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2020年1月11日 (土)

丸山健二 著『丸山健二 掌編小説集 人の世界』       (田畑書店刊・19.8.30)

 掌編小説の掌を〝てのひら〟と読む。だから、掌編はてのひらほどの短さという意味を持たせている。かつてわたしは、川端康成の『掌の小説』(七一年)を読んだだけだから、掌編小説に通底しているわけではない。だから訳知り顔に語ることはできないが、丸山健二の掌編小説集とは意外な思いを抱いたが、丸山健二的ではあるなと確信したといっていい。それは、丸山健二の『生きることは闘うことだ』(朝日新聞出版刊・一七年三月)を読んでいたからだ。こちらは、全四行の短いエッセイ集とでもいえるものだが、そこに込められた激しい言葉の表出は、『人の世界』に連結していくと感受できたといっていい。
『人の世界』は、『われは何処に』(一七年、求龍堂刊)と『風を見たかい?』(一三年、同社刊)を「組み方を替え、加筆・修正を施したもの」だという。
 「風をみたかい?」は、「風人間」を象徴化して、物語っていく連作集といえなくもない。
 「おれは世を避ける者などではない。/世のほうがおれを避けることはあっても、その逆は断じてない。/おれこそがまさに自由の第一人者であるというれっきとした事実は、永遠の始まりを想わせてくれそうなこの風が見事に証明している。」「「風人間」を自認してやまぬおれは、口笛をやめて鼻唄に切り替える。人に明かしてはならぬ一身上の事柄など皆無だ。」「「風人間」にとって社会を保全する義務はなく、国家は無益であり、国境は無用な代物でしかない。」「生は死を減殺し、死は生を減殺することで、不朽性が失われずに済み、ために、永劫に滅びない存在という形がしつかりと保たれるのだ。」
 「国家」、「生」と「死」、これらの言葉は通底音のように丸山健二の発語の場所として横断している。例えば、『生きることは闘うことだ』のⅡ章「家族や国家を過信してはならない」のなかの「国家とは」には、次のような言説が展開されている。
 「国家を当たり前なものとして、空気や水や食料のようにしてありがたがるのは、明らかな誤りで、また、それなしでは一日たりとも生きてゆけず、たちまちにして混乱の極みに投げこまれてしまうという伝統的な考えに無意識にしがみついていると、自我にまつわる基盤が根底から覆され、自己を失ってしまう。」「国家はひとつの悪だ。それも巨悪だ。その悪に比べたらやくざの悪など実にちっぽけなものでしかない。(略)民主国家の神話なんぞにけっしてだまされてはならない。」「国家なんて幻だ。」
 わたしは、丸山のこれらの発語を苛烈とは思わない。なぜなら、わたしもまったく同じ考え方、捉え方、認識の仕方をしていると感受できるからだ。
 「われは何処に」を見てみよう。「無害な分だけ面白味に欠けた人々が、どんな風の吹き回しなのか、突如としていっせいに、(略)荒くれた発想がもたらす叛逆の方向へと、半ばやけ気味に舵を切った」は、何気ない記述のように読めるが、「叛逆の方向へ」と惹起していく様態は、想像できる、いや、正確に述べれば想像したいのだ。
物語は、多様に表現できる、しかし、直截に表現する作家、思想家は極めて少ない。丸山健二は、芥川賞受賞後数年、二十代半ばで、文壇世界に囲い込まれることなく、信州で自立した表現活動を続けてきたのだ。
 「雑魚は見逃してやるからさっさと消えちまえと、そう事もなげに言って澄ましている、定年間近の情のこまやかな刑事は、それでもまだわずかばかりの誠実さが残っている素行不良者どもの後ろ姿を見送りながら、なんとも複雑なため息をそっと漏らし、さほどの理由もなしに世を拗ね、死をもってちっぽけな罪を贖おうとする若者の急増に心を痛め、(略)家路を辿る足どりは重くもなければ軽やかでもなく、(略)二十年も前の夏の真っ盛りに病死した妻の位牌の前に座ってからは、いつものように長いこと動かずに時間を忘れ、言うならば、湯冷めにも似た心境をずっと保ちつづけた。」
 集中、最も惹き込まれた世界だ。定年間近の刑事は、世情に抑えがたい憤怒を抱いている。だが、帰宅して待っているのは、二十年前に病死した妻の位牌だ。「長いこと動かずに時間を忘れ、言うならば、湯冷めにも似た心境をずっと保ちつづけ」てきた心情は、凄いと思う。「国家なんて幻だ」と言い切る丸山健二だからこそ、描出できる世界だといっていいはずだ。

(『図書新聞』20.1.18.号)

 

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