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2018年12月 1日 (土)

正津 勉 著『ザ・ワンダラー 濡草鞋者 牧水』            (アーツアンドクラフツ刊・18.9.10)

 わたしたちが若山牧水(一八八五~一九二八年)について、まず想起することは、『みなかみ紀行』に象徴される旅する歌人ということになる。書名の“ザ・ワンダラー”を帯文には、“歩く徒”という言葉をあてている。ワンダラーには、歩き回る人、さまよう人、 放浪者といった意味があるようだが、わたしなら漂泊する歌人といいたい気がする。もちろん、歌人、俳人で漂泊者といえば、すぐに西行や芭蕉ということになるが、もう一人、かつてといっても、四十年以上前、著者と旅したつげ義春が親近性を抱いた井上井月をあげてみれば、漂泊することの深層は際立ってくるはずだ。
 没後、九十年という節目で牧水に関する評伝を著した詩人である著者は、近年、路通、碧悟桐、普羅といった俳人や山にかかわる表現者たちをめぐる著作を刊行している。いま、牧水の評伝(と括るには、もっと豊饒なものを含んでいるが)を著わすのは、必然的なことのように思われる。
 本書がこれまでの牧水像をさらに深遠な様相へと誘っているのは、「濡草鞋者(ぬれわらじもの)」という描像にあるといっていい。牧水の生家は、宮崎県坪谷村(現・日向市)にあり、そこは「山と山の間に挟まれた細長い峡谷」(牧水「坪谷村」)であったためか、「山師、流浪者、出稼者、多くは余り香しからぬ人たちが入れ替り立ち替りやって来」(牧水「おもひでの記」)て、それらの人々を「濡草鞋をぬいだ群」(「同前」)と述べている。著者は、若山繁を若山牧水としてかたちづくっていった初源を、「濡草鞋をぬいだ群」と「母」と故郷の「峡谷」に視線を射し入れながら本稿を進めていく。
 「『牧水』は、いただいたその筆名にあるように、ことに『母』と『水』とに愛された児であった」と著者は、述べる。牧水は、年の離れた三人の姉の後、母・マキ、三十七歳の時に生まれた長男であったから、母の愛は大きく深かったのだ。牧は、母の名のマキから採ったことを牧水自ら記している。「牧水の生誕と幼時をめぐって、母性と自然への親和」ということを見とおす著者の牧水像は、表現者の像としては、それほど特異なものではないかもしれないが、そこに、濡草鞋の徒から、濡草鞋者像を紡ぎ出していくところに、本書が深い位相を持つ所以となるのだ。
 「濡草鞋三代目・牧水。いわずもがなそれは祖父と父から受けた影響はすくなくはないのである。」「旅と、酒と。牧水は、もとよりこの二つに身をあずけるような血に生まれついてきた。旅については、濡草鞋であれば、説明用無しだろう。酒となると、これも母マキの愛酒ぶりにおよんだ。」
 旅と酒だけであれば、取り立てて、わたしたちの視線が向いていくことはない。そこにすぐれた詩歌の表現者として屹立しているから、長い間、牧水は親しまれてきたといっていい。本書とほぼ同時期に歌人の俵万智が『牧水の恋』という著書を刊行しているが、本書でも、最初の熱愛の相手、園田小夜子と、妻となる歌人、太田喜志子に触れている。著者は、「小夜子が激しい海の女であれば、喜志子は穏やかな山の娘であると、いっていい」と述べていく。小夜子との五年余りの関係のなかで、二人で「安房根本に十日余り滞在」した時間を切り取って描出しているが、青木繁の「海の幸」という作品に繋げて記していくことに、わたしは、不思議な感慨を抱いたことを述べておきたい。濡草鞋者というのは、関係性を惹き寄せていく存在なのだと思ったからだ。それは、もう一人、啄木との親和なる関係もそうなのだといえる。わたし自身、十代後半、なんども深く感受した啄木の「はてしなき議論の後」と題した詩篇が牧水の主宰誌「創作」に発表されたものであったことをうかつにも、失念していたのだ。
「牧水は、いわずもがな啄木とちがって、あくまでも牧水でしかない。(略)であればいうところの社会とは距離感ありとされがちだ。だがそこは欄外者たる濡草鞋なのである。」
 さて、『みなかみ紀行』の世界である。わたしは、三十年近く前、友人の車で擬似みなかみ紀行をしたことがある。その時、ただただ、徒歩で行くことの困難さが理解できて、現代という有様に後ろめたい思いをしたことを思い出す。
「牧水が歩いた行程。信州上田に発して上州を横断して下野の日光に至る、いまその道は『日本ロマンチック街道』と呼ばれている。なんたる恥知らずな命名なろうか。しかもこれがなんとも『みなかみ紀行』を参考にしたルートだという。(略)いったいわたしらのこの一世紀余のめったやたらな景観破壊といったらなんなのだか。牧水が歩いたのは、ロマンチック街道なんかではない、いまだ斧を知らない、あくまでも山道でしかありえない。」「牧水は、それにしてもなぜこんなにも源を冀(こいねが)ってやまないのであろう。ほかでもない、渓の児、だからである。みなかみを探ることは、それこそ幼い日の坪谷の溪を歩くこと、ふるさとを辿ること。それはそしてまた母の温かい胎に帰ることであった。」
 著者の憤怒と、牧水に対する優しいまなざしを、わたしは、本書を読み終えて直截に受け取れたことを僥倖としたいと思う。

(『図書新聞』18.12.8号)

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