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2014年8月 1日 (金)

伊福部昭 述、小林 淳 編『伊福部昭語る―伊福部昭 映画音楽回顧録―』(ワイズ出版刊・14.5.31)、木部与巴仁 著『伊福部昭の音楽史』(春秋社刊・14.4.25)、片山杜秀・責任編集『KAWADE夢ムック 伊福部昭』河出書房新社刊・14.5.31)

 映画は総合芸術であると、しばしばいわれている。それは、画像や音声だけではなく、音楽を多用させることによって物語としての映像に深みや厚みを与え、観る側に、鮮烈な印象を植え付けるからだといっていい。
 伊福部昭(1914~2006)という名前は、いまでは多くの人が知る存在だといえる。伊福部が生み出した映画音楽は、あまりにも有名で、誰もが一度は耳にし、ついにはいつまでも、記憶の中に潜在し続けるといった事態になっているはずだ。いわずと知れた、映画『ゴジラ』(監督・本多猪四郎、1954年)で流れる音楽のことである。
 しかし、伊福部はそもそも、戦前期からの現代音楽の作曲家であり、47年から始めた映画音楽(『銀嶺の果て』、監督・谷口千吉)の仕事は、戦後直後の不安定な生活を支えるためのものであった。そして、多様多彩に数多くの映画作品(作品数は三百強、監督数は七十人を超える)を担当しながらも、現代音楽の作品も数多く残していることは、あまり知られていない。今年は、伊福部昭生誕百年ということで、関連本やCDが出され、たまたま時期が重なったのかはわからないが、ハリウッド版新作『GODZILLAゴジラ』(監督、ギャレス・エドワーズ)が公開され、伊福部昭への再評価の機運が高まっているといっていい。
 『伊福部昭語る』は、編者が、「一九九一(平成三)年から二〇〇四(平成十六)年にわたる期間」、「映画音楽にかかわる種々様々な話題についてインタビューしてきた内容を作品単位に、時系列に整えて再構成、集成したもの」だ。『銀嶺の果て』から、『ゴジラVSデストロイア』(監督・大河原孝夫、1995年)まで、上映時間、公開日、「スタッフ」、「キャスト」、「作品概要」、「音楽概要」そして、「伊福部昭・述」という構成になっていて、さながら、決定版・伊福部昭映画音楽事典といった趣になっている。編者・小林淳は次のように述べて、伊福部に対し、深い理解と共感を示している。
 「日本・アジアの風土、空気、民族性、伝統文化、大衆芸能といったものを伊福部は真摯に正面から見据え、己の土壌と融け合わせることを基盤とし、音楽を生み出してきた。」「映画とは映像で語り、音楽で語り、作劇術で語るもの――。この三種が合わさって一つのものを構築するのが、映画――。伊福部はそうした考えを持っていた。」(「序章」)
 北海道出身の伊福部が、アイヌ文化などに接する機会があったからこそ、例えば、『日本誕生』(監督・稲垣浩、1959年)に象徴させてみれば、「民族性、伝統文化、大衆芸能」を源泉としたアジア的な音楽性に満ち溢れたダイナミック作品を生み出すことができたと思うし、作品的な出会いをいえば、『コタンの口笛』(監督・成瀬巳喜男、1959年)を担当したのは、ある意味、必然だったといえる。ところで、本書のなかで伊福部が語る監督観、作品観が、実に興味深かった。二人の監督について語った箇所だけを引いてみる。
 「黒澤さんの映画だからでしょう。この映画(註・『静かなる決闘』1949年、脚本も黒澤明)に関しての質問をいろいろな方からたびたび受けます。(略)まず台本を読んだのですが、今一つ乗れなかったんですよ。ピンと来るものがなかった。(略)過酷な運命を自ら選択して思い悩む姿がどこか新派劇のようで、その深刻ぶりがちょっと共感できなかったんですね。鼻につく、というか。」「『炎の城』(註・1960年)というのは、シェイクスピアの『ハムレット』を翻案化した作品でした。監督の加藤泰さんともそのあたり、宗教色をどうしようか、なんて話し合った記憶があります。(略)加藤さんとは主人公の考え方、対処の仕方まで話し合いました。/加藤さんとの仕事はこの一本だけだったと思いますが、なかなか音楽に対する個性的な考えを持った方でした。」
 わたしのなかで、加藤泰と黒澤明の間には、映画作家として埋めようもない遠く離れた距離があると見做していたから、伊福部の見方に、全面的に首肯する思いだ。
 『伊福部昭の音楽史』は、伊福部昭の映画音楽以外の現代音楽(著者は純音楽としている)作品に焦点を当て、時間順に辿りながら作品構想、成立過程を詳細に記述し、同時に伊福部の発言・文章を適時に挟み、伊福部の時間性を重ねて、その“生き方”を浮き彫りにしている。なによりも、著者が伊福部の代表作と評している『シンフォニア・タプカーラ』(1955年、アメリカで初演)を二十五年かけて改訂し発表するという、その作家姿勢に、わたしは、率直に伊福部昭の真摯さと音楽的熱情を感じてしまう。「タプカーラ」とは、アイヌ語で、「立って踊る」という意味だそうだ。ここでも、アイヌ文化に象徴されるアジア的な民族芸能的なるものに拘泥する伊福部音楽を見通すことになる。
 「伊福部は抽象画家ではない、あくまで具象の画家だ。これは改訂版『タプカーラ』について触れることだが、伊福部は『ノスタルヂア』という言葉を使って曲を解説している。しかしそれは、淡くて温かく、柔らかくて優しい、そんな『ノスタルヂア』ではない。荒々しく筋肉質なものなのだ。」
 例えば、『タプカーラ』の第三楽章を聞くと、まさしく「立って踊る」といったイメージを喚起させてくれる。アイヌの人たちに触れて、「興がのると、喜びは、勿論、悲しい時でも、その心情の赴くまま、即興の詩を歌い延々と踊るのでした。/それは、今なお、感動を押え得ぬ思い出なのです」と語る伊福部の感性が、「ノスタルヂア」という言葉を発しながら、歓喜する生を希求しているといえなくもない。著者、木部はいう。
 「音楽を、人は何のために聴くのだろう。/そう問われた時、伊福部の音楽を身体によみがえらせながら思う。/それは生きるために、と。」
 『KAWADE夢ムック 伊福部昭』は、音楽家(大友良英、吉松隆他)やミュージシャン(あがた森魚)へのインタビューや文章の他、片山杜秀による伊福部への未発表インタビュー、伊福部の文章や鼎談・対談等を収録して、幅広い視点から伊福部昭の世界への入り口になっていると同時に、深く望見しうるテクストにもなっている。伊福部の甥(兄の息子)、伊福部達の文章に、3.11以後、頻繁に流れて認知されることになった緊急地震速報のチャイムの作成を依頼されたことに触れて述べている。
 「考えあぐねた結果、叔父が長い年月をかけて完成させた《シンフォニア・タプカーラ》の(略)第三楽章の冒頭をアレンジしてチャイムにすることにしたが、その部分には『急げ、でも慌てるな』というメッセージ性を感じたからである。」(「伊福部音楽の底に流れるもの」)
 あの時、核と原発を繋げて、チャイムは、『ゴジラ』の音楽をアレンジしたものだという噂が流れていたのだが、『タプカーラ』からだったことをこの一文で知り、さらには次の言葉に接し、あらためて伊福部音楽が持つ普遍性を理解することになったといっておきたい。
 「グローバリズムのような單一の価値観ではなく、夫々の異文化が互に理解と敬意をもって共存し得る時代の到来を希って止みません。」(『伊福部昭の音楽史』で引用されていた九十歳時の文章)

(『図書新聞』14.8.9号)

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