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2014年5月24日 (土)

太田昌国 著                            『【極私的】60年代追憶―精神のリレーのために』           (インパクト出版会刊・14.2.20)

 書名の副題に「精神のリレー」とある。この文字を見て、わたしが真っ先にイメージしたのは、埴谷雄高の講演「精神のリレーについて」(75.5)だった。この講演は『死霊』全五章刊行を記念することと、高橋和巳の追悼(71.5.3逝去)も兼ねて行われた講演会でなされたものである。埴谷は、ここで、「より深く考えること」と刻まれたバトンがリレーされることを希望して言葉を閉じている。リレーといえば、人と人との関係性(共同性)をともなった思考や体験の継承ということだけでなく、自分自身が、思考や体験をひとつの連続した繋がりとしてかたちづくっていくことも、「精神のリレー」と呼んでいいのではないだろうか。「60年代追憶」、あるいは「60年代再考」とも命名される本書は、著者の思考や体験を関係性のなかにあって、ひとつの連続した繋がりとして、振り返りながら、絶えず、現在という視線を手放さずに述懐したものだが、そこには、緩い回顧譚のようなものはない。緊密に、著者自身の思考の織りを見せてくれているのだ。
 わたしが、著者に関して抱いていたイメージは、松田政男や山口健二、太田竜(第8章では太田竜への追悼を込めた文章が収められている。わたしなどは、吉本に三バカトリオと罵倒された時より以前から、太田竜の大言壮語には、まったく関心を持たなかったが、それにしても彼の変節には驚いたものだった。著者の思いは、もっと複雑だったと窺い知れる)との繋がりで、例えば、『世界革命運動情報』の編集に関わっていたことや、ゲバラや第三世界の思想・運動に深くコミットしていたというものだ(近年、金王朝政権による拉致問題に対しても多くの発言をしていることも周知している)。だから、本書を通して、吉本隆明や埴谷雄高、三好十郎に強い共感を表明していることを初めて知り、著者に対する親近感が湧いてきたのは確かだ。
 「吉本の書物は、地図が体現しているような意味での『世界』への開眼を促すものではなかった。むしろ『井の中の蛙』でありたいというモチーフを内に秘める吉本は、日本が孕む問題の中に閉じこもり、あくまでもその坑道を掘り続けていく中で、〈世界〉に到達しているかに見えた。それもまた、青年期の私のこころを激しく突き動かすものであった。地図上に描きあらわされる『世界』を変革する第三世界の始動と、思想・文芸上の〈世界〉を激しく揺さぶる吉本の理論とは、私の内部で共存していた。」(「第9章 アフリカと吉本隆明―第三世界主義と自立思想」)
 ここで著者が、刮目していくのは、吉本の纏まった仕事(インタビュー本ではないという意味)としては、最後の代表著作ともいえる『アフリカ的段階について』である。この章を、著者は、「それにしても、60年代から四〇~五〇年が過ぎようとしているいま、少なくとも私の内部では、『アフリカ』と『吉本』が、不思議な再会をしている。これは、やはり、『僥倖』と呼ぶべきだろうか?」と結んでいる。著者の思いを、勝手にわたしが忖度するならば、幾らか方位は違うとしても、素直に、僥倖としいいのではないだろうか(確か、吉本は「南島論」を本格的に始めるにあたって、〈アフリカ的〉なるものを思考に組入れたはずだ。その限りでは、アフリカ的なるものも、吉本にとって、やはり「日本が孕む問題の中に」あるといえるようだ)。
 ほんとうは、本書に対して真っ先に取り上げるべきなのは、「第6章 権力を求めない社会革命―アナキズムが問うもの」で記述していく著者の立ち位置のことだ。「『60年代を再考』するに当って、私はアナキズムに、現実不相応の、不当なまでの重要性を付与しているのではないだろうか? その自問が湧き起こってくる」と述べているが、著者が、本書の中に度々、そしてこの章のなかにも取りあげている現在進行形の運動、共同性の有様を示している「『国家権力の獲得』を目的としない社会変革」を主張するサパティスタ(94年、メキシコのチアパス州で武装蜂起した民族解放軍のこと。軍と称しているが、国軍を目指しているわけではない。ゲリラ組織や運動体といった方が的確かもしれない)を高く評価していることに、「60年代」から、現在へと繋げていく通路として、わたしは、注目せざるをえない。
 「協調形態社会とは、産み育て、創造する自然の力の象徴である『聖杯』に最高の価値が与えられ、支配者形態社会とは逆の価値観に貫かれている社会である。(略)私たちは、協調形態社会に関する歴史的知見とサパティスタの具体的な実践に対する共感を通して、歴代のアナキストたちの試行錯誤の過程を豊富化することで、(略)正統派マルクス主義の権力観を克服する端緒を掴みつつあるということができよう。」
 いわば、著者の思い描く「精神のリレー」は、ここで最も濃密に語られているといっていいと思う。

(『図書新聞』14.5.31号)

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