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2014年2月15日 (土)

飛矢崎雅也 著                             『現代に甦る大杉榮―自由の覚醒から生の拡充へ』          (東信堂刊・13.11.20)

 大杉栄(以下、わたしは、栄と記していく)が、1923年9月16日に虐殺されてから90年経ったことになる。昨年は、関連イベントが催され、幾冊かの関連書籍(新編の『大杉栄全集』も企図されたが、越年した)、雑誌が出されたわけだが、本書もその一冊といえる。
 ただし著者にとって、大杉栄は、長らく研究テーマとしてきたものであり、05年に『大杉榮の思想形成と「個人主義」』を刊行したのを端緒に、論集『大杉栄と仲間たち』(13年刊)に収められた論考「スタイルとしてのアナーキズム―大杉栄における『障害』(disorder)の問題」とも繋がり、10年3月に、明治大学大学院政治経済学研究科の博士(政治学)号を授与された学位論文をもとにして、本書を刊行している。
 全体を二部構成にし、第一部は、大杉の『自叙伝』をめぐりながら、思想の原初性に視線をあて、第二部は、大杉の思想の核心を解析していくものとなっている。著者が、大杉の初期へと向かう位相は、「吃音」、「腕白」、「甘え」といったことになる。軍人の子として生まれ、自身も、陸軍幼年学校に入学させられるという少年期を送った大杉が、家族のなかで、どのようなかたちで、その叛骨、叛逆精神を育んでいったのかということは、大杉の多彩で苛烈な行動の有様を遠望してみれば、最も、関心が惹かれるところだといっていい。
 「大杉は吃音という『障害』を個性の一部(「面白い、いい癖」)として受け止めることができたために、それが内的抑圧(ルサンチンマン)となることはなかった。逆にその障害を彼にしか持ち得ないパワー(スタイル)に転換してしまった。外的抑圧を受けたにもかかわらず、このように彼がそれを内化せずにすんだのは、母親が彼に『自尊の本能』を育てたからである。」「この『自尊の本能』によって、彼は吃音という『障害』を反逆という生き方の『スタイル』へと変えることができたのである。」「彼にとって『反逆』(アナーキズム)とは、生き延びるために『吃る』言葉を余儀なく話しながら『どうにか生きる仕方』を見出す関係行為であり、余儀なく渉りあうことから始められる一個の闘いなのである。」
 アグレッシヴで、時として楽天的な相貌にも見える大杉栄という〈像〉に対して、わたしたちは、しばしば、その資質に対する視線を切実なものとしてこなかったような気がする。厖大な著作活動(発禁を繰返しながらも、発刊し続ける数々の表現媒体への執念は特筆すべきことである)、海外も含む苛烈な運動の発露、それらの基点は、自らが抱え持っていた「『障害』を反逆という生き方の『スタイル』へと変える」という膂力にその源泉を、求めていくとするならば、確かに、大杉栄という〈像〉は、あらゆる意味で屹立しているといわねばならない。
 そして、著者が、もうひとつ着目する位相は、「甘え」だ。最初に想起するのは、「彼に『自尊の本能』を育てた」母との関係ということになる。後の、女性関係でいえば、堀保子がそうである。実際、大杉より年少の伊藤野枝や神近市子に対しても、無意識の「甘え」がなかったとはいいきれないはすだ。この「甘え」は、同時に「仲間」を希求することであり、共同性というものを自分のなかで切実に考えていくことに繋がっていくと見做していい。
 「『自尊の本能』を高く持ちたいという人間の自然な欲求は、自分が帰属できるコミュニティーを求める。この場合のコミュニティーとは、あるがままの自分を受け入れ、尊重してくれる何らかの共同性である。」
 大杉は、関係性(仲間)を大事にしたといえる。第二次『労働運動』は、失敗したといわれるが、戦略・戦術上とはいえ、ボル派と一緒にやっていきたいと思ったのは確かだったと思うからだ。また、他の仲間から、何も活動していないと批判される村木源次郎を庇ったりする大杉の関係性に対するスタンスを理解しないで、その思想性を語ることはできないと、わたしもまた思う。そもそも、共同性というものは、閉じていくものではなく、開いていくべきものなのだ。
 「人間はかけがえのない自分として、共同性を生きることによって自己肯定感を養い、それによって他者と繋がることが可能になる。そうであるなら、そうした契機を持てない者がいわゆる引きこもりになるなどの『現代的不幸』を背負うことは当然である。そういう『不幸』を背負った者がそこから回復するに必要なのは、自らの生きることの『障害』を『個性』として肯定し、それを起点にして他との関係性を結び、『居場所(コミュニティー)』(共同性)を得ることによって、回復することであろう。そしてその〈生の拡充〉の過程で、現実の問題情況における自己の存在の位置と意味を認識して、自らの生き方の方向性を定めることである。」
 そして、「大杉はこうして回復した典型だった」と結語していく著者の大杉論は、現在抱え持っている困苦的情況の態様へと、思いを射し入れている。この先に何が見えるのかは、誰にもわからないかもしれない。しかし、少しずつでも、この先へと見通していくことが、さしあたって、すべきことなのではないだろうか。現在において、大杉栄とは何かと、問うている本書の意義は深い。

(『図書新聞』14.2.22号)

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