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2019年9月 1日 (日)

山田勇男・著『白い夢』の世界へ

 何年か前に、山田勇男が漫画作品を久しぶりに描き始めることになったと聞いた。映画『シュトルム・ウント・ドランクッ』(2014年)の後に来る作品として、わたしは、待ち続けた。ようやく、届いた『白い夢』のカヴァーを開いてみると、扉には、次のような献辞といっていいものが記されている。

  おお、動け、妄想(ヒメーラ)―。
           埴谷雄高『死霊』

 山田勇男から埴谷雄高の名を聞いたことがあったのかどうか、覚えていないが、こうして『白い夢』を手にとってみると、なんの異和感もない。いや、むしろ埴谷的世界は、ある意味、山田勇男の世界、そのものではないかと確信する。
 開巻、見開き頁に海岸の全景。桟橋に煙をはきながら停泊している船。遠くにも一隻の船が航行している。海岸の手前で少女が自転車を止めている。右側に桶をふたつ担いで歩いてくる男が配置されている。男は何気なく少女の方へ視線を向けているかのようだ。少女はこの画像だけに配置されていて、以後、描かれていない。

  小学五年生のとき/理科の時間に宇宙の/話を聞いていると、まるで/自分が
  地球から宇宙のなかに/放り出されたような感覚になって、/汗ばんだ手で机に
  しがみついたことが/あった。

 このような書き出しから始まるモノローグを鮮烈な陰影の画像に重層化させながら物語化していく山田勇男の『白い夢』の世界に、わたしは思わず惹き込まれていく。それは、かつての“瑠璃シリーズ”とは、幾らか位相の違うイメージを喚起してくれたからだ。賢治的宇宙、足穂的宇宙から超え出て、埴谷的世界、そしてつげ義春的世界へと、山田勇男の視線が凝集していったからだといいたい気がする。
 五頁の三コマの画像、上段右の画像は、一本の樹が細く高く延び、遠くに小島のようなものが描かれ、男が樹を見つめるように立っている。そして、埴谷的言辞。

  虚空。/日の沈んだ/ウツロナソラ。/孤影。//夜に/溶けてゆく。

 上段左の画像は、三本の樹の脇の小道を男が歩いていく。「ふらりを/辿りゆく」には、“傍点”を付しているのは、そこにつげ的世界を山田勇男は託したいからだと思う(註・引用では、傍点は略)。

  虹を渡るように、/ふらりふらり。ふらりを/辿りゆくのだ

 下段は、三本の樹を後方に、“白い道”を男が歩いてくる画像だ。
ここまでの静謐が画像から山田勇男の〈幻視〉は、苛烈化していく。それは、「初めての目暈の年/一+一が二ではない」という確信が喚起されたからだといってもいい(六頁)。
わたしも、長く長く、そしていまだに《一+一が二ではない》という感覚に拘泥し続けている。ロジカルなものへの批判・否定ということもあるが、考え方や大げさにいえば生き方のようなことは、“一+一は二である”というような割り切り方で捉えることはできないものなのだといえるからだ。

  どうして そう思ったのか、/自分でも よく解らない。/総てに対して信じき 
  れ/ない覚えたてのような、/納得いかない不条理/を了解してしまった/のか
  も知れない。

 山田のモノローグでは、そのように語られていく。
 次頁で、骸骨体が、帽子を被った男に向かって、「今晩わ。/ボヘミアの/旦那!」と語りかけて、物語は、《深淵》へと向かっていくことになる。
そして、九頁に林檎が描出される。帽子を被った陰影の男が林檎を手に取って、皮を剥き出してから、急変していくことになる。
やがて、終景(十六面)では、“うじ虫と骰子”だ。うじ虫を手から離し、“ハッハッハッハハハッ”という声とともに、水面へと落とすと骰子となって浮かびあがり、“六ツ目”の面に、中黒が一点付されて、“七ツ目”が現われる。

  とうとう/七ツ目の/骰子が出たぞ、/―無惨な。

 〈七ツ目の骰子〉は、この作品の中心だ。“六ツ目”ではなく、“七ツ目”とはなにか。それが、まさしく、《一+一が二ではない》という山田勇男的宇宙観なのだ。“無惨な”としながらも、可笑しみを湛えていることによって、山田勇男の世界は、“一+一は二である”という現況を解体していくことになるのだ。

  何んといじらしいこと。/悟りとは絶望するちから、か。

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※山田勇男・著『白い夢』(虹霓社・A4判・20頁・19.4.3発行)
本体1,500円(税抜)+送料185円。
虹霓社のネットショップ、タコシェほかでも販売。

 

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