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2018年3月 3日 (土)

赤澤史朗・北河賢三・黒川みどり・戸邉秀明 編著       『触発する歴史学―――鹿野思想史と向きあう』             (日本経済評論社刊・17.8.12)

 かつて、鹿野政直(一九三一~)は、「ひとはだれも、時代のもつ拘束性から自由ではありえません。それだけに、自己のうちに潜む非拘束性を自覚しつつ、それと格闘するとき、思想主体はもっとも耀き、そこで生みだされる思想は、時代を超えて光を放ちます」(『近代日本思想案内』九九年刊)と述べていた。わたしは、鹿野の心意を直截に表出している論述だと思っている。なぜなら、いわゆる歴史学というものは、最も「時代のもつ拘束性から自由ではありえ」ない領域だと、わたしは見做してきたからだ。「時代」を「情況」や「イデオロギー(マルクス主義)」と置き換えてみれば、理解は明白になるはずだ。わたしにとって、そのような「拘束性」と格闘した歴史学者は、鹿野の他に、網野善彦しか思い浮かばない。学際的な場所からは、他にもっといるだろうと声が出るに違いない。家永三郎、色川大吉、さらには政治思想史としての丸山眞男というように。だが、わたしが考えているのは、歴史的事象だけが歴史学の対象ではないということになる。人々の暮らしや生活から滲み出てくる経験相へと、開かれた視線を持って、自在な思想性を析出することが、「拘束性から自由になる」ことだと捉えたいのだ。だからこそ、二人に共通のものがあると見做したいと思う。
 さらにいえば、「思想という言葉を、もう少しひろい意味に用いたい」として、「あらゆる作品が思想性を湛えている」と述べながら、「思想の角度は、歴史を、可能性や構成力の欠落や陥穽から洗い直してゆく効用をも」(『同前』)っていると述べていく鹿野の視線は、なによりも鮮鋭だといいたいのだ。
ところで、わたしが、鹿野の著作に初めて接したのは、堀場清子との共著『高群逸枝』(七七年刊)だったが、高群に深い関心を抱き始めた頃ということもあるが、「あらゆる作品が思想性を湛えている」ということでいえば、必然的な出会いだったといえるかもしれない。
 さて、本書のようなかたち(恐らく、初めての鹿野政直論集だと思う)で、鹿野政直がこれまで論及、論述してきた「作品世界」を対象に、「日本現代思想史研究会」に参加する会員による「共同研究にもとづく論文集」が出されたことへ驚きとともに、感嘆の思いを抑えることができなかったといっていい。
 諸論稿は、どれも力論である。「序説」も含めると全十一章を九人の執筆者によって構成している本書に対して、全てを俯瞰して論及する余裕がないことを、いささか弁明しながら、わたしが共感する、鹿野政直が紡ぎ出す「思想」の表出を照らし出している論稿を以下、任意に援用してみることにする。
 「鹿野は、あらゆる場に成立する“権威”に抗うことを求め、『うちなる奴隷性』(略)を見つめ、疎外されている人びとの声を拾い上げ、日本の現実的な問題に“正対”してきた研究者である。鹿野の学問研究の手法は、学会の主流に身を置かず、主として作品そのものをとおして読者に直接はたらきかけるというものであった。」(黒川みどり「鹿野思想史と向きあう――『近代』への問い」)
 「うちなる奴隷性」とは、まさしく「時代のもつ拘束性」に通底するいい方だといってもいい。そして、そのことを見通し切開していくためには、「学会の主流」とは相対する立ち位置にいることが必然になるといえる。さらに付言してみれば、「あらゆる場に成立する〝権威〟に抗う」ことは、一人の、つまり、個としての存在性(それを思想性といい換えてもいいはずだ)を確信していなければ、できないことなのだ。
 「そもそも鹿野がことば遣いに注目するのは、ことばを通して、その『根』にあるもの・思想が『発酵する土壌』に思い致すからである。それは書き手・語り手や芸術作品の制作者の姿勢すなわち精神に眼を向けることであろう。」(北河賢三「触発する歴史学――鹿野思想史の特徴と性格について」)、「『初年兵哀歌』をめぐる議論の焦点ともなる被害と加害の問題についても、鹿野は両者の関係性、いわばダイナミクスが一人の表現者の主体においてどのように作動しているかを問題とした。(略)鹿野自身の経験と共振させながら、日本軍兵士だった作家の精神構造と戦後日本への異議申立てを絵の中に読み解き、絵画から照し返されるようにして言葉を紡ぎ出していく。」(小沢節子「鹿野政直『浜田知明論』の深度と射程――歴史家が絵画を読むということ」)
 表現されたもの、つまり作品というものに向きあう時の鹿野の姿勢を、二人の論者は述べている。北河が、ことばの「根」にあるものを「思想」と見立てて、それを「発酵する土壌」だと見通すことで、後段において、「科学的歴史学」に対し「文学的歴史学」というものを対置させながら、鹿野の歴史的視線の方位へと言及していく。小沢は、「共振」といういい方をもって、鹿野の思想の表出を見事に照射しているといえる。二人の論者の衒いのないいい方は、鹿野が発する言葉から率直に喚起されているからだといっていいはずだ。
 「一九八〇年代にかけて、鹿野の著作活動のなかに沖縄の『戦後』が一気に前景化する。(略)一九八七年、書き下ろしも含めて『戦後沖縄の思想像』(略)にまとめられた。(略)今日に至るまで、これほど綿密に史料分析に裏づけられた沖縄の戦後史はない。(略)本土戦後史という枠組みの解体を促す『沖縄の戦後』の発見は、手慣れた自己の思想史分析を応用する場所ではなく、鹿野自身の思想の見方の根底的な組み替えを要請した。」(戸邊秀明「いのちの思想史の方へ――鹿野民衆思想史にとっての沖縄」)
 鹿野政直の思想・思考の方位は、極めて「現在的」だと思う。「現在的」というのは、今を生きている人々の暮らしへと「共振性」をもって視線を向けていくことである。だから、鹿野は絶えず歴史思想というものを触発し続けているといっていい。

(『図書新聞』18.3.10号)

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