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2013年2月20日 (水)

記憶の風景、記憶の場所                           ――「つげ義春『写真』の世界」【解説】

 つげ義春の「写真」を初めて見たのは、『つげ義春流れ雲旅』(大崎紀夫・北井一夫との共著、朝日ソノラマ刊・71.6)に収められた五十六点ほどの作品であった。もちろん、わたしは、刊行と同時に手に取っている。あえて、作品といったのは、まさしくそうとしかいいようがなく、「写真」作品もまた、つげ義春的世界というものを燦然と放っていたからだ。「東北湯治場旅」と題された文章(本書の中で、つげが担当した唯一の文章でもある)と共に掲載している写真のなかで、見開きで載っている夏油温泉街(四十年後の視線から見れば、街というには、かなり抵抗感があるかもしれない)は、穏やかな温泉場という雰囲気を醸し出し、奥行きのある構図は、見るものを異世界へと誘うような力を湛えている。突き当りの場所に「夏油食堂」と並んで「食堂」という看板が写し取られているのだが、その文字が手書き風の感じで、実にいいのだ。つげが、食堂の看板を意識してそのような構図で撮ったのかどうかは、わからない。しかし、見たままを撮るといっても、撮影者の無意識な相が、視線のなかに反映されていくことは当然なことだと、わたしには思われる。
 「蒸の湯に湯治にきていたおばあさん」と、キャプションが付けられている、これも見開きの写真だが、やや俯瞰気味に、浴槽と窓、そしてひとりで桶を掴んでいるおばあさんを見事な構図で捉えている。お湯の表面に窓が反射して映り、しかもそれが、やや揺らいでいる様は、夢幻的だ。なによりも、おばあさんの俯き加減の表情がいい。どういうアングルで、どのタイミングでシャッターを押すのかという技術的なことを、わたしはいいたいわけではないが、写真に限らず、対象に自分の視線をどう射し入れるかということは、意識してもうまくできることではない。それでも、対象にある種の共感を抱くことができなければ、写真や絵、あるいは言語による表現も含めて、作品として成り立つことはできないと思われる。
 「北陸雪中旅」の章に収められている、「早朝の氷見漁港 漁船が漁からもどってくる前 重く暗い空の下で港は静まりかえっていた」という文章が付された見開きの写真は、浮き桟橋を中心に置き、港内の海面を広角に捉えている。波の湛える様は、まさしく静謐さを持って迫ってくるかのようだ。不思議なことだが、浮き桟橋が何かを語りかけているように感じてくるのだ。それこそが、写真の力だといっていいかもしれない。
 「四国おへんろ乱れ打ち」の章は、共著者・大崎紀夫の文章によっているが、香川県にある四国霊場第71番札所の弥谷寺の参道に俳句茶屋というのがあるそうだ。大崎は、次のように記していく。
 「そこでわたしたちも縁台に腰をかけ、アメ湯を飲んだりトコロテンを食ったりしながら、ひとひねりすることにした。そしてわたしたちがあれこればからしい句や歌を作っていると、茶屋の娘がケラケラ笑いながら、それでも墨と短冊をもってきてくれた。結局、こんなものを作ったのだった。

 野の仏錫杖もつ手に花一輪
            義春          」
 実は、つげ義春の俳句があったことを、わたしは失念していた。いまあらためて、この句を見ると、下五句の花一輪というのが、なんとも繊細な感じがしていいと思う。既に、「ねじ式」や「ゲンセンカン主人」を発表した後のことになることを思えば、なおさら、花一輪が際立ってくるといいたくなる。
 
つげ義春の写真をある意味、メインで編まれた本が、『つげ義春の温泉』(カタログハウス刊・03.2、文庫版は筑摩書房刊・12年6月)である。「温泉写真・イラスト」、「温泉漫画」、「温泉エッセイ」の三部構成で、「温泉写真」は、すべて未発表のものを七十点収載し、エッセイは、十篇中、三篇が未発表のものだ。カタログハウス版「あとがき」で、つげは、「作画にこだわらず、単に私が訪れた温泉の紹介として(一部にすぎないが)選んでみた。二、三十年前に写したものなので、現在このような景観を見ることはできないのではないだろうか。私の温泉離れも、みすぼらしい景観が少なくなったのが原因といえるかもしれない」と述べている。刊行されて十年近く経っているから、三、四十年前とさらなる時間を積み重ねたことになる。「温泉離れも、みすぼらしい景観が少なくなったのが原因」だと、いかにもつげらしいいい方だと思うが、つげが好んで訪れる山奥の温泉場、つまり湯治を主とした温泉旅館は、ほぼ木造の建物であるから、熱海や箱根、伊豆といった温泉地の景観との大いなる差異は、当然のことである。ところで、『つげ義春の温泉』収載の蒸ノ湯温泉には、『流れ雲旅』の「湯治にきていたおばあさん」が桶で体を流している写真を掲載している。なぜか、不思議な美しさを醸し出していることに驚く。

 北冬書房website「万力のある家」で、68年から75年にかけて撮られた「旅写真」が、エッセイと共に、「つげ義春旅写真」と題して、06年8月から09年12月にわたって掲載された(もちろん、現在もNet上で閲覧可能だ)。場所は、「篠栗霊場」、「瀬戸内」、「秋葉街道」、「善光寺街道」、「塩釜」、「下北半島」などである。「霊場」、「街道」、「漁港」といったモチーフは、つげらしいものとしてある。もう少し言い添えるならば、つげが、共感してやまない宮本常一の旅の足跡と共通のものが伺えるといってもいい。
 
 今回、発表された写真は、これまでの温泉場や街道といった場所と違い、東京という大都市(都会)を撮ったものである。撮影された時制に、ほぼリアルタイムで、わたしは地方から上京しているから、つげが撮った場所の雰囲気とでもいえるものを共有できるはずなのだが、身近なようでいて、東京ではないどこか遠くの場所のようにも気がしてしまうのだ。これが、四十年前の記憶を手繰り寄せるということなのかとも思うが、それにしても、わたし自身の、「記憶の風景、記憶の場所」は、あまりにも遠く彼方へと置き去りにしてしまったのかと、愕然となる。
 掲載された写真に、余計な注釈をつける必要はないことを承知の上で、あえて付言するならば、三点の都電の写真があることに注目してみたい。「ねじ式」には、蒸気機関車が登場しているわけだが、これは“夢世界”のことであり、現実的な場所に現われているのではない(ただし、「二岐渓谷」という作品にはワンカットだけ描かれている)。考えてみれば、つげ作品には、電車や汽車といった乗り物が、あまり描かれることがないといえる。都電(路面電車)に関していえば、「窓の手」(80年3月)と、「隣りの女」(84年12月)、「別離」(87年6~9月)という作品を挙げることができるだけだ。電車(ディーゼル車)は、他にもあるかもしれないが、「やなぎ屋主人」(70年2月)、「下宿の頃」(73年1月)、「枯野の宿」(74年7月)、「義男の青春」(74年7~11月)、「池袋百点会」(84年12月)、「やもり」(86年9月)といった作品に見られる。都電(路面電車としては私営の東急玉川線があったが、現在の世田谷線を残し69年に廃線となった)は、現在の荒川線を残して、72年に廃線となったから、わたしは、数年間、東京の路面電車に接したことになる(神保町から新宿まで乗ったことがある。ゆっくり座れたが、さすがにかなりの時間がかかったことを覚えている)。それにしても、車優先という考え方のなかで、都電は交通渋滞の元凶とされ、廃線に追いやられたのだが、結局、渋滞は、車に対する規制をかけない限り無理であって、渋滞緩和とはいかず、ますます渋滞に歯止めが効かなくなっていったのは、都市というものの「陥穽」であると見做すことができる。街の中を路面電車が走行する風景には、緩やかな時間が流れている。日々の暮らしもそうでありたいと、わたしは思う。だから、つげ義春と都電というマッチングは、「記憶の風景」として、これ以上ないものだといっておきたい。
 なお、「荒川区西尾久8丁目辺り」とキャプションが付いている写真は背景として、「隣りの女」のワンカットに使われている。
 東京生まれであるつげは、幼少時(伊豆大島)や学童疎開時(新潟・赤倉温泉)を除けば、葛飾区内に家族と住み続け、家を出てからは、高田馬場、錦糸町、大塚に住んだ後、66年から調布に住む。69年頃の新宿の写真があるのは、丁度、69年3月から一年ほど、新宿・十二社のアパートに住んでいたからだと思われる。70年3月にまた調布に戻り、途中一年ほど流山に転居するが、現在まで調布に在住している。足立、荒川、隅田といった場所は、つげにとって、かつて住んでいた「記憶の場所」を拡張した空間でもあるから、つげがいう東京とは、生まれ育った場所を意味していることになる。わたし自身、上京して四十年以上、いわゆる三多摩といわれた地域に住み続けている。たぶん、どこかで、自分の故郷との近接感を持って住み続けてきたかもしれない。調布も三多摩であり、つげが、葛飾近辺と調布という場所に共通のものを感じたとすれば、現在のような高層ビルを象徴とした大都市というイメージと無縁であるからだと思われる。わたしは、「墨田区大平町1丁目、大横川運河」(つげ自身かつて住んでいた場所とは近辺とのこと)と付された写真に、率直に共感したいと思う。この場所は、つげによれば、現在は埋めたれて公園となっているそうだ。偶然にも、わたしは、今年の春、大横川沿いの桜並木を初めて散策した。門前仲町界隈を流れる大横川で、やがて隅田川に合流する少し手前にあたる。桜は川沿いの両岸に綺麗に咲き誇り、人波もそれほど多くなく、ゆったりとした時間が流れることを感じることができた。その時のことを振り返りながら、つげ義春の漫画作品から読者(わたし)が、慰藉される不思議な感覚を持つのは、つげの、「記憶の風景・記憶の場所」から紡ぎだされるからだと、つげの東京写真群を見ながら、あらためて思ったことになる。

(『塵風 第5号』13.2)

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