« 末永史 著『猫を抱くアイドルスター』              (ワイズ出版刊・18.11.17) | トップページ | 「吉本隆明」――『【増補改訂】日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版刊・19.4.20) »

2019年4月15日 (月)

「信太裕」――『【増補改訂】日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版刊・19.4.20)

 1948(昭23)9.22―----(---)---- 北海道出身。道立滝川高校卒業、法政大学法学部入学、後中退。法政大学アナキズム研究会に所属し、ベトナム反戦直接行動委員会のメンバーだった和田俊一を中心に結成された背叛社に参加。背叛社の理念としては、「直接行動は、一切の権威と権力に叛逆する。この事実=真理を総破壊と称する」というもので、バクーニン理論に通じていくものがある。ここには、戦後アナキズムの運動体が、サロン集団化したことへの苛立ちと、折からの新左翼運動の苛烈化が影響していたことは、明らかだ。
 68年10月6日夜、新宿区上落合の背叛社事務所で製造中の手製爆弾が誤爆するという事故が起きて、背叛社のメンバー全員が逮捕される。唯一の未成年者だった信太は、起訴されなかったものの、公判中、和田が公安権力と癒着していたことが判明、大きな衝撃を受ける。その結果、一部の人たちを除き、旧来のアナキズム的立場の側からは、べ反委の運動は評価されるべきだが、背叛社の運動は、アナキズムといえないという錯誤的発言が露呈していった。ここにいたって、信太は、旧来のアナキズム的立場を似而非アナキスト達と断じ、1969年8月、中央大学学生寮の一室でタナトス社結成準備会を立ち上げる。
 そして、結成にあたっては、「日本のアナキズム運動を主体的に嚮導する力量が不足していることを直視するとき、(略)啓蒙主義的アナキズムを超克し、より激越な反権力闘争を展開し、現今の無政府主義陣営内部に侵食している日和見主義・退嬰主義・敗北主義を排拆する新たな反権力組織を結成するのが焦眉の急と存意する。(略)擬制の自由ではなくして真制の自由を志向し、(略)現今の似而非アナキズム潮流を拝して、新たな革命的アナキストによる組織を結成し逼迫せる革命の橋頭堡を構築し、ありとあらゆる国家権力機構の瓦礫と廃墟の上に黒旗を屹立せしめよ!」と宣していく。
 理念的位置づけの先鋭さは、突出していたが、運動総体としては、宣言通りの激越な闘いというわけには、いかなかった。それは、タナトス社から分岐して結成されたギロンチン社にもいえることだった。70年10月、タナトス社、ギロチン社の共同呼びかけで、富士宮にて全国アナキスト会議が二日間にわたって開かれた。これは、旧来のアナ連やアナキストクラブといった組織とは別のまったく新しい、二十歳前後という若い世代が領導した画期的なものだったことは、強調していい。ここから、ネビース社といった新たな運動体も生まれことも付記しておく。
 その後、運動関係から離れた信太は、関西の方へ転居して、大阪で古書店を営んでいたことと、生前唯一の著作となった句集を出したこと以外、その消息はほとんど知られていない。
 『水の音』と題された句集は、179句が収められ、「春の香や 水の音して 醒むる日の」「戦いの ひまを盗みて 濁り酒」「目覚めるも つかのまの虹かかる空」「粉雪や 虚空に消ゆる 音の影」「忽ちに 消ゆるも夜の 花火かな」などの作品がある。また、「あとがき」には、多行形式で「観し景は/ 古今を/辿る/言の葉の/ 道の/奥処に/ 月/出ずる/ まで」という短歌を記して、一書を閉じている。
[著作]句集『水の音』近代文藝社1991
[文献]信太裕「10.6背叛社事件、その意味するもの―蘇生するアナキズム」『中央大学新聞』1969.9.9、「新たな反権力組織結成にむけて」『THANATOS 創刊号』1969.9、和田俊一『背叛社非政治資料・国体論並びに背叛革命』1968.12

 

|

« 末永史 著『猫を抱くアイドルスター』              (ワイズ出版刊・18.11.17) | トップページ | 「吉本隆明」――『【増補改訂】日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版刊・19.4.20) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 末永史 著『猫を抱くアイドルスター』              (ワイズ出版刊・18.11.17) | トップページ | 「吉本隆明」――『【増補改訂】日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版刊・19.4.20) »