« 2017年11月12日 - 2017年11月18日 | トップページ | 2018年1月7日 - 2018年1月13日 »

2017年12月23日 (土)

松本亮 著『金子光晴の唄が聞こえる――金子光晴の人と詩への、永久なる愛惜の想いをこめ』(めこん刊・17.7.10)

 わたしは、金子光晴を生前、何度か見ている。当時、吉祥寺に住んでいて、駅北口のサンロードと名付けられた商店街の入り口あたりで、褞袍のようなものを羽織り一人で佇んでいたのだ。なにをしていたのだろうかとは思ったが、金子光晴なら不思議ではないと、何の根拠もなしに思ったものだった。それから、しばらくして、吉祥寺駅のホームで、旧知の秋山清と偶然会い、これから金子の通夜に行くのだと告げられた時、驚きよりも、なぜか、褞袍姿で佇んでいた金子の像が想起され、死の予兆とともに彷徨していたのかもしれないと、思ったものだった。本書の巻末に「松本亮の優しさ」の一文を記している暮尾淳がその時、秋山に随伴していたことを、秋山が亡くなって十数年後に聞くことになる。わたしにとって、金子をめぐるささやかな縁である。
 わたしが金子光晴に関心を抱いたのは、入り口としては邪道なのかもしれないが、秋山清とともに戦時下、抵抗詩とも反戦詩ともいわれる詩篇を紡いだ詩人としてだった。特に、詩集『落下傘』に収められている「寂しさの歌」は、わたしに金子への共感を強く喚起するものになったといえる。周知のようにそれは、「国家はすべての冷酷な怪物のうち、もっとも冷酷なものとおもはれる(略)」というニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の一節が引かれた後、次のように始まる。
 「どっからしみ出してくるんだ。この寂しさのやつは。/夕ぐれに咲き出たやうな、あの女の肌からか。/あのおもざしからか。うしろ影からか。/糸のようにほそぼそしたこころからか。/そのこころをいざなふ/いかにもはかなげな風物からか。」
 本書の著者は、「金子はついに社会主義者、共産主義者、またアナーキストでもなかった、要するにニヒルな一個のリベラリストで終始したといえる」と述べているが、確かに、そうかもしれないが、「寂しさのやつ」という詩語に込めた金子の思念を考えてみれば、貧困に陥ることはなかったとはいえ、出自に由来する孤独感のようなものを生涯にわたって払拭できなかったのではないかと思わないわけにはいかない。奔放な妻・三千代に翻弄されながらも、関係を切断することなく、晩年は、宿痾のリューマチの「病勢がしだいにすすみ足腰の立たぬ状態になって」いた三千代の「排便を手伝ったり風呂をつかうのを可能なかぎり身をもって世話」をしたという。
一方では、二十九歳も年少の大河内令子(本書では、R子と記されている)との悲惨な関係を切断させることもできないまま、続けていく。
 著者は、詩篇の中で、「柔さ弱さに触れるとき、私たちは逆に金子の無類の強靭さを感得することができる」と述べている。あるいは、三千代とアナーキスト詩人・土方定一(戦後は美術評論家として、全国美術館会議会長などを務めた)との関係に苦悶する金子を次のように捉えていく著者の視線は、わたしが感受した金子の孤独感のようなものを閉塞させていくのではなく、屹立させていくかのように喚起してくれるといっていい。
 「私には土方を下敷きにして三千代をみつめ、さらには金子にとって女とは何であったのかを見据えることで、金子の全貌が明瞭に浮かんでくると思われる。それは戦争でも、国家でも、ましてや貧乏でも流浪でもない。三千代の存在こそ、金子にとって悠久の水の流れ、血、またたゆたう海以外の何ものでもなかったのだ。その基底を読みとることから、逆に金子における戦争、国家、また流浪の命題が立ちあがってくるものと思われるのである。」
 土方の薫陶を得、R子と金子の間を仲介する著者だからこそ、金子夫妻の愛の有り様、そして金子の表現者としての基層を捉えることができるのだ。暮尾淳は、「松本のまなざしは優しい」「松本にしか書けない」と述べているが、読み終えて確かにそうだと思った。評伝のようでもあり、金子光晴論のようでもあるが、むしろ金子光晴と森三千代の関係性を鮮鋭に描像する物語として、著者は、わたしたちに見せてくれたといいたくなる。
 著者・松本亮は一九二七年生れ、五一年、「金子光晴を訪ね、同氏没年(一九七五年)まで親交をつづける」。二〇一七年三月九日、死去。著者本人の「書きかけのあとがき」には、次のように記されている。
 「『金子光晴の唄が聞こえる』は、雑誌『新潮』の一九八三年(略)四月号に、三五〇枚一挙掲載ということで発表された。その後まもなく単行本化されるはずのところ、事情により、そのまま三十数年が経過した。(略)マッちゃんと金子の呼ぶ声が聞こえる。考えてみれば、私がもう金子大兄より一〇年も余分に生きているということで、なにか忘れてやしませんかというわけである。そんなことで一寸慌ててこの本がやがて遅まきの初版本として世に現れることになった。他意はない。」
 暮尾によれば、著者の妻は二月に亡くなったという。本書は、もうひとつの夫婦の愛の有り様を投射させているのかもしれない。

(『図書新聞』18.1.1号)

| | コメント (0)

« 2017年11月12日 - 2017年11月18日 | トップページ | 2018年1月7日 - 2018年1月13日 »