« 2014年12月7日 - 2014年12月13日 | トップページ | 2015年1月4日 - 2015年1月10日 »

2014年12月15日 (月)

悔恨としての『大杉全集』【『大杉栄全集・第5巻』「月報」】

 完全版全集と銘打った『大杉栄全集』の刊行が始まった。現代思潮社版(全十四巻、63~65年刊)から50年という年月が経っているのだから、歳月茫々というべきかもしれない。大杉栄らが虐殺されて90年以上経ったことになるから、全集は死後40年に、そしてさらに50年経って完全版が刊行されたということを考えてみると、時間の経過に、奇妙なアンバランスができてしまっていることに気づかざるをえない。ところで、わたしにとって、現代思潮社版『大杉栄全集』にたいし、いまだに、悔恨という思いが、心の奥底に張り付いてしまっているのだ。
 比較的美本状態の全集を一括して古書店で買ったのが、一浪の末、大学に入学した69年の春だった。親からもらった祝い金で、購入したことが、なによりも、いやな感じを自分自身が抱くことになる。合格祝いと『大杉全集』が、その時、なんの屈託もなく結びついたわけではないと思うのだが、親を騙して、〝リャク〟をした気分のようで、その後、何年も後ろめたい思いを引きずってしまったのは確かだった。
 なぜ、全集をと思ったのだろうか。記憶を手繰り寄せてみるならば、全集以外、入手可能な大杉栄の単著というのは、『日本の名著46 大杉栄』(69年1月刊)しかなかったからだと思う。いまとなっては、いささか気恥ずかしさしか湧いてこないのだが、『日本の名著』版を読んで、さらに、大杉の著作に触れてみたいと思ったのは、間違いないと思う。
 わたしのアナキズムへの関心の契機は、高校時代に高橋和巳と埴谷雄高に接したからだ。この二人の作家によって、漠然とマルクス主義よりも、アナキズムという思考方法に興味を抱いたといっていい。だから、「レーニンは一揃いのレーニン全集のなかにしか存在しない」(埴谷雄高)のであれば、埴谷に倣って、「アナキズムの大道をハイカラに歩いた大杉栄」(鈴木清順……この名言は、四年後に知る。もちろん、清順独特の諧謔である)の一揃いの全集の中に、大杉栄を見出そうとしても、いいと思ったのかもしれない。
 だが、前年(68年)の秋に刊行された吉本隆明の『共同幻想論』を読んで、国家や法、宗教を共同幻想として捉えるアプローチの仕方が、国家や権力の無化を希求するアナキズムの思考を大きく包括するものだと、わたしには思えたのだ。後年、わたしより四歳ほど年少の赤坂憲雄が、二十歳の頃に「『共同幻想論』をアナーキズムの理論書として読んでいた」と述べていたのをみて、同じように感受していたことを知り、なぜか、安心したことを覚えている(わたしが、知る限り、いわゆるアナ系的な場所で、吉本に共感していたのは、秋山清と内村剛介以外知らない)。だから、『大杉全集』を目の前にして、物足りなさを感じながら読んでいたような気がする。極端なことをいえば、「獄中記」や「自叙伝」をのぞけば、「ロシア革命論」と「バクーニン」についての論稿ぐらいしか、関心を惹かなかったはずだ。つまり、悔恨というのは、一揃いの全集を買うまでもなかったかなと思ってしまったことにもあるし、なにかをいますぐに吸収しようと性急に思ってしまったことにもある。さらには、身分不相応に全集などを持った気恥ずかしさからくるものだともいえそうだ。
 「マフノビチナ(註・わたしたちは、通常、「マフノ運動」と称していた)とは、要するに、ロシア革命を僕等のいう本当の意味の社会革命に導こうとした、ウクライナの農民の本能的な運動である。マフノビチナは、極力反革命軍や外国の侵入軍と戦ってロシア革命そのものを防護しつつ、同時にまた民衆の上にある革命綱領を強制するいわゆる革命政府とも戦って、あくまでも民衆自身の創造的運動でなければならない社会革命そのものをも防護しようとした。」(「無政府将軍 ネストル・マフノ」)
 現代思潮社版全集の第七巻を手に取ってみると、この箇所に線を引いていた。「本当の意味の社会革命」、「農民の本能的な運動」、「民衆の上にある革命綱領を強制するいわゆる革命政府」、「民衆自身の創造的運動」といった言葉に感応しただろうことは、直ぐに推察できる。
 そして、いまのわたしは、今年(2014年)のはじめに生起した、ウクライナでのロシアからの独立運動を知って、すぐにマフノ運動に繋げ考えていた。メディアは、ロシア派と欧米派だけの対立としてしか報道しないが、歴史的連続性を考えてみれば、ウクライナ民衆の、ロシアでもない欧米でもない本能的な自立の声があるはずだと思っている。無数のマフノ、つまりウクライナ民衆の声を聞くことから、わたしたちの彼らへの連帯は始まるのだといいたい。これは、大杉に誘われてきたことの、ひとつの証しだといっていい。45年が経過して、悔恨が少しだけ薄れてきたことを、いま、感じている。

(『大杉栄全集・第5巻』ぱる出版・14.12.10刊)

| | コメント (0)

« 2014年12月7日 - 2014年12月13日 | トップページ | 2015年1月4日 - 2015年1月10日 »