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2017年9月 2日 (土)

南椌椌・著『雲知桃天使千体像』(七月堂刊・17.7.7)

 本書は、絵本作家、詩人、俳人の著者が、二〇一六年から一七年にかけて、テラコッタで作った「雲知桃天使千体像」の作品集である。「雲知桃天使」というのは、「頭に雲知(うんち)を載せた童子」のことで、「うんち=雲知=雲を知るという当て字は童子の手柄でしょうか」と著者は「あとがき」のなかで述べている。確かに、雲知像の顔(表情)は、童子といってもいいのだが、わたしなら、もう少し別様にいいたい気がする。
 わたしは、雲知桃天使像を、「南椌椌個展/雲知桃天使千体像」(一七年三月二七日~四月八日)の時、初めて、実際に手にとってみたことになる。十センチにも満たない小さな雲知桃天使像は、意外にも重く感じたことで、雲という浮遊感のような存在というよりは、土の感覚、つまり、乾いた土俗的な感性というでもいうべきものが、伝わってきて、小さな生命体のように、わたしには思われたといっていい。そして、あるかないか不分明な眼や鼻、口が、見るものに対し、小さな波動を放つかのように、何かを語っていると感じられてくるのだ。わたしは、なにも神秘的なことや宗教的なことを述べたいわけではない。小さな雲知桃天使像が、ここにいま在るということによって見るものと通交をかたちづくって、いいようのない関係性を醸成していくのだといいだけなのである。
 雲知桃天使像から、わたしが感じられるものは、結局、作者・南椌椌の繊細なる手の膂力によって表出されたものであることを考えてみれば、なにも不思議なことではないことに気づくことになる。
 雲知桃天使像の撮影場所は、青梅、多摩川、練馬関町、千葉館山、そして、ソウル、済州島と横断していく。それは、著者のなかに、半島と列島を繋いでいくという強い思いがあるからだといいたくなる。にもかかわらず、雲知桃天使像はどの場所であっても、その佇まいは不変だから、むしろ背景は、像によって喚起され、何処も、わたしにはなにか、同じように郷愁感のようなものを胚胎していると思わせてくれる。
 ところで、本書は雲知桃天使像千体の作品(写真によって活写されているもう一つの作品というべきかもしれない)集であるとともに、著者の詩・俳句作品集でもある。「古く新しく書いた句や詩などはどれも雲知桃天使をイメージしたわけではありませんが、詩画集のような体裁は初めから考えて」いたから、そのようなかたちになったと著者が述べているように、言葉による像が、雲知桃天使像の有様をさらに際立たせているといっていい。
 「百済仏きもちひとつと木瓜の花」「膝抱え笑う惚ける芽吹くまで」「詩人の死穴より出づる熊ん蜂」「天体や踊り子の吐く枇杷の種」「水蜜桃を頬張りながら/少年は笑いながら去っていった」「ソウルの『雨の日珈琲店』には/まだ行ったことがない」
 「画像と言葉とが補いあいながら、あるばあいに拮抗したり、矛盾したりして展開される物語性」(『マス・イメージ論』)というものを切開するために、「語相」という概念を提示したのは吉本隆明だったが、いま、わたしもまた、雲知桃天使像、千体の画像に著者の詩(俳句)の言葉が重ねられる時、そこにはまぎれもなく「語相」というものが立ち上ってくることを感知する。
 そうして、語相の行く立ては、著者の優しい視線を伴って、「天国と地獄 二〇一一年冬の清水昶」と題された詩作品を現出させていく。詩人・清水昶が亡くなったのは、二〇一一年五月(享年七〇)だった。冬ということは、死後の清水昶と作者の対話であり、それは、まぎれもなく深淵なる鎮魂の言葉群でもある。
 「なあ南さんよ/地獄ってどこにあると思う?/地獄ですか/あの横断歩道あたりじゃないですか//清水昶は横断歩道を渡るのが怖くて/信号が青くなっても見送ってしまうことがある/(略)/じゃあ天国はどこだい?//天国ですか/そう、ここのベンチじゃないかな//清水昶は天気がよければ/毎日三時間をこのベンチで過ごす/(略)/南さんよ、みんな死んでゆくよ/なんでなんだ?/人生茫々だ、例外なく死んでゆく/(略)/清水昶は比類なきボクの詩人/でも実のところはわからない/きのうは自分のことマザー・テレサだって言ってた//きょうもこれから天国を訪ねようと思う」
 清水昶の詩世界に魅せられたわたしにとって、著者・南椌椌の比類なき優しさを、この詩篇から感じないわけにはいかない。もとより、その優しさが雲知桃天使像を千体、作り上げたのだと思う。

※寫眞:添田康平

(『図書新聞』17.9.9号)

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