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2014年3月29日 (土)

上野延代遺稿集『蒲公英――百一歳 叛骨の生涯』         (上野延代遺稿集刊行会刊・13.12.15)

 本書は、上野延代(1911~2012)にとって初めての著作集でもある。遺稿集刊行の経緯は、刊行会のメンバーの一人、沼知義孝によれば、次のようになる。「偲ぶ会」を開くために、「『資料』の提供を申し出」たところ、家族から、「『要保存「蒲公英メモ」』の封筒に入った冊子や原稿、写真の数々」を借りることになった。「集会で会う上野さんは、端然と席をしめ、自己紹介などを求められると、『上野です』以外は語らない。長々と所属団体や『闘い』を縷々披歴する発言者の口舌に憤然としている風であった」から、「蒲公英メモ」は、上野のそのような「想いを書きとめ、残されていた」と考え、遺稿集を編むことになったようだ。ちなみに蒲公英は、上野が「好んで使ったペンネームの一つであ」る。全六章で構成され、最終章は、句篇となっている。そういえば、上野延代の夫・上野克巳(1905~54)は、大正期、中浜哲、古田大次郎らのギロチン社に参加して活動していたのだが、労働運動社から村木源次郎とともに合流した和田久太郎も、俳人であったのは、ひとつの機縁といっていいかもしれない。上野は戦後、夫・克巳とともに、地元、板橋区で地域紙「板橋新聞」(後、「民友新報」)を49年ごろまで発行していたという。その後のことを簡略化して記してみれば、「50年以降、(略)日本アナキストクラブに参画。(略)その柔軟で実践的な姿勢は組織的対立関係に左右されることなく、秋山清らとも交流。戦後一貫して同志たちの救援活動に携わり、皇居発煙筒事件、べ反委、背叛社事件、全共闘、黒ヘル、東アジア反日武装戦線など、アナキズム戦線に限らず死刑廃止運動や一般刑事犯の救援まで幅広く行う」(松本勲「上野延代」―『日本アナキズム運動人名事典』・ぱる出版04年刊)となる。
 上野の、遺稿集に収められた文章群を読めば、自分の立ち位置というものを揺るぎのないものとして、確信し続けてきたことが、よくわかる。なによりも、「柔軟で実践的な姿勢」によって「組織的対立関係に左右されること」のない関係性を持つことができたのは、立ち位置を見失うことなく、日々の生活を持続してきたからだといっていいはずだ。野田房嗣は「あとがき」で、「上野さんは、抵抗しても無駄かもしれないと知りながら、しかし絶え間なく異議の声を挙げ続けること、その困苦を、あの微笑みとともに緩やかにそして穏やかに遂行されていた。彼女は、思想が試される場所、つまり『自分の確信』という場所に、愚直に、敢然と立ち続けていた」と述べているが、まさしく、そのことが「叛骨の生涯」ということになるだろう。
 「(略)アナーキズムは特別の人種の特別の思想ではなく、吾々日常の生活の上に知らず知らず実行している平凡で普遍的な行為と思考なのだ、流行しようがしまいがアナーキズムは死に絶えるような思想ではない。」「(略)故郷の山にごぶさたをしている間に山はすっかり変貌していました。緑の斜面がいたいたしいまでに削りとられてコンクリートの小型ダムが塞いでいます。なん十年、なん百年、人の手によって保護されてきた谷がたった一度の出水で同じ人の手で壊されてしまったのです。」「(略)上下身分の差別意識、部落者に対する荒唐妄誕の人間比較論が尊皇討幕派に根強くはびこっていたことは人間解放の夜明けと期待された明治の〝革命〟に何をプラスしたか。多くの血を流しながら斃れていった人々の夢見た理想と勤皇復古の奴隷意識でしかあり得なかったという、かなしい事実はそのまま敗戦後の日本の現在に引き継がれて、先進国家を自称するこの国の厳として否定し得ない後進性を物語っている。」
 「日常の生活の上に知らず知らず実行している平凡で普遍的な行為と思考」という考え方、「人の手によって保護されてきた谷が」、「同じ人の手で壊され」たという捉え方、明治近代天皇制と、戦後の現在を通底させていく認識の仕方、それぞれは、まぎれもなく上野の立ち位置を象徴していると思う。だが、なによりも、「柔軟で実践的な姿勢」を表しているのは、俳句表現にあるといえるはずだ。任意に挙げてみる。
 「生きてると光りかがやく春の水」「どの路地をぬけてもさむき日本海」「白息の波打つ闇のふかさかな」「月のもと首都は巨大な墓石群」「老残の身は天外に朴の花」「凍土にも日のあるかぎり虹が屹つ」「百歳に冬が追い打ちかけてくる」「わが思念中空に雪涌くごとく」
 どれも、自らの感性を発露として、率直に表出する、詩性を湛えた句作品だ。そして、それは、間違いなく、上野延代という一人の存在の有様をわたしたちに放出している。加藤典洋は、「はじめに」で、「この本は上野さんの海に浮かぶ一つのブイと似てい」ると記しているが、もう少し、踏みこんでいえば、上野さんという人そのものが、わたしたちの関係性を織り成すブイだったといってもいいのではないだろうか。

(『図書新聞』14.4.5号)

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2014年3月15日 (土)

つげ忠男 著『出会ってみたい人』(ワイズ出版刊・14.1.25)

 つげ忠男、三年ぶりの作品集である。ただし、本集に収録されている作品「曼陀羅華綺譚」は、前著『曼陀羅華綺譚』(北冬書房刊・11.4)からの再掲載ということになる。漫画作品は、他に「女ご衆漁」(書き下ろし)、「変転」(初出『幻燈 13』・13.6)。書名とした「出会ってみたい人」は、「思想の科学」76年1月号から12月号まで連載されたもので、人物画に短めの文章が見開きで配されていて十二点の画集のような趣きになっている。そして、絵本「バルトークの生涯」(初出「おんがくのほん」74年7月号)と題した、高橋英郎の文との合作というかたちの作品が最後に収められている。
 先日、繊細かつ独自のアグレッシヴな演奏で魅了し続けている橋口瑞恵というヴァイオリニストのライブでバルトークの「ヴァイオリンのための無伴奏ソナタ」(最晩年の作品)を聴いた。圧巻の演奏だった。演奏前にMCのようなものを入れるのが彼女のライブの特色で、バルトークについての語りもじつに良かった。アメリカ亡命後の悲惨な生活、自らの故郷の土地の音楽(民謡)への憧憬といったことを、その時、知ったことになる。前衛的で難解な音楽を紡ぎ出した音楽家というイメージだったバルトークが、なにか暗い道筋にその生を過ごしていたとは、意外な思いをしたといっていい。高橋英郎とつげ忠男の「バルトークの生涯」には、つげ忠男の陰影深い描出と、高松のたんたんとした筆致が共鳴して、メロディーを奏でているかのように、バルトークの孤絶感を表象している。特に農民たちの歌う佇まいがいい。
 「出会ってみたい人」は、七十年代のつげ忠男作品に繋がる人物たちが活写されている。
 「『なにもかも一体どうなってんだよオ 冗談じゃないぜ、まったく』と、雨の中で呟いているヤクザ」「『戦争? カッコイイようォ…… 軍隊ってところは本当に楽しかったねえ』などと、安酒場の片隅で吠えている特攻隊生き残りの本格派アウトロー。」「気紛れに人をなぐり、やりたければ犯し、そんな風に土地から土地を渡り歩く初老の男。」「毎日 やはり 浜へ 出るしかない 盲目の漁師。」「いつ自分がそうなり 何年過ぎたのか 思いかえしてみる事もなく、小さなアパートの部屋でただ ひっそりとすごす女性(ひと)。ブルーフィルムの中でのみ、活き活きと見える女性(ひと)。」「結局、本当はどうでも良いのだ と、そんな感じで 終わっちまえ!」
 つげ忠男は、「あとがき」で、この「出会ってみたい人」について、「迫力はある」、「今の自分が失ってしまったものが見える」と述べている。確かに、短文と画像の間を横断する作者の息遣いのようなものは、先鋭的に感じられる。だが、本集に収められている漫画作品三作との時間の幅は、三十年以上あるのだ。しかも、この間、つげ自身にとって、「体調不良」という大きな障壁のなかでの、途切れることのない表現行為を考えてみれば、同じように「迫力ある」描像を表出することは、至難であることは、わたしたちも理解しているつもりだ。
 初出時、「変転」という作品に、少なからず戸惑いを覚えたのだが、イノセントに「漁師になりたい」という願望(それは、「体調不良」であることからくる「変身願望」といえなくもない)を込めたものだと捉えれば、やや断絶感を持ってしまった物語であっても、それが、つげ忠男の現在なのだというべきかもしれない。
 「曼陀羅華綺譚」は、男女三人の出会いと邂逅を通して、「性」と「死」が、遊戯的感性のようなものを漂わせながら、浮遊していく物語だ。いうなれば、この遊戯感や浮遊感といったものが、つげ忠男を支えている膂力のような気がする。最新作「女ご衆漁」は、そう意味でいえば、土俗的(あるいは秘儀的といってもいい)なモチーフを、敢えて「明るく」変容させて描出させながら、作品に内在する混沌とした共同性を浮揚させて、感動的であると、わたしはいいたいと思う。
 三作品に共通するものは、「魚釣り」ということになるが、大作『舟に棲む』があるように、つげ忠男と釣りは、ひとつの「生」の証しでもある。「出会ってみたい人」には、「盲目の漁師」の他に、もう一人、漁師が登場する。極太い指をした手を活写した画像に、「ある日、突然に 海を捨ててしまった漁師」と付されている。手は、まさしく「迫力ある」イメージをわたしたちに喚起する。そして、その手は、漁師の手であるとともに、漁師になりたくてもなれない漫画作家の手でもあるのかもしれない。

(『図書新聞』14.3.22号)

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