から読み取られた「時局」との距離(略)は、選定にあって有利に作用しただろう。(略)共同体を維持させるのに有用であることは、(略)「雨ニモマケズ」で十分印象づけられていた。」(「第四章 「どんぐりと山猫」と民主主義教育」)
 その後、「やまなし」や、「注文の多い料理店」、「永訣の朝」など、多くの作品が教科書に採用されていく。
 「賢治受容の持続にとって国語教科書に採られることは、賢治作品の多くの潜在的な享受者の前にひらかれるだけでなく、そこで〈宮沢賢治〉のアクチュアリティの更新が行われるという点でも重要だと、さらにいい直すことができる。国語教育で扱われるということは、今、ここの価値の更新作業そのものと言ってよい。」(「第七章 「グスコーブドリの伝記」の再創造」)
 著者は、八六年生まれ、現在、清泉女学院中学高等学校の教諭であり、本書は博士論文を基にしたもので、初めての単著ということになる。
「賢治受容」という視線によって、鮮鋭な賢治像が描出されたといっていい。

(『図書新聞』20.1.25号)

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