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2019年6月 8日 (土)

村松武司 著『増補 遥かなる故郷―ライと朝鮮の文学』  ( 皓星社刊・19.1.29)

 詩人、評論家、編集者である村松武司(一九二四~九三年)のことは、旧知の暮尾淳と黒川洋から、しばしばその名を聞いていた。どこかですれ違いのかたちで接近していたかもしれないが、わたしは一度も会ったことがないと思い続けていた。だが、本書の年譜に、八九年一月、秋山清追悼会にて司会を務めると記されていて、そうかあの時の司会者が村松武司だったのかと、思い起こしたことになる。村松は、秋山清と、五六年一一月、石川三四郎の葬儀の際が出会いのようだったから、長い時間を共有していたことになる。
 京城(現・ソウル)で生まれた村松は、四三年、京城中学卒業、四四年、召集され朝鮮・満州・ソ連国境に従軍。四五年一〇月、「一家で下関へ引き揚げる」、二十年以上、朝鮮での暮らしをしたことになる。村松は、自らを植民者と名乗る。引揚者、帰国者ではなく植民者と立ち位置を表明する村松の一貫した態度は、ライと朝鮮という場所に象徴されていく。
 「現在までの他の多くのライ文学に一貫して流れている思想は、さまざまな文字でありながら、二つの言葉に集約されるような気がする。すなわち、自殺と望郷である。いまようやく、自殺が自らの文学から消えようとしている。残るのは望郷の一語。日本文化の近代化路線で放棄され続けてきた言葉である。むしろ近代の文化は、故郷を捨てる、『脱郷』を敢えて行うことによって獲得されたといっていい。(略)過去において、放棄され、脱出された側のアジア地域の人々は、わたしたち日本の弱さと矛盾を知らないはずはない。きわめて覚めた眼で、わたしたちを見ているにちがいないのである。」(「脱郷と望郷」・七七年)
 不治の病であり感染するということで、隔離政策をとられたライ患者たちは、自殺を考えるほどに未来は閉ざされていた。故郷から断絶されて遠く離れた異郷の地での療養生活を強いられるということは、特に半島出身者には、確かに「脱郷」に違いない。しかし、村松は安直に共感という視線をとらず、ただ、自分が立っている場所を問いつめていく。「日本の弱さ」、つまりそれは、這い出せずにいる「暗渠」といっていい場所なのだ。
 本書と同じ書名で、七九年、皓星社創業時の最初の出版ということで刊行された。著者にとっては生前、唯一の評論集であった。没後、九四年に暮尾、黒川の協力を得て、『海のタリョン』が出される。二冊の著作を再編集されたかたちで、皓星社創業四十年の今年、村松武司の批評集成が結実したことになる。そして、わたしにとっては、三十年という時の流れのなかで、ようやく村松と再会したといえる。
 「この時代、彼らは『日本人であらねばならない朝鮮人』であった。彼らの生活――風俗・礼儀・言語・歴史・政治経済・商工業、すべての生活において、日本はつねに外側にあり、彼らは不思議なことに外側の一部分として生存しなければならなかった。彼らは自分の生活および生き方を意識するときに、外側にある日本という国家にみずからを貼りつけねばならない。そういう『皇民』であった。(略)わたしたち日本人の『皇軍』の過去は解け、朝鮮人『皇軍』の過去は解けない。」(「戦前三〇年、戦後三〇年」・七二年)
 「ライを切りすてることによって、日本はライをのがれてきたからである。/やはり、ライはアジア・アフリカなのであろう。しかしそのとき、非ライ者、非アジア・アフリカという立場が何を意味するのであろうか?」(「ライの歌人」・七三年)
 「日本人の『皇軍』の過去は解け、朝鮮人『皇軍』の過去は解けない」とする松村の視線は、日本人の皮相さを突いているのだ。例えばここ一、二年の情況を見るだけでもいい。醜態は相変わらず不変に持続させている。つまり解決済みの日韓問題を、また、韓国側は蒸し返してくると批判する政府・与党、保守メディアは、「日本はライをのがれてきた」のは、脱アジアから非アジアへと、その足跡を刻んで来たことに通底していく。松村は朝鮮植民者という立ち位置を手放すことはない。それは、七九年版『遥かなる故郷』の「あとがき」で、「ライと朝鮮という、二つの中心をもった楕円形が、じつはわたしにとってほぼ円に近くなっている。つまり二つの中心は、ひとつと思っている」と記していることに共振していく。過去の時間は、現在という時間に重層化する。あるいは現在という時間は過去という時間を見通すことができるといいかえてもいい。過去も現在もひとつの時間として繋がったものだからだ。
 村松にとって自分自身もライも朝鮮もひとつの円のなかにあることを自覚して生き抜いたことになる。それが、植民者としての真摯な有様を示しているのだ。

(『図書新聞』19.6.15号)

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