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2013年10月 4日 (金)

「大杉栄と仲間たち」編集委員会 編                        『大杉栄と仲間たち―「近代思想」創刊100年』               (ぱる出版刊・13.6.27)

 雑誌『近代思想』(月刊)が、大杉栄と荒畑寒村によって創刊されたのは、大正元(1912)年十月のことであった。その一年半ほど前の一月に幸徳秋水たちが処刑され、いわゆる無政府主義、社会主義運動にとって冬の時代といわれた時期にあたる。いかにも、文芸的色彩を持たせた誌名であったためか、第一次二十三冊(~1914.9)は、発禁処分になることなく順調に発行されたのだが、その後の月刊『平民新聞』(全六冊、四号以外すべて発売頒布禁止、1914.10~15.3)をはさみ、第二次『近代思想』は、15年10月に再刊、復刊されるが、二号から四号(16年1月)までが発禁となり、その号で廃刊となる。大杉は、その頃、伊藤野枝との随伴がはじまり(堀保子は、『近代思想』の事務方として支えていた)、『文明批評』を出した後、『労働運動』を創刊するのは、大正8(1919)年10月のことだった。本書のなかで、小松隆二は、「『近代思想』とその時代は、大杉の生涯と運動においては重要な位置にある」として、『近代思想』に高い評価を与えている。つまり、「大杉らにとって『近代思想』の活動は、次のステージに進む準備の一面があった。と同時に、大杉らにもすでに思想、芸術、文化面でも他と対等に交わったり、先導したりする力が備えられており、大杉らの多様な活動・運動の一つが『近代思想』であったという理解・評価も可能である。社会主義者やアナキストの運動でも、明治期の『平民新聞』、また大正期の『労働運動』のような思想・運動専門の機関誌が唯一の、あるいは高い活動ではない。同時に文芸、文化、芸術、経済など多様な活動がなされてよい」(「『近代思想』にみられる大杉栄と堺利彦の距離」)と述べている。
 本書は、昨年(2112年)の10月に、雑誌『近代思想』が創刊して一〇〇年ということで開催された記念集会を基にして編まれた、二四名(そのうち、冨板敦は、渾身の資料編を提示したことを付記しておきたい)の執筆者による論集である。「大杉栄」、「『近代思想』」、「仲間たち」といった項目に添って諸論稿が並んでいる。
 いくらか恣意的に、幾篇かの論及を引いてみたい。
 「ある意味で大杉は生まれつきの詩人ではないかと思う。詩を書くのが得意だけではなく、彼の性格や考え方も『詩的』と言いえるだろう。」(マイケル・シャワティ「『詩人』としての大杉栄」)
 「大杉が『春三月縊り残され花に舞ふ』と詠じた一九一一年から、憲兵に絞め殺された一九二三年まで、僅か一二年。あの膨大な仕事が僅か一二年の間に為されたことを思ふと、その生の勢ひに圧倒される。それは花に舞ひつづけた一生であつたやうにも感じられる。」(白仁成昭「花に舞ふ――死と生の会話」)
 「国境をこえたアジアの連帯のうえにアナキズムの実現があるという大杉栄の思想は、亜洲和親会以来、揺らいではいないと私は考えているが、もちろん、検証は必要である。」(山泉進「大杉栄と上海と極東社会主義者会議」)
 「大杉は、女性問題や、まして『母』の生き方よりも、人間一般の個性や自由、さらには、革命主体としての人間のあり方に関心を持っていた。(略)数段高い位置から『青鞜』を指導するようなその態度は、『青鞜』を非難する男性知識人と補完的な共犯関係を結んでいる。不均衡なジェンダー構造のもとで、現状を無視した普遍主義とも呼べる思想を実践する男性・大杉栄が、後に堀保子・神近市子・伊藤野枝との関係を破綻させる葉山事件への道は、すでに始まっていた。」(村田裕和「『近代思想』のドラマ批評――『新しい女』をめぐって」)
 「たしかに七分は、運動に関与したことも、まとまった業績を残すこともなかった。そんな彼の生の在り方は、もしかしたら、学術的価値とか運動史上の価値といったものとは遠い存在とみなされるかもしれない。一市民としての、地味な存在であるのかもしれない。(略)その在り方もまた、一つの歴史そのものであり、貴重な財産であることが見えてくる。」(山中千春「無垢という〈アイロニー〉――『近代思想』以後の仲間・大石七分」)
 最後に、引いた大石七分は、「大逆事件で処刑された医師・大石誠之助の兄にあたる大石余平」(「同前」)を父に持ち、西村伊作(文化学院の創設者)の末弟でもある。血縁、地縁があるということは大きな意味を持つかもしれない。だが、「学術的価値とか運動史上の価値といったものとは遠い存在」であったとしても、「一つの歴史」というものをつくりあげる存在でありうることは、強調されていいはずだ。
 わたしは、これまで、『労働運動』と比較して、『近代思想』を幾らか低く見做していたように思う。それは、ロシア革命以前と以後の差異というものに拘っているからだ。やがて、拡がっていく大杉と荒畑や堺利彦、山川均らとの距離というものを考えていく時、わたしなら、大杉の孤立した奮戦とそれを支えていく理念の有様に共感を抱く。しかし、小松の言ではないが、『近代思想』の試みがなければ、次なる大杉栄の営為はなかったかもしれないと、あらためて思っている。なによりも、本書の諸論稿によって、大杉、荒畑たちの切実なる活動が、時間性を超えて、ひとつの描像をもって浮き上がり、わたしたちのいまと繋がっていることを、確認できたといっておきたい。

(『図書新聞』13.10.12号)

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