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2015年2月28日 (土)

藤森節子 著『そこにいる魯迅――1931~1936』         (績文堂出版刊・14.12.5)

 本書の副題にある1931年は、柳条湖事件を契機に満洲事変が勃発した年であり、関東軍が次々と中国東北部を制圧し、翌年の3月、満洲国建国が宣言されたという時間性を示している。以後、日本帝国、国民党、共産党の三すくみの〈内戦〉状態が続き、やがて日本帝国は欧米列強と〈戦争状態〉に入り、敗戦へと至ることになる。著者は建国宣言後の6月に旧満洲国(現・遼寧省)鉄嶺市で生まれた。旧満洲国を生地としたのは、自分の意志ではなかったにせよ、その宿運は著者の心情を重くする。魯迅が亡くなる二カ月前(36年8月)に発表された文章のなかに「抗日」という言葉があることを引きながら、次のように述べている。
 「私はといえば、〈抗日〉というときの、その当の日本人の一人なのだ。この時点での私は四歳の幼児にすぎないけれども、関東州庁に任命される立場の、金融組合理事である父の養育を受けて育っていたのだった。/魯迅小父さんは、いきなり日本人というだけでの理由で日本人を敵視するような人ではない。しかし、日本の国家が中国の大地をじりじりと侵していくさまをずっと注目追跡し冷静にとらえている。」
 だからこそ本書は、著者が、「ずっと中国大陸の地つづきの場にいて、魯迅と同じ空気を呼吸していた」という思いのもと、そこにいる魯迅小父さんへ親愛なる視線を注ぎながら、「最後の魯迅」とでもいうべき像を鮮鋭に描出したものとなっている。そして、著者の生まれる前年から魯迅が亡くなるまで六年間の「日本の国家が中国の大地をじりじりと侵していくさま」を魯迅の目線と共振させながら記述していく文章群は、わたしにあらためて魯迅の存在性を深くに感受させてくれた。
 「この言論界のさびしさ、萎縮ぶりはどうだ。つい先頃まで少しおかど違いなものもふくめて、まるで魯迅に喧嘩をふっかける勢いで論争をいどんできていた青年文学者たちはどこへいったのだ。(略)ひところの『民族主義文学』などと威勢よく国民党のお先棒をかついでいた者たちさえも影をひそめ、今年は、表向き中立をよそおう『第三種人』なる者たちが登場して魯迅を攻撃してくる。彼らは中立をよそおうだけにいっそう陰湿だ。/魯迅のたたかいが孤独であったのはこれまででもそうだったが、いまはひっそりひとりである。それでも魯迅は妥協しない。」(「1932年の魯迅――眉を横たえて冷やかに……」)
 「魯迅の日常を豊かにし心やわらげてくれるのは、時にもてあますほどにいたずらな四歳の海嬰だ。」(「1933年の魯迅――筆名をとりかえとりかえ……」)
 「魯迅は、一九三一年の九・一八(満洲事変)からこちら、日本が『満洲国』をつくっただけでなく、その国境線を越えて、じりじりと華北に侵攻してくる状況をしっかりと目の前に見ている。だから、〈満洲と華北の状況を見れば明らかであろう。中国の唯一の出路は全国一致して日本にあたる民族革命戦争である〉と第一に明言するのだ。」「『民族革命戦争の大衆文学』というスローガンの根元にイメージする『大衆文学』とは、おそるべき底力を蓄えているものであることを魯迅は知っている。」(「1936年の魯迅――『徐懋庸に答え、あわせて抗日統一戦線の問題について』」)
 また、最初の妻であり戸籍上の妻であり続けた朱安と海嬰の母となった許広平をめぐる記述は魯迅のもうひとつの像を浮き彫りにしている。そこにも、魯迅の苦悩が沈潜しているのだ。さらにいえば、日本に留学し、上海に居住を定めてからは、上海内山書店の内山完造との親密な交流(主治医は内山から紹介された日本人医師だった)を亡くなるまで続けていた魯迅にあって、「抗日」ということ、あるいは、「日本にあたる民族革命戦争」という根拠は、心情的な意味あいを考えてみれば複雑なものであったことを、充分に推察しうる。井上ひさしの「魯迅という人は日本を非常に愛していると同時に、日本を非常に憎んでいた人なんです」といういい方に対して、「ほんとうに憎んだのは、じりじりと侵略をつづける日本の軍隊であり、それを阻止し得ない中国の政治状況であり、それを支える中国人のありようだ」と明快に批判していく著者の視線に、わたしもまた同意したい。だからこそ、魯迅が「大衆文学」というとき、そこに、「おそるべき底力を蓄えているものである」と見通せるのだ。魯迅の研究論文ではないと著者は、本書について述べているが、魯迅論として際立った思想(イデオロギーを意味するのではなく、生きることの思惟と見做したい)性を湛えたものとなっていると、わたしは、断言したい。

(『図書新聞』15.3.7号)

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2015年2月14日 (土)

『アナキズム叢書』発刊に寄せて                  ――多様なアプローチによって喚起されていくこと

 アナキズムという思考の有様、あるいは概念というものついて考えてみる時、おそらく、多様なアプローチがなされるはずだと、わたしは思っている。なぜなら、長い間、アナキズムという思考の有様について考えを巡らしてきたわたしですら、いまだに、明確なテーゼをつかみきれないでいるからだ。フーコーの権力は至るところに偏在するという見立てに倣うならば、反権力を中心的な思考の核とするアナキズムは、至るところへと視線を射し入れるべきであり、その限りでは、アナキズムという思考の有様は、絶えず、難所や障壁の前に佇まざるをえないことになる。
 マルクス主義が、マルクスやエンゲルス、レーニン、トロツキーといった先人の著作(テクスト)によって、共感していく人たちに、その思想的な端緒が開かれているように、アナキズムも、バークニンやクロポトキン、プルードン、幸徳秋水、大杉栄といった先人の足跡を辿ることは、可能だ。だが、これらの思考を継承していくだけでは、現在の閉塞的な情況を越え出るための契機に、なかなか、なりにくいことは断言できる。少なくとも、現在というものを絶えず、視線の中に組み入れることなしには、思考というものは、たんなる知的円環のなかの断片に過ぎないといっていい。
 いわば、現在を見通すべくテクストの創刊という企図のもと、わたし自身も関わって、『アナキズム叢書』という冊子を『アナキズム叢書』刊行会(発売元・『アナキズム』誌編集委員会)から発刊した。第一回配本は、『死の商人への挑戦―1966/ベトナム反戦直接行動委員会の闘い』、『アナキズムの展望―資本主義への抵抗のために』、『労働廃絶論』の三冊。予定では、半年後に、『アナキズム入門』、『六月行動委員会』などの刊行を予定していて、継続的な刊行を目指している。
 『労働廃絶論』(ボブ・ブラック著、高橋幸彦訳)は、苛烈な書名に一瞬驚くかもしれないが、極めてシンプルに、わたしたちの現在の立ち位置を問うている。つまり、「人は皆、労働をやめるべきである。/労働こそが、この世のほとんど全ての不幸の源泉なのである」、「私が本当に見たいと望むのは、『労働』を『遊び』に変えることである。/その最初のステップは『仕事』や『職業』という観念を捨てることだ」、「誰も働くべきではない。万国の労働者よ……リラックスせよ!」等々、と述べながら社会主義国家や資本主義国家が陥っている矛盾を鋭く切開しているのだ。他に「国家はウソだらけ……世の中ウソばかり」など三篇の小論も収録されている。
 『アナキズムの展望―資本主義への抵抗のために』(シンディ・ミルスタイン著、森川莫人訳)は、現在を視野に入れた鮮鋭なアナキズム論集である。解説の高祖岩三郎によれば、ミルスタインは、3.11に「衝撃を受け、かつてない終末的時代の到来を確認」し、以後、「各地を転戦し、ニューヨークに居を定め」、「アナキズムを主調とした民衆闘争にまつわる資料の展示/保存室の運営委員会で」の活動を通して、「福島以後の問題に積極的に介入している」という。本書は、ミルスタインが、2000年から12年までに発表した五篇の論稿を収めたアンソロジーとなっている。
 『死の商人への挑戦―1966/ベトナム反戦直接行動委員会の闘い』は、1966年の10月と11月の二度にわたって軍事兵器を生産し、ベトナム戦争へ加担していた軍需工場へ抗議行動をし、逮捕されるという事件の詳細とその反響を収めて、67年5月に発行された資料集(編集・べ反委公判パンフ編集委員会、発行・ベトナム反戦直接行動委員会)に、新たに、わたしの「序」と松本勲による「あとがき」を加えた新装版である。べ反委の行動は、67年10月8日の新左翼諸派による羽田闘争の一年前であり、日韓闘争以後、対抗的運動が低迷していくなかで、生起した衝撃な行動であったのだ。そしてなによりも、戦後、サロン化し思想的退行のなかに浸っていたアナキズム潮流に対して、楔を打った行動でもあった。さらにいえば、べ反委以後、七〇年前後にかけて、様々なアナキスト・グループの運動を派生させた契機でもあったと見做すことができる。当時、多くの人たちがベトナム戦争は対岸の火事としか認識できなかった時に、日本資本主義国家の暗部を燻り出したことは、戦後の反体制運動のなかで、象徴的な「事件」だったといっていいと思う。
 こうして、発刊された三冊の多様なアプローチによって、未知の読者が喚起されていくことを願っている。

(『図書新聞』15.2.21号)

※『死の商人への挑戦―1966/ベトナム反戦直接行動委員会の闘い』
[編集・べ反委公判パンフ編集委員会]
四六判変型・232頁・定価[本体一三八九円+税]

※『アナキズムの展望―資本主義への抵抗のために』
[シンディ・ミルスタイン著、森川莫人訳]
四六判変型 ・100頁・定価[本体八三三円+税]

※『労働廃絶論』
[ボブ・ブラック著、高橋幸彦訳]
四六判変型92頁・定価[本体八三三円+税]

※発行・『アナキズム叢書』刊行会
※発売元・『アナキズム』誌編集委員会[Tel03-3352-6519]

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