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2014年1月10日 (金)

辺銀早苗 企画編集『村木源次郎資料集』           (B企画刊・13.11.1)

 村木源次郎(1890~1925)は、若くして、幸徳秋水の周辺にいて、18歳のとき大杉栄、荒畑寒村等とともに、いわゆる赤旗事件で検挙される。未成年だったため懲役一年で出獄、健康状態を悪くしたため、幸徳事件前後から数年、運動関係から距離を置く。やがて、大杉栄と随伴していくことになるのだが、率先して先鋭的な活動を行なうというわけではなく、どちらかといえば、世話役、あるいは、「大杉の秘書」(江口渙)のように見られていた。だが、そのような影のような佇まいであったにもかかわらず、『労働運動 大杉栄・伊藤野枝追悼號』に寄せた「彼と彼女と俺」という文章や、「マコよ 独りで泣くのはおよし」という書き出しで始まる、大杉と野枝の遺児・魔子へ捧げた詩篇(いずれも、本書に収録)は、村木源次郎という〈像〉を、極めて鮮明にあらわしているといっていい。村木源次郎の名前が、無政府主義、社会主義運動史のなかで、強く刻印されるようになったのは、大杉・野枝虐殺後、中浜哲、古田大次郎らのギロチン社に、同じ、『労働運動』の同志・和田久太郎と共に参加してからだと思う。最年長(といっても、三十代前半)であることと、その雰囲気から、“ご隠居”と呼ばれていたが、二十代前半の中浜や古田にとっては、信頼すべき存在としてあったはずだ。
 本書は、ほとんど、文章的表現を残してこなかった村木源次郎という存在を、様々な資料や、村木についての文章をアンソロジー的に編集することによって、運動史の中核に浮かび上がらせようと企図したものだ。この資料集には、元版というものがあり、71~72年に秋山清・藤巻修共編で『渡辺政太郎 村木源次郎 資料(1)(2)』としてガリ版印刷で出されたものなのだが、本書では、巻頭に、墓や住居跡、関連ある場所の現在時のカラー写真も配置し、その後、書かれた数多くの村木関連の文章を増補、抄録している。願わくは、鈴木清順の「物語・村木源次郎」のような、全文掲載してほしかったものもあるが、作業的には難しかったのかもしれない。
 非公式にではあるが、本書の編者の私信というものがある。そこには、次のように書かれていた。
 「さて『村木源次郎』について考える時、『明治維新』以降の個人意識(個的幻想)と社会意識(国家幻想・共同幻想)という枠であてはめてもくみ取れるものがあると、確信しています。この資料集の意味は、なにより、初期社会(主義)運動を担った多くの人たちの(表舞台に立つことはなかった)一例としてあると思います。そこがこの『村木』という人の魅力でもあるのです。」
 声高に、この資料集の意味・意義をいわないところが、まるで、村木のような編者だといわざるをえない。わたしは、十代後半期に、幸徳や大杉ではなく、高橋和巳の秀抜な論考「暗殺の哲学」と、石川啄木の詩篇「ココアのひと匙」に魅せられて、大正ギロチン社とロシア革命前夜のテロリスト、サヴィンコフ=ロープシンに強い関心を抱いたものだった。情況が、対抗的運動の渦中であったとはいえ、個から喚起される行動こそが、もっとも普遍的であるべきだと考えたからだが、そのことは、四十年以上経ったいまでも、変わらないつもりだ。共同性というものは、個があってこその発露であるならば、村木源次郎のような存在こそ、現在、いちばん、求められると思う。そのようなことを知る契機として本書があれば、編者の思いは、ほぼ達成されることになるはずだ。
(本書は私家版であり、基本的には通常販売の形態をとっていない。在庫も僅少とのこと。希望されるかたは、発行所に問合せ願います。B企画=〒204-0023東京都清瀬市竹丘3-15-10佐藤様方)

(『図書新聞』14.1.18号)

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