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2016年12月 3日 (土)

井川博年 著『夢去りぬ』(思潮社刊・16.10.15)

 六年ぶりの新詩集に接し、ほとんど行変えせず、長いセンテンスで息継ぐこともできないまま終景へと至る井川博年、独特の詩作品四篇のうちの一篇、「新宿の唄」という作品に、わたしは、真っ先に魅せられた。
 「私はその頃二十歳になったばかりで、お誂え向きの失業者だった。古着屋で買ったバンドマンが着るような赤いコール天の上着を着て、学生ズボンに靴だけは新品の革靴。全財産の入った(中には詩の原稿も)ボストンバックを手にさげ、高田馬場での同人誌の会合に出て、帰りに一杯呑んだおかげで、懐中無一文に近く、終電車に乗りそびれたあげく友人にも逃げられ、深夜ひとりとぼとぼと線路に沿って歩き、ようやく新宿に辿り着くと、かねてから目をつけていたドヤ街の、一番奥にある一番安そうな宿の玄関に立った。」
 「昭和三十六年頃(略)の年末」とその前に記されているから、わたしたちは、「赤いコール天の上着」、「学生ズボンに靴だけは新品の革靴」に、作者の像を想起させながら、新宿の「安そうな宿」に辿り着くまでの時間を、誰もが通過するアドレッセンスの象徴的な情景として共感することになるはずだ。同じような体験をしたかどうかではない。センテンスの長さに、性急さ必死さのような思いを、生きていることの証しとして描像しているからなのだ。
 もう一篇、行変えを精緻にし、刻むようなリズム感を滲みだしながら、紡いでいく極私的物語詩とでもいいたくなる作品がある。
 「綱は始めはゆっくりと次は大きく揺れる。/一年後の東京は六〇年安保騒動の真っ最中で/学生詩人連中は大興奮の様子だったが/大阪にいるこちとら新米の人生サーカス団員は/下駄履き作業服の造船所の工員さん。(略)/私こと人生サーカス団員も二十歳になっていた。/何の感動もなかった。/人生で初めて手がけたといっていいこの工事を終わらせ/待望のボーナスを手にしたらそれを元手に/詩集を出そうとそればかり考えていた。/詩集の題は『見捨てたもの』と決めていた。/何もかも見捨てるつもりだった。二十年しかない過去など捨てて悔いはない。」(「人生サーカス――二十歳の履歴書)
 六二年に第一詩集『見捨てたもの』を井川は出している。「見捨てたものよ さようなら」という書き出しで始まる表題詩からは、「昼は明るく ぼくは好きだ」、「ぼくには涙もないのだ」、「見捨てたことで強くなろう」といった言葉に、わたしは惹きつけられたものだ。
 五十年以上という長い時間を遡及させ、自らを「人生サーカス団員」として、アドレッセンスを描出する作者の現在ということに、わたしなら拘泥してみたい。もちろん、誰もが十代から二十代という時期には悔恨を含みながらも郷愁のような思いを払拭できないことはわかる。それにしてもと思う。父母や祖父母のことを描像した作品があるかと思えば、「二百年」という「二百年後の人々は/まだこの日本の東京と呼ばれた辺りに/かたまって住んでいるだろうか。」という作品もある。
 前詩集から後のことを、井川は「あとがき」で次のように記している。
 「その間に、娘の死あり、(略)清水昶が、二〇一一年五月に急死するという、私にとっては同い歳の詩人の死として、忘れられない出来事があった。」
 さらに、岩田宏の死にも触れている。そして詩集名の「夢去りぬ」には、「すべては過ぎ去って行く」という思いが込められていることが、わかってくる。だが、「過ぎ去って行く」ものは、還り路のようにして、わたしたちの心奥に潜在してくるといってみたい。往ったものは、また、還ってくるというように。
 「東京に降る雪は/いつもはやさしく時に激しく/すべては夢であったよう……//失ったものはかえらない/子供たちとの食事の時に決まって/変なことをいいだして突然怒りだし/せっかくの雪の夜をだいなしにした……」(「東京に雪が降る」)
 家族とのひと時を描出する一篇は、切ない情感が滲み出ている。悔恨。それは、もうひとつの悔恨を思い起こさせていくことになる。時間は、切断して感受出来るものではない。絶えず、連続したものだ。この先の時間もそうだと思う。そのなかに、往きて還ってくるという人と人との生きる場所があるのだと、『夢去りぬ』という詩集は、わたしに語ってくれている。

(『図書新聞』16.12.10号)

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