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2013年7月10日 (水)

「『ダンスホール』に辿りついて」【らん視の散歩】

 佐藤正午という作家がいる。わたしが、その名前を初めて知ったのは、根岸吉太郎監督『永遠の1/2』(87年)と、藤田敏八監督『リボルバー』(88年)の二本の映画作品の原作者名としてであった。『八月の濡れた砂』という作品に接して以来、藤田作品に随伴したわけだが、この『リボルバー』が最後の監督作品となった。根岸作品としては、近年の『雪に願うこと』(05年)を、彼の代表作と見做していいと思うが、『永遠の1/2』も優れた作品であったのは確かだ。わたしは、映画作品から強い印象を受けた時、その原作を読んでみようとは、思わない。つまり原作と映画は、それぞれ別の作品として向き合うべきだと思っている。だから佐藤正午の小説作品を初めて読んだのは、『ジャンプ』(00年)だった。恋人が突然失踪するというモチーフのこの作品は、同じように妻や恋人が突然、消失する村上春樹作品より、はるかに奥行きのある物語を紡いでいると思った。以後、しばらく、作品を読むことなく、時が経ち、数年前に、映画化された二作品以外のほぼすべての小説作品を、魅せられるように一気に読了した(今年、TVドラマ化された『書店員ミチルの身の上話』の原作『身の上話』も読んでいる)。佐藤の最新作『ダンスホール』(11年)は、中編ではあるが、相変わらずの物語の巧みさに感心したものだ。この作品の中で、こんな場面がある。
 「『尾崎豊が歌ってるみたいなせつない感じ?』/『尾崎豊が歌ってるみたいってなんですか』これも戸野本晶が訊ねた。/『「ダンスホール」よ』と店主が曲名を答え、低い声で、呟くように一二小節歌って聞かせた。『♪あたい、ぐれはじめたのは……ほんのささいなことなの』」
 わたしは、尾崎の「卒業」という歌に馴染めず、敬遠気味にしていたのだが、直ぐにインターネット上の映像を探しあてて見た。91年10月のライブでのエンディングなのだが、「ダンスホール」を聴いて感嘆した。男女の視点を交錯させて歌われることで、一篇の劇を観ているかのように感じられたからだ。映像では最後に、「また次のツアーで会いましょう」と観客に向かって言いながら、幕を閉じている。だが、それは叶うことはなかった。

(「らん 62号」13.7.10)

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2013年7月 5日 (金)

石弘之・石紀美子 著                        『鉄条網の歴史―自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明』(洋泉社刊・13.3.11)

 鉄条網と聞いて、わたしたちはどういうイメージを思い浮かべるだろうか。世代間によって、当然、抱くイメージは違うだろうし、関心の方位によってもまた違ってくるといっていいかもしれない。わたしなら、やはり、真っ先に強制収容所、捕虜収容所といったことを想起してしまう。アメリカの西部劇映画をリアルタイムで観た世代ではないから、家畜を囲い込むための鉄条網というイメージは、どうしても薄い。
 本書は、サラエボで戦後復興プロジェクトに参加した経験を持つ長女の協力を得て、環境学者(石弘之)ならではの、新たなる提起をしている。つまり歴史的空間のなかで、一見、見過ごしがちな鉄条網というものに焦点をあてて、人間が抱え込んでしまった負のテクノロジーを論断しながら、わたしたちに、なぜ敵を対置し排除していかなければならないのか、あるいは、なぜ人種間の差別化をしなければならないのか、なぜ富と権力を持つ者たちと持たざる者たちを差別化しなければならないのか、なぜ国境によって分断しなければならないのかということを、真摯に問うていく。
 そもそも、人間と動物を分断させた鉄条網は、いつしか、人間と人間を分断し、民族共同体を分断し、国家間をも分断していったことになる。
  「『短時間に広範囲を厳重に囲う』という鉄条網の持つ最大の機能が、家畜から人間に向けられるのは時間の問題だった。はじめは、自分たちを囲って敵から身や財産を守ったのが、やがて敵を囲うことに威力が発揮されるようになった。」(「第四章 人間を拘束するフェンス」)
 鉄条網が、農牧場を囲うものとして発明されたのは、アメリカとフランスで一八六〇年代の同時期だったという。軍事用に転用されたのは、ヨーロッパで一八八〇年代というから、僅か、二十年ほどの期間でしかない。驚くべきテクノロジーの拡張といえる。やがて戦争の時代に突入するとともに、鉄条網は重要な位置を獲得していくことになる。著者たちは、鉄条網を「塹壕戦の主役」と規定している。
 ベルリンの壁の上部には、鉄条網を張りめぐらしていたし、イスラエル・パレスチナ間には、分離壁が立てられ、上部や前面に鉄条網が張られている。鉄条網の存在は、いまだ現在的であることを忘れてはならない。
  「人種の差というのは、劣等人種と優越人種という近代西洋の価値観に基づく部分が大きく、植民地支配や奴隷貿易などの口実とされてきた。人種とIQの違いなどが論じられるが、それは教育や生活の水準、栄養条件などの環境の違いでしかない。アマゾンや東アフリカで狩猟で暮らす先住民と生活を共にしたことがあるが、彼らの基準では、わたしは狩りも採集もできずひとりで生きていけない無能な『劣等人種』であった。/アフリカに発祥した人類は、本来は『黒人』だった。それが、移動先の気候風土に適応するために、皮膚や毛や目の色素量が変化し、気温に適応するために体型が熱い場所で細く長くなり、寒いところではずんぐりむっくりになっただけの話だ。」(「同前」)
 人種・民族の差異を、なぜ、差異のまま容認できずに、差別へと転化させてしまうのだろうかと思う。著者のような視線を、多くの人たちが持ちえるならば、差別感を無効化できるはずだと、わたしならいいたい気がする。
 さらにまた、アメリカのフロンティア精神が、先住民圧殺によって開始されていったことを、糊塗するかのように、アメリカ的デモクラシーが世界を席巻していったのは、核開発(もちろん、原発も含む)に象徴される負のテクノロジーによってであることは、誰もが否定できないだろう。鉄条網もまた、核的なるもののメタファーであると、わたしならいっておきたい。
  「国境という概念ができたのはそんなに古いことではない。地球は連続した空間であり、海洋、山岳、河川湖沼、砂漠などの自然の障壁を別にすれば、人間や物や動物は本来自由に行き来できた。古代から中世においては『国境』という概念は存在せず、ヨーロッパでは相互に承認して確立される国境はほとんど存在しなかった。(略)国境線や戦闘によってくるくる変わる勢力圏を確定するのには、鉄条網が威力を発揮した。地域住民がほとんど気にも留めなかった『国境』という抽象的な存在が、鉄条網が張られることで目に見えるようになった。この結果国境画定をめぐる国境紛争が起き、民族が分断されて新たな紛争を誘発するという事態になっている。」(「第六章 世界を分断する境界線」)
 鉄条網が、隣家との境を確認する垣根のようなものならいいが、実際はそうではない。そのことは、パラドキシカルにテクノロジーが負性を帯びていくことを、示しているといわざるをえない。鉄から鉄条網が作られていくように、ニトログリセリンからダイナマイトを発明したり、放射線研究から、核爆弾や原発が開発されたり、拡張していくテクノロジーの方位は、必ずしも、人びとの生活を向上させていくものではないのだ。
 3.11から二年しか経っていない、いまだからこそ、わたしたちはもう一度、テクノロジーの問題を考えていくべきである。

(『図書新聞』13.7.13号)

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