« 赤澤史朗・北河賢三・黒川みどり・戸邉秀明 編著       『触発する歴史学―――鹿野思想史と向きあう』             (日本経済評論社刊・17.8.12) | トップページ | 矢崎秀行 著『つげ義春 「ねじ式」のヒミツ』          ( 響文社刊・18.1.15) »

2018年4月21日 (土)

吉本隆明 著『吉本隆明質疑応答集 ③ 人間・農業』          (論創社刊・18.2.25)

  『質疑応答集』の本巻は、「『受け身』の精神病理について」、「異常の分散――母の物語」、「言葉以前の心について」、「自己とは何か」など〈人間の心身〉をめぐってなされた講演後の質疑応答をⅠ、Ⅱ章に配置し、安藤昌益についての講演も含む〈農業〉をめぐる講演後の質疑応答をⅢ章として、編まれている。
 時として、当日の講演をさらに深化させていくかのような言葉を発しながら、吉本の、どのような質問にたいしても、真摯に切実に応答する姿勢は、本巻でも、貫かれている。
 例えば、「『生きること』と『死ぬこと』」(八〇年六月)の講演後では、当時、六十三歳の男性の質問者が、「『生きること』と『死ぬこと』というような抽象的なことではなく、政治的なことで」質問があると述べ、「今の憲法にたいして全然批判的ではない。実績は評価している」としながらも、「今の憲法を立派にするためには、軌道修正する必要がある」と思うが、「どう思っておられますか」と聞く。吉本は、こう答えていく。
 「あなたと僕とでは、『新憲法は立派じゃない』と思ってるところがちがうと思うんです。たとえば、『天皇は国民統合の象徴である』というところがあるでしょう。僕はああいうところが立派じゃないと思うんです。(略)とにかく僕は、そこでは不満をもっている。(略)とにかく、そこがガンだと思っています。」
 わたしの記憶のなかでは、吉本が明快に第一条の象徴天皇条項に触れた記述に接したことがなかったから、即座にこの発言に惹かれたといっていい。第九条に込められた理念を積極的に評価する吉本にたいし、同意するとともに、やや逡巡してきたわたしにとって、ようやく共感できる位相に出会ったことになる。この国の〈憲法〉が、九条の前に、一条(「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であってこの地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」)から八条まで天皇条項が配置されることに、わたしは、まったく首肯できないでいたからだ。「主権の存する日本国民の総意に基づく」と記述されるわけだが、いったい、いつどこで、国民の総意がかたちづくられたのかといえるからだ。不満だ、ガンだという、吉本の裁断は極めて先鋭だと強調しておきたい。
 もうひとつ、わたしが本巻に収められている質疑応答のなかで、特に視線を注ぐことになったのは江戸中期の思想家・安藤昌益をめぐるものだ。
 「(略)日本の思想家は近世ならたいてい儒教の影響を受けています。安藤昌益だけはそういう影響を身につけてはいますが全部排除するというか否定するというか、そういうことを徹底してやっている人です。何はともあれ安藤昌益のいちばん根本的な思想は何かというと、『直耕』という概念です。」(講演「安藤昌益の『直耕』について」九八年九月―『吉本隆明〈未収録〉講演集〈3〉』) 
 そして、その講演で昌益の思想をシモーヌ・ヴェイユや親鸞へと敷衍していくのは、吉本らしいといえる。だが昌益を最初に発掘したのは、E・H・ノーマンだと述べているのだが、狩野亨吉という漱石の友人だったことだけでも知っていて欲しかった。質疑応答のほうでは、「直耕」という概念を『母型論』のなかの重要なモチーフとなった贈与へと連関づけていることに、わたしは重視したことを記しておきたい。
 さて、ここからは、『質疑応答集』の校訂と解説を担当している詩人・批評家の築山登美夫氏が論述している「『劇(ドラマ)』としての人間」と題した本巻の解説に触れたい。静謐な文体から滲み出てくるのは、解説文という枠を超えた鮮烈な吉本論である。なぜなら、徹底して吉本の有様に、築山氏自らの心性を注ぐように言葉を紡ぎ出しているからだ。
 講演「農村の終焉――〈高度〉資本主義の課題」(八七年十一月)の後の質疑応答では、国鉄の分割・民営化に反対して労働運動を指向していくとする質問者にたいして、「それはちがう」と激しく応答する吉本を捉えて、「口調はしだいに急き込んで、激流のようにとどまることを知らなくなり、たぶん途中からは質問者を含めた会場を凍らせるようだったのではないでしょうか」と記していく。そして、次のように述べて、この文章を閉じていく。
 「この応答の場面では、最後にいたって吉本さんの口調は我に返ったかのようにやわらかくなり、質問者へのいたわりを見せます。考え方の相違とはべつに、彼もまた無名の民衆の一人として、時代の波に翻弄されながら自分の運命をつくって行くほかない。そのことに例外はないのであって自分もまたそうしてきたのだ。そのかなしみが吉本さんを襲ったのだと、私には思われるのですが。」
        ※
 築山登美夫氏は、わたしの親しい友人である。彼からは、かなり前の段階で『質疑応答集』の企画を聞いていた。そして渾身の思いをかけていたことは、校訂作業に入ってからの彼の言葉のひとつひとつから伝わってきていたといっていい。だが、昨年末、彼は急逝した。突然の訃報に、わたしは、いまだに哀しい寂しいという言葉が直截に出てこない状態が続いている。彼の不在を確信したくない自分がいるからだ。
 彼の〈死〉によって、『吉本隆明質疑応答集』の四巻以降の刊行は、暫くの延期となっている。

(『図書新聞』18.4.28号)

|

« 赤澤史朗・北河賢三・黒川みどり・戸邉秀明 編著       『触発する歴史学―――鹿野思想史と向きあう』             (日本経済評論社刊・17.8.12) | トップページ | 矢崎秀行 著『つげ義春 「ねじ式」のヒミツ』          ( 響文社刊・18.1.15) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 赤澤史朗・北河賢三・黒川みどり・戸邉秀明 編著       『触発する歴史学―――鹿野思想史と向きあう』             (日本経済評論社刊・17.8.12) | トップページ | 矢崎秀行 著『つげ義春 「ねじ式」のヒミツ』          ( 響文社刊・18.1.15) »