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2016年1月30日 (土)

築山登美夫 著『無言歌 詩と批評』(論創社刊・15.11.25)

  「詩と批評」と副題にした本書は、著者にとって、詩集としては、『悪い神』(09年)に続くものであり、評論集としては、『詩的クロノス』(12年)以来となる。全四章に分けた本書は、「Ⅰ 詩 二〇〇九―一五」、「Ⅱ 詩人のかたみ 吉本隆明論抄」、「Ⅲ 講演と日録」、「Ⅳ 映画評・書評・展評ほか」という構成となっている。それをみれば、まぎれもなく、著者による「詩と批評」の集大成といっていいかもしれない。しかし、わたしの一方的な想いを込めていうならば、「詩と批評」とは、吉本隆明における「詩と批評」のことであり、そのことをめぐって、著者との往還を指し示していると、いいたい気がする。なによりも、吉本隆明の「仕事」とか、「遺したもの」といった視線を著者は、敢えて採らない、しかも、「形見」ではなく、「かたみ」なのだ。そこでは、詩人・築山登美夫が、渾身を込めて、詩人・吉本隆明にたいし、自らの言葉を紡ぎだしながら、畏敬の想いを捧げて、描出しているといっていいはずだ。
  「吉本隆明の詩のことなら、いつでも、どこからでも語れる。でもほんたうは、いつでも、どこからでも、ではだめだ。もつと生命を集中して焼け焦げたやうな時と場処を、自分のなかに創らなければ。それは可能だらうか。」「中也とちがつて、吉本さんからは『情況』のなかの『真』を索める気持が失せなかつた。年を追ふごとに熾烈になつてゆくばかりだつた。それは『関係』のなかでの抗争、軋轢、別離、悔恨をもたらさずにはゐなかつた。それに耐へること、そのことからくる堰を切つて溢れる想ひに形をあたへずにはゐられないこと、それが吉本さんにとつて、詩をつくることと同義となつた。」
 吉本の営為に出来る限りの想いで寄り添ってきたつもりでいるわたしですら、これまで、揺らぐことがなかったわけではない。埴谷雄高や鮎川信夫との軋轢(もちろん、吉本の方に理はあるのだが)、3.11以後における科学技術への信頼の発語といったことに接して、逡巡してしまったことは確かだ。しかし、著者の視線は、徹底して吉本の「堰を切つて溢れる想ひ」に寄り添っていく。最後に遭遇した、「東日本大震災・福島原発事故」という、「時代を劃する断層」にたいしても、「他の論者にはない叡智の閃きを放つてゐる」と述べていく。
  「Ⅲ」、「Ⅳ」に収められた論稿も取り上げるべきなのかもしれない。恣意を持って選択するならば、「行き場のない苦悩の表情――映画『昭和残俠伝 死んで貰います』」である。高倉健を追悼するという意図を持って書かれたものだが、七〇年九月の封切公開時に観たという著者にあっては、映画作品に言葉を向けていくことは、当然のように、当時の自分がいた場所を回想することにもなるのだ。だから、映画について触れていく文章と回想譚は、切断させることなく、地続きに記されていくことになる。花田秀次郎(高倉健)、幾江(藤純子)、風間重吉(池部良)をめぐる関係性というものは、そのまま、著者が関わっていた関係性へと投射されていく。そして、「この時代からしこたま影響をうけ、たくさんのことを学んだ。時折りあの時代の体験を自慢げに話す人物に出くはすことがあるが、眉に唾をつけて聞くやうにしてゐる」と語っていくことに、わたしは、率直に共感したいと思う。
 詩作品を二篇、引いてみる。
 「きみの心は避けようともせず/生き残るのはつらいこと/生き残つてその場を去るのはつらいこと/堰を切つて溢れる言葉を そのつど」(「無言歌 二〇一一年夏」)
 「その人は私の知るたヾ一人の詩人だつたから/墓には一行の詩が刻まれてゐるはずなのだが/私はその一行を読むことはできなからうとも思ふ/なぜかならその一行は海の文字でしるされてゐるだらうから」(「墓を探す 和田掘廟所にて」)
 ここでもまた、「堰を切つて溢れる言葉」とある。
 わたしがここで記していくことが、著者の抱く想念の奈辺に届くかはわからないが、述べてみる。ほんとうは、〝溢れてくる〟のではなく、〝溢れさせたい〟ということなのだと思う。しかも、〝溢れる言葉〟ということには、関係性へと誘っていく言葉にならない言葉とでもいうべきものが胚胎しているといいたい気がする。
 もう少し、踏み込んでいうべきかもしれない。〝溢れる〟ということは、「内面のドラマと外部の情況の断層を、心臓を断ち割るやうに表出したもの」(「―あとがきにかへて」)だと。そのように渇望する著者とともに、わたしは、必ずやいつか、「海の文字」で記された一行の詩の世界を見たいと願っている。

(『図書新聞』16.2.6号)

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2016年1月16日 (土)

つげ忠男 著『成り行き』( ワイズ出版刊・15.10.14)

 つげ忠男の一年九ヶ月ぶりの作品集は、描き下ろしの新作が二作品、リメイク作品とその初出作の二作品という構成(他に“禅の言葉”に付した絵を八点と、「『懐かしのメロディ』46年後」と題した文章を収録)である。
  「夜桜修羅」という作品で描出されるのは、つげ忠男の「現在」に対する静謐な憤怒のようなものを湛えた幻想譚である。夜、コーヒーを飲みつつ、公園に一本だけ咲いている桜見物をする中年男の前に、突然、若い女が現われる。そして、もう一人、若い男も現われ、最初は和やかに談笑していたにもかかわらず、いつしか二人は、血だらけになりながら、取っ組み合いの喧嘩を始める。二人の喧嘩を傍観しながら、中年男は次のように独白していく。
  「今の時代、/人々の日々の生活ぶりや/言動……/それから生じる大・小さまざまの/出来事や事件や社会/現象/それらの状況をいっしょくたに/ギュッと凝縮してしまうと、多分/いま眼にしているようなエゲツな/い修羅場が出現するのでは?」
 そして、つげ忠男が描く「現在という修羅場」の画像の数々が十三頁にわたって展開されていく。やがて二人の男女が突然、消失すると、一匹の黒猫が男に向かって歩み寄ってくるところで終景。もちろん、ここでは、中年男自身も、「現在という修羅場」を構成している一人であることを、避けようもないこととして、示されていく。
  「成り行き」という作品もまた、ある意味、忌避できない、不運なる「修羅場」の物語だといっていい。冒頭は、つげ忠男作品らしい、七十を越えた男二人が静かに川釣りをしている場面である。そこへ、車でやって来た若い男女が、車から降りて、いつの間にか争っている。抵抗する女性を見て、二人の男は、若い男の方を止めに入るも、やがて、「夜桜修羅」の男女と同じように、若い男をめぐって、格闘が始まる。女は近くの廃棄物の捨て場から、鉄パイプを取り出し、男に殴りかかり殺してしまう。女の主導で、車と死体の遺棄を、二人の男は、“成り行き”上、手伝わされ、殺人の共犯関係となってしまう。そして、二人の男たちは、「二度と釣竿を手にすること」なく、四ヶ月後、男のうちの一人は、「インフルエンザから/肺炎を患い他界」、もう一人は、さらに三ヶ月後、「酒酔い運転の車に撥ねられ」、突然、亡くなる。女の方は、犯罪行為が露見することもなく、アメリカ人男性と結婚して、裕福な暮らしを送っていることを描いて、物語は閉じていく。静かに、川釣りを楽しんでいた七十代の男二人が、突然、「成り行きの修羅場」に遭遇し、死んでいくという作品を、つげ忠男は、なぜ、描こうとしたのだろうか。殺人の共同正犯といった事象や、突然の死は、「現在という修羅場」のひとつの暗喩として提示しようとしたのだろうか。
 敢えて、推断していけば、この二つの作品は、重なりあって、ひとつの作品として、つげ忠男の現在を表象していると見做すべきかもしれない。
 つげ忠男は、六八年から、月刊漫画誌『ガロ』で、漫画家として再スタートしたわけだが、「昭和ご詠歌」とともに、『ガロ』期初期の代表作として「懐かしのメロディ」(『ガロ』六九年一月号)という作品がある。本書のなかで、自分自身では、「気にいっている」作品の一つだったとしながらも、「ストーリーは良いのだが、絵が付いていかなかった。/“これはいつか描き直してみたい”」という「想い」を抱き続けてきたと述べている。
 そして、いま、この“二作品”に接して、複雑な感慨を持ったのは確かだ。四十六年前の「懐かしのメロディ」を、リアルタイムで見たものにとって、「敗戦後」、十三年しか経っていない時間性と、折からの戦後体制へ疑義を呈した対抗的運動のなかで、「特攻隊の生き残りだ」という「無頼漢サブ」(本作では、「京成サブ」)の有様と、サブについて語る中年男の存在が、コントラストに描出されることで、けっして大げさにいうわけではないが、わたし自身が、当時、対峙していた情況を切開する契機としていたことは間違いない。だから、わたしにとって、「懐かしのメロディ」は、「戦後」という時空を一九六八年という場所に屹立させた作品だった。そして、いま、四十六年後の「懐かしのメロディ」は、確かに、サブを後の無頼漢サブ像に繋がる「貌」で描かれているとしても、リメイクというよりは、つげ忠男が、「現在という修羅場」にたいして、拮抗させるために描き下ろした新たな「懐かしのメロディ」といった方が、いいかもしれない。だからこそ、つげ忠男は、四十六年間という時間性に堪えうる膂力を持った物語作家だといえるのだ。

(『図書新聞』16.1.23号)

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