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2013年4月30日 (火)

【一句観賞】鮎川信夫「警笛はいづこ河口の霧深し」

 鮎川信夫(1920~86)は、「荒地」派を代表する詩人であるが、わたしにとって戦後詩のなかで、最も共感して読んだ詩人である。「繋船ホテルの朝の歌」や「橋上の人」に初めて接した時、まるで一篇の短編小説のような物語性に、深い衝撃を受けたものだった。掲句は、第二次「荒地」創刊前の、47年一月の福田律郎宅新年句会で発表されたものである。「荒地」派の詩人たちとは同世代である高柳重信は、寺山や塚本、大岡たちとの鼎談(「俳句研究」59年6月号)で、大岡の「『荒地』の人たちの方が詩に対」して、「〈信仰〉みたいなものを持っていた」という発言に対し、自分の場合は「〈信仰〉を持って」いたのとは違い、「信じてるふりをしなければいられなかった」から、「荒地」の人たちもそうだったはずだと述べ、「ああいう詩よりもっとつたなきもの、もっとまやかしじみたいじらしいものを、―それが俳句だったんだが―信じたふりをすることで、それでぼくを救おうとおもったわけ」だと語っている。「ふりをする」とは、なるほど、そうともいえるなというのが、鮎川と重信の作品に共感するわたしの受けとめかただった。そこには、二十代で戦時下にあった世代に共通する悲哀感があるといっていい。その重信に「海へ/夜へ/河がほろびる/河口のピストル」の句があることに、なにか、必然の繋がりを感じる。河口は、川が大海へと流れ出る場所ということで、希望や可能性を内在していると見做せるけれども、むしろ彷徨や断念の思いの暗喩が含まれていると、わたしならこの二つの句からイメージすることになる。

(句紙「夜河」第弐拾弐拾號・13.5.3)

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