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2013年11月 8日 (金)

長谷川 裕・著、村上 健・絵                         『怪しい駅 懐かしい駅――東京近郊駅前旅行』          (草思社刊・13.8.28)

 わたしは、「駅」というものに、長い間、魅せられ続けてきた。なぜ、魅せられるのかは、自分でもよくわかっていない。ただ、未知の駅舎に行っても、なんとなく、そこに佇んでいたいと思ってきただけなのだ。著者の長谷川裕は、「それぞれの駅にはそれぞれの事情があり、なるべくして、あるいはやむにやまれず現在の形になっている。/私たちの暮しはこの百数十年間、そんな駅と深く関わりながら、駅とともに変化してきた。だからこそ、駅は怪しく懐かしい場所に思えるのだろう」(「はじめに」)と述べているのだが、大勢の人々が行き交うターミナル駅であっても、閑散として誰もいない地方の小さな駅も、わたしには、なにか親近感のようなものを覚えるのだ。確かに、著者がいうように、駅は、人々が往来する場所であるからこそ、そこに、その人たち(あるいは、わたしたち)の〈暮し〉と〈時間〉を漂わせているのだといっていいかもしれない。
 わたしが、小学生から中学生にかけて、スポーツといえば、野球と相撲だった。特に、大相撲の東京場所が開かれる両国駅は、地図を見る限り東京駅や上野駅のような大きな駅だろう思い、いずれは訪れてみたいと憧れていた駅だった。地方出身だったわたしが、両国駅に訪れたのは、上京して随分経ってからだったが、イメージとまったく違っていたことに、驚いたことを覚えている。本書では、「かつての栄光の名残りが駅舎に残る」として両国駅を取り上げている。
 「両国は相撲の街だから本場所が始まると見物客や観光客が集まり、駅前広場はそこそこ賑やかになるものの、ふだんおおむね閑散としている。(略)/ここまで八十数年を生き長らえてきた都内でも古株の駅舎である。/が、哀しいかな、もはやターミナル駅としての機能を果たしていない。(略)/駅に盛衰あり。両国駅は万世橋駅と同じ運命を歩んでいるかのようだ。」
 ところが最近、旧万世橋駅(御茶ノ水駅と神田駅の中間にあった駅で1943年に廃止)は、新しい商業施設となって再生したという報が入ってきた。本書には、もう一人の共著者といっていい村上健の絵が収められている。とりわけ、見開きで活写された両国駅が、じつにいいのだ。夕暮れ時の駅を真正面から見据え、タクシーが何台も連ねて、客を乗せていき、駅舎前の通路も多くの人で行き交っている。タクシー待ちのなかに数人の力士たちが立っている姿は、なにかほっとした気分にさせる。明りで照らされている両国駅の文字、そこには、わたしにとって、ありうべき幻の駅舎が描きだされているのだ。
 両国駅をはじめとして、東京周辺の16の駅(都電の停留所跡というのもある)が、長谷川裕の卓抜な視線を持った文章と村上健のあたたかみのある描線による街々(人々といってもいい)の絵との交響で、本書は、駅をめぐる物語に浸ることができる。
 そして、わたしが惹き込まれた駅がある。西武多摩川線(わたしたちには、是政線といった方が親しみやすい)の終着駅、是政駅である。上林暁の「花の精」とつげ義春の「無能の人」の舞台として取り上げられている。「無能の人」は、周知のように、多摩川の石を拾って、銘石として売る漫画家・助川助三の話だが、是政線は、戦前、多摩川の砂利を運搬するために施設されたものだという。
 「一人でほそぼそと石を売れば世間の笑いもので、大資本を投入して組織的に企業化すれば、経済発展の一翼を担う事業ということになるわけだ。/助川さんの気分で、もしかしたらいい石が落ちているかもしれないと足元に目を向けてみる。が、中流域の川石は角が取れて丸いものばかりで妙味に欠け、漬物石にしかなりそうもない。凡庸な目にはどの石も凡庸にしか見えないのだろうか」と著者が、述べているのが、印象的だ。この是政駅の章は、贅沢だ。村上による、多摩川に咲く月見草、ミヤコザクラ、スイカズラ、クレソン、ツリガネニンジン、ムラサキツユクサの花々や、ヒヨドリ、カワセミ、カルガモ、ツグミ、ハクチョウ、セグロセキレイといった鳥たちが愛らしく描かれている。これらの絵が、寂しげに佇む是政駅を包むように、あたたかさを吹き込んでいる。

(『図書新聞』13.11.16号)

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