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2017年5月27日 (土)

山本哲士 著『吉本隆明と『共同幻想論』』             (晶文社刊・16.12.25)

 吉本隆明の『共同幻想論』(68年12月刊)をリアルタイムで接したものにとっては、その衝撃の大きさは計り知れないものがあったといっておきたい。七十年前後の抵抗と対抗の渦動のなかに身を置きながら、この国の擬制的な有様を根柢的に〝撃つ〟手立てを見つけられずに彷徨っていた時、「現在さまざまな形で国家論の試みがなされている。この試みもそのなかのひとつとかんがえられていいわけである。ただ、ほかの論者たちとちがって、わたしは国家を国家そのものとして扱おうとしなかった。共同幻想のひとつの態様としてのみ国家は扱われている」「わたしは地面に土台をつくり建物をたてようとしているのである。このちがいは決定的なものであると信じている」という吉本の論述から、わたし自身の立ち位置を確信し得たと思ったのだ。それから、五十年近い時間を経て、その時の感受の有様をわたし自身の思考の初源として、いまだに抱き続けてきたと、なんの衒いもなく、断言できる。
 吉本隆明の膨大な仕事とその思想体系を、現在を見据えながら更新させて、今後どのように自分たちの内奥へと深化させていくことができるかということが、吉本思想から影響を受けてきたものにとっての課題だと、吉本逝去後、わたしは考えてきたつもりだ。本書は、そういう意味において、ひとつの指針を与える画期的な試みだといえる。長年、吉本へのインタビューや対話によって肉声からの思想と表現されてきた思想の間隙を透徹してきた著者だからこそ可能なことだといっていいはずだし、それ故、逝去後、数多く刊行されてきた吉本論とは明快に一線を画している。
 著者は、「普遍的な根源思想へ迫るのが、吉本思想のあり方」だとしながら、本書の論旨を、次のように述べていく。
 「『共同幻想論』を理論生産し『共同幻想国家論』として、国家論との架橋をなす地平をひらきながら、同時に『対幻想と近代家族』との関係を理論生産し、『個人主体と自己幻想』との関係を把捉していき、『高度資本主義』の歴史的現存性へせまります。(略)さらに、幻想と権力関係との関係を解析していきます。(略)それは、〈いま〉〈ここ〉での自分自身をとりまく世界・環界を、自らにはっきりとさせていくことに関わります。」(1章 幻想本質論へ)
 かつて、わたしは、農本的無政府主義者・権藤成卿が展開していく〈社稷〉概念を、「政治的国家と社会的国家を二重の屋根のようにかんがえた」(「自立の思想的拠点」)ものだと捉えていく吉本に逡巡したことがあった。それは、「社会的国家」という概念に困惑したのだ。「社会」を包括していくものとして「国家」はあるのではないか、あるいは、「国家」と「社会」は、その共同性において別位相として考えるべきではないかと思ったからだ。本書の著者は、わたしの逡巡を遥かに超脱して、次のように述べていく。
 「最初のころ、共同幻想論を形成していくうえで、吉本さんは『国家の共同性あるいは社会の共同性』という言い方をよくしていました。ここを、まず識別して、『国家的共同幻想』と『社会的共同幻想』として識別し、『社会幻想』なる概念を構築していかねばなりません。(略)『社会幻想』とは『社会がある』と想定・設定されている幻想です。社会機関や社会制度の具体ではありません。『社会』は想像的に表出されたものです。つまり、国家へ象徴統御されえていないものが、現実界へ実際にこぼれだしている、それを想像的なものとして代理編成して、さらに実定化さえしてしまっているものです。」「共同幻想を国家論へと飛躍させるには、『社会』への統治制を歴史的存在として考慮にいれないと不可能です。」(3章 共同幻想/対幻想/個人幻想の関係構造)
 著者は、明確に、「国家」位相と「社会」位相を識別させながら、吉本の「共同幻想」概念を拡張させて、「理論生産」していく。そして、吉本の「高度資本主義社会」論を補完していくようにして、「高度資本主義社会というのは、国家空間以上に社会空間を拡大かつ緻密化して構造化することによって国家維持をはかっている世界です。つまり統治しすぎないことによって統治効果を十分に発揮しえている国家・社会で」(10章 高度資本主義における共同幻想)あると展開させていく。
 このようにして、著者は、「社会空間の社会幻想」を基軸にして、「共同幻想を国家論」へと架橋させ、「〈場所共同幻想〉に立脚した転換をなすこと」を内在させる「場所革命」という考え方を提起していく。
 「地域ならざる場所環境の実際に立ち、その地域性を時間化して世界史の歴史的段階の歴史性へ転化していくことにおいて、わたしは設定しています。近代国家の生成過程の統合化で蹴落とされ剥奪されてきた地域性の普遍性への転化、それが〈場所〉という意味です。地域革命ではありません。『中央―地域・地方』の関係構造を転移することです。」(終章 幻想ブラチックとパワー関係:国家論と権力関係論の地平―批判意志から可能意志へ―)
 この論述から、わたしを喚起させるのは、次のようなイメージである。
「〈いま〉〈ここ〉での自分自身をとりまく世界・環界を、自らにはっきりとさせていくこと」を胚胎させながら、現在的空間を通底して、吉本が、『共同幻想論』以降、しばしば提起していた「国家を開いていく」ことへ繋げていくことである。

(『図書新聞』17.6.3号)

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