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2014年6月 7日 (土)

池内 郁 著『日本の祭りを追う』(西田書店刊・14.2.25)

 わたしは、かつて祭りというものに深い関心を抱いた時期がある。いささか、気恥ずかしい告白となってしまうが、「祭儀論」と題した論考を、『天皇制研究』(JCA出版刊、80.1~86.8)に連載していた頃のことだ。モチーフとしては、民間祭儀を通して、天皇家の祭儀(王権継承祭儀)を相対化し、無化させていく地平を析出することにあった。それは、同時に、それぞれの土地で暮らす人々の共同性にはらむ膂力といったことへ視線を馳せることでもあった。つまり、身近な神社での祭礼から、古来より引き継がれてきた伝統的な祭りまで、多様な民間の祭りには、わたしたちが生きていることの、あるいは生きていくことへの、潜在力があるということを意味していることになる。本書の著者は、「そこに暮らす人びとが先人から受け継いだ町の宝を大事に守っていく気持ちが伝わってくるのが」、祭りを撮ることの「醍醐味だ」と述べている。このようなイノセントな視線から、次のような言葉を紡ぎだしていく著者に、わたしは、素直に共感したいと思う。
 「これから日本の祭りがどのような道をたどるのだろうかと案じるが、土地の記憶があるかぎり祭りは存続することだろう。」(「後記」)
 「土地の記憶」とは、わたしなりの言葉にいい換えれば、「共同性」や「関係性」ということになる。未知の場所で祭りに接しても、すぐに、その空間の中に入ることができるのが、祭りというものなのだ。天皇家の祭儀のように、秘儀つまり閉じた祭りもあるが、祭りというものは、ほんらい、開かれたものなのだ。
 本書は、堅苦しい研究書のような体裁ではないし、かといって、観光ガイド的な平板なものでもない。和綴じ本のような装本によって、頁は開きやすく見やすい。そして、任意に頁を開けても、格式張っていない、親近感溢れるショットで写真が配置されている。さらにいえば、愛知県東栄町の「花祭」から、東京都練馬区の「関のボロ市」まで、98ヶ所の多彩な祭りが、著者による写真と的確な短文によって紹介されている。わたしが、秋田県の出身だから挙げるわけではないが、なかでも、秋田市の「三吉梵天祭」と、秋田県大館市の「大館神明社例祭」の子どもたちの表情が、実にいいのだ。この表情があるかぎり、「祭りは存続する」はずだといいたいと思う。

(『図書新聞』14.6.14号)

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