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2019年1月12日 (土)

藤井貞和 著『非戦へ 物語平和論』               (編集室 水平線刊・18.11.9)

 『湾岸戦争論』(河出書房刊・一九九四年)から二十四年、著者は、〈戦争の起源〉、〈戦争の本性〉から抽出される「未完の戦争学」を指向して、本書をあらたに提示している。詩人であり、物語文学者であるからこそ、〈起源〉や〈本性〉を切開して、〝非戦〟へとその視線を放射させていこうとしているのだ。3.11以後に書かれた文章群、講演と、書き下ろし論稿「戦争から憲法へ」を中心にして構成している本書だが、9.11アメリカ同時多発テロ直後に書かれた回文詩と、清水昶、佐々木幹郎、倉橋健一らと編集・発行していた伝説の詩誌『白鯨 詩と思想』四号(74年刊)に掲載した「近代と詩と――主題小考」を再収録していることにも注視すべきだ(なお、本書には刺激的な解説文として元『現代詩手帖』編集長・桑原茂夫の「『戦争』のこと」が付されている)。特に四十年以上前の論稿のなかに、著者が現在、思考をめぐらす起点があることに、わたしは、驚嘆せざるをえない。
 「戦争は地域や住み分けの差別からも、民族や宗教の差別からも、生産手段や階級の差別からも引き起こされる、それらの差別の根底に、そもそも好戦的な残虐性がよこたわっており、しかもそれが人類をみずからきたえ、ほとんど他の動物を寄せつけないほどの本能と頭脳とを育ててきたのだとしたら、これほど現代の『平和主義者』を絶望させる事態がほかにあろうか。」(「近代と詩と――主題小考」)
 そうなのだ、人類史の、あるいは生態史的な視線から考えても、動物たちの環界を弱肉強食の様態として、差異化したところで、人間の、人類の〈本性〉を考えた時、人間(人類)は、動物以後ではなく、動物以前の争闘本能を強固に潜在化した存在だといいたくなる。なぜなら、動物にはないとする〈知〉というものは、行為を正当化する偽善的な様相を逃れがたくあるといえるからだ。〈戦争〉と〈平和〉を対置したロシアの文豪がいたが、わたしには、欺瞞に満ちた対置でしかないと思っていた。さらにいえば、反戦平和というロジックもそうだ。反戦と平和が安易に連結してしまうのはレトリック以外のなにものでもないからだ。それは、かつて、〝原爆を許すまじ〟というスローガンに象徴されるといっていい。だからこそ、三十歳前半の著者が発した、「『平和主義者』を絶望させる事態」という捉え方に、わたしは同意したいのだ。〈反戦〉には、表出する〈戦争〉に対しての対抗視線しかなく、残念ながら、〈絶望的〉な起源や本性を見通す膂力がないのだ。
 だが、物語文学者としての著者は、記紀神話や物語世界から、絶望的な起源や本性を照射していく。それが、「学」となるかは、わたしには関心がないが、「学」ではなく、ひとつの切実な考え方であるとするならば、わたしもまた、そのことに随伴したいと思う。
 以下、本書における中心的な論稿の一部を、任意に例示してみる。
 「縄文から弥生への劃期は大陸から水田耕作を携えたひとびとの流入であり、戦争がそこに伴ったことは確実だと思われる。銅鐸が最初から銅鐸のかたちで大陸から移入されるはずはない。必ずや農耕具であるほかに、剣、矛、槍先などのかたち、武器として大量に日本列島にもたらされた。集落は要塞化し、戦士の埋葬を見ることになる。」「戦争には確かに広範囲の移動という一面がある。たとい国内であろうと(内戦である)、部族間抗争(と言っていなければ氏族間抗争)とのみ見るのでは不足であるという、〈国家の火〉を前提とする理由であり(平家にしろ、源氏にしろ、国政を担当しなければならないということでもある)、ここに戦争の定義が胚胎する。」「『戦争の放棄』は不戦の一環であり、諸他国の憲法にもありえてよいが、『戦力不保持』『交戦権の否認』は『戦争の放棄』を超える徹底であり、日本国憲法に見られる特徴として知られる。この特徴はパリ不戦条約と日本国憲法とのあいだのかなり大きな相違点であって、前者を不戦とするならば、後者を(略)〝非戦〟という語をここにおいて用意することは至当だろう。」(「戦争から憲法へ」)
 古代社会における人間の多様な意識の集合性(共同幻想)が、親和性へと傾くのか、ひたすら争闘によって共同体を拡張していくのかということは、強引に類推していけば、現在における西アジアや、民族宗教対立の争闘へと、それらはリンクしていくような気がしてならない。
 物語とは、過去だけではなく、現在にも未来にも潜在していくことだと思う。誰にでもある日々の暮らしを切実に考えていくことこそ物語であって、非戦とは、そういう物語を表わすひとつの言葉なのだと、わたしは、本書から喚起されたといっておきたい。

(『図書新聞』19.1.19号)

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