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2019年8月 5日 (月)

開かれた思考が伝わってくる

 情況誌、思想誌というものが、ほとんど見かけることがなくなったここ数年、いや十年近い時間性を見通してもいいかもしれないが、16年2月創刊の『フラタニティ』は、意欲的に情況的なるものに対峙し続けている。わたしが関わってきた『アナキズム』は、15年5月発行以降休眠中である。『フラタニティ』は創刊以降、季刊ペースを維持して、切実なる情況に視線を投射してきたことを、わたしは驚嘆しながら望見してきたことになる。第14号の、「特集:沖縄を自分の問題として考える」は、表題に感心した。沖縄が置かれている情況や政治的、思想的、歴史的な事象に関して、政治的な運動体の方向性に制約される立場ではなく、まず、自分自身の問題として捉えていくということを、最も切実なことと思うからだ。ひとつだけ例示してみれば、次のようなことだ。
 公明党が自民党と連立政権を組んで二十年になる。それは、かつて非自民の細川連立政権の一角を担っていた公明党とは、まったく別様の政治政党に変容したこと示している。第二次安倍政権になって、皮相な九条改憲を進めることに加担していることを、もはやなんの痛痒も感じないまま、ついには、沖縄の人たちを見放している創価学会=公明党の罪過は大きい。だから、創価学会員の野原義正氏の「三色旗を掲げデニー勝利に貢献」の寄稿は、様々なことを伝えてくれたといっていい。
 わたしたちは、そもそもイデオロギーや考え方、信の有様で生きているわけではない。もちろん、様々な指針の契機として綱領的な思考を根拠にすることを否定はしない。しかし、人と人との関係性は、僅かな重なりでも繋がることができることを忘れてはならない。個々は、みな共通の考え方を確認できるとしても、百パーセント同じことはありえないということを前提にすべきだ。多様な考え方のなかで、繋がることを模索することは切実なことではないかと、わたしなら思う。だから関係性は閉じてはならない、開いていくべきなのだ。『フラタニティ』をみればわかる。多様な考え方に開いていることを。

(『季刊 フラタニティ』No.15---2019.8)

 

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