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2014年10月11日 (土)

いま、なぜ大杉栄か                        ――『大杉栄全集 全12巻・別巻1』(ぱる出版)刊行に寄せて

 大杉栄(1885~1923年)は、幸徳秋水(1871~1911年)とともに、明治、大正期における無政府主義・社会主義運動の先駆的存在として知られている。幸徳は、日本が天皇制国家として成立していく時間性のなかで刑死し、大杉は、やがて軍事大国、帝国主義国家としてアジアへの覇権を確立していこうとするなかで虐殺されたといえる。そのことは、日本近代史過程のなかで、屹立した存在だった二人の死が、結果的に日本国家の暗部を燻り出したことになる。
 大杉栄は、生き急ぎ、ひたすら疾走した人だったといっていい。その奔放なイメージは、時として、「自由」で鮮鋭な「個」を確立した存在だったと見做されているが、わたしは、幾らか違う印象を大杉にたいしては抱いている。わたしが、大杉栄や日本のアナキズム運動に関心を持った最初の契機は、大杉虐殺への復讐と後退していく運動を立て直すべく、ある種のテロリズムに傾斜していった古田大次郎や中浜哲らが結成したギロチン社の存在を知ったからだ。やがて大杉が主導する労働運動社に参加していた村木源次郎と和田久太郎が大杉死後、合流していったことで、彼らが、イノセントな思いで大杉に心酔し共感していたことがわかった。彼らが心酔したのは、大杉が持っているカリスマ性というよりは、関係性の結び方が自由で、開かれていたと考えたから、大杉にたいしても、わたしの関心の方位が広がっていったことになる。大杉は、一見、大らかに振る舞っているように見えるが、実はかなり繊細で、気配りのできた資質を持っていたのではないかと推察したくなる。そうでなければ関係性や共同性について、見定めていくことはできないはずだからだ。
 わたしが、大杉の論考や思考なかで、最も共感できたのは、ロシア革命が生起したということを、いち早く認知すると同時に、農民やナロードニキ、アナキストを弾圧しているボルシェヴィキの独占権力によって革命が推移していることを、かなり初期の段階で、見通していたということである。その後、山川均とのアナボル論争があったわけだが、それは結局、ロシア革命をめぐっての評価の対立ということになる。やがて労働者にとっての理想的な社会・国家が出来るという認識なのか、ボルシェヴィキ権力による独占支配国家でしかないという見かたなのかの違いなのだが、ロシア革命に対する共感の広がりのなかにあって、大杉は、鋭利な分析と判断によって、ある意味、孤立を強いられることになったといえよう。
大杉における個の自由を希求するということは、ある種の自己革命的とでもいうべきものを胚胎していたといっていい。
 「われわれが自分の自我――自分の思想、感情、もしくは本能――だと思っている大部分は、実に飛んでもない他人の自我である。他人が無意識的にもしくは意識的に、われわれの上に強制した他人の自我である。(略)われわれもまた、われわれの自我の皮を、棄脱して行かなくてはならぬ。ついにわれわれの自我そのものの何もなくなるまで、その皮を一枚一枚棄脱して行かなくてはならぬ。このゼロに達した時に、そしてそこから更に新しく出発した時に、はじめてわれわれの自我は、皮でない実ばかりの本当の成長を遂げて行く。」(「自我の棄脱」)
 ここで述べているように、徹底した自己変革を指向していた先に、権力奪取を自己目的化するような政治的革命とは、まったく次元を異にする自己革命から社会革命へと至る道筋を大杉が指向していたことがわかるはずだ。
 大杉のもとから、日陰茶屋事件(吉田喜重監督作品『エロス+虐殺』のモチーフにもなった、1916年に起きた三角関係のもつれによって大杉が刺され重傷を負った事件)によって多くの同志が離れていった。ある意味、大スキャンダルであったし、巷間、世俗的な話題として拡散していったと思われるから、それも当然のことかもしれない。しかし、それでも村木や和田らは残ったわけだから、彼らの心情は想像して余りあるといっていい。だが、大杉は、事件後、一時的には孤立していたにもかかわらず、その後の活動は、非常にエネルギッシュになっていったところが、凄いといえる。
 大杉の文章が当時も、そして現在に至るまで読み継がれてきたのは、幸徳と違って口語文体だったこともあるが、現在時に置き換えてみれば、ポストモダン的志向を持っていたと見做すことができる。80年代に流行した概念でいえば、旧体制や古い思考を脱構築しようとしたと捉えると分かりやすいかもしれない。既成のものをいったん壊して、そのなかで有用のものを残し、新たな考え方を作り上げていくといったことが、特に、大杉が説くアナルコサンジカリズムという考え方の提示のし方にあるといってもいい。つまり、労働者による革命運動といった表層的なものを必ずしも指向していたのではないのだ。つまり、ヨーロッパのサンジカリズムと、日本に移入したサンジカリズムをそのまま、同じものと考えることはできないからだ。脱構築した大杉風のサンジカリズムは、けっして、労働組合主義でもなければ、労働運動至上主義でもないと思う。そういうことを見据えないかぎり大杉たちがやってきたことや、主張してきたことを取り違えてしまうことになりかねないといいたい気がする。大杉が主張する労働運動というのは、もっと広義な意味での大衆運動のことだといえるはずだ。それを労働運動という狭いカテゴリーに特化して捉えてしまうと、違った方向にいってしまうことになる。大杉の時代の労働運動といわれるものは、要するに、関係性や共同性を構築していくという運動だったという気がする。いうところの社会革命も、そういうことなのだ。
 結局、大杉栄は、ある意味、自分を開いている、開くことができたことになる。人間関係を結ぶということは、自分を開かなければ、できないわけだが、どこかで無意識のうちに、自分で閉じることをしないと、関係性に身を置くことは大変になってくるから、自分を開いていくのは至難なことだといっていい。
大杉は、閉じてはいけないと自分に課しながら、ひたすら疾走したのだと思う。だから、わたしは、自分も開くし、関係性や共同性に対しても、絶対に閉じてはいけない、開いていくべきだという強い意志を持っていたことこそ、大杉の考えたアナキズムだといいたい。
 個というものを想起すれば、それは、多様性というものを認めていくことからしか、いわゆる関係性の変革は、成立しないことになる。しかし現実では、なかなかその多様性というものは認められずに、ある種の秩序化した様態へと組み入れられているといっていい。例えば、対抗的な運動というのは、往々にして、ひとつの考え方やスローガンに統一したいとか、収斂させようとする。この間の反原発運動もそうだが、反原発といっても、それぞれの人たちにとって、様々な視線とアプローチの仕方があるはずだから、反原発ということだけに、対抗目標を定めてしまうことの危うさを自覚すべきだと思う。
 だから、現在、迷路のような場所を彷徨しているかのような対抗的・反抗的渦動だが、もし大杉栄が放つ、簡潔で鮮烈な発言に触れることで、一筋の光明のようなものを、この先の通路に見出すことができるなら、『大杉栄全集』の刊行は、意味あることになるはずだと、わたしはいま思っている。

(『図書新聞』14.10.18号)


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