« 2013年3月 | トップページ | 2013年7月 »

2013年4月30日 (火)

【一句観賞】鮎川信夫「警笛はいづこ河口の霧深し」

 鮎川信夫(1920~86)は、「荒地」派を代表する詩人であるが、わたしにとって戦後詩のなかで、最も共感して読んだ詩人である。「繋船ホテルの朝の歌」や「橋上の人」に初めて接した時、まるで一篇の短編小説のような物語性に、深い衝撃を受けたものだった。掲句は、第二次「荒地」創刊前の、47年一月の福田律郎宅新年句会で発表されたものである。「荒地」派の詩人たちとは同世代である高柳重信は、寺山や塚本、大岡たちとの鼎談(「俳句研究」59年6月号)で、大岡の「『荒地』の人たちの方が詩に対」して、「〈信仰〉みたいなものを持っていた」という発言に対し、自分の場合は「〈信仰〉を持って」いたのとは違い、「信じてるふりをしなければいられなかった」から、「荒地」の人たちもそうだったはずだと述べ、「ああいう詩よりもっとつたなきもの、もっとまやかしじみたいじらしいものを、―それが俳句だったんだが―信じたふりをすることで、それでぼくを救おうとおもったわけ」だと語っている。「ふりをする」とは、なるほど、そうともいえるなというのが、鮎川と重信の作品に共感するわたしの受けとめかただった。そこには、二十代で戦時下にあった世代に共通する悲哀感があるといっていい。その重信に「海へ/夜へ/河がほろびる/河口のピストル」の句があることに、なにか、必然の繋がりを感じる。河口は、川が大海へと流れ出る場所ということで、希望や可能性を内在していると見做せるけれども、むしろ彷徨や断念の思いの暗喩が含まれていると、わたしならこの二つの句からイメージすることになる。

(句紙「夜河」第弐拾弐拾號・13.5.3)

| | コメント (0)

2013年4月26日 (金)

石渡博明 著                                   『いのちの思想家安藤昌益――人と思想と、秋田の風土』(自然食通信社刊・12.11.15)

 わたしは、安藤昌益に長年、関心を抱き続けながらも、なかなか、その著作世界へとわけいっていくことができないでいた。だが、前著『安藤昌益の世界』(07年・草思社刊)に接し、著者に誘(いざな)われるようにして昌益の思想世界の豊饒さを感受することができたといっていい。寺尾五郎以後、最高の昌益思想の導き手に出会ったというのが、その時の率直な思いだった。それから、五年余り経って、本書を前にして思うことは、著者ほど、昌益を深く理解し、信を寄せる読み手はいないだろうということだ。
 わたしの、安藤昌益への入り口は、そもそも「農本的無政府主義」(石川三四郎)や、東洋的アナーキズムといった位相からであった。もちろん、本書を読み終えても、そのことを訂正することはないのだが、著者も述べているように、わたしもまた、3.11以後のことを思えば、江戸中期の時代に安藤昌益が放った世界が、実に新鮮に、普遍性を帯びて現在においても屹立したものを包有しているということが明確になったということになる。
 わたし自身が、拘っている概念でいえば、農本(主義)的、東洋的(アジア的)ということを、反文明や反進歩・反近代といったことを、安直に象徴させたいわけではない。むしろ、人間が対自然との克服過程によって築き上げてきた科学や文明の水位といったことが、砂上の楼閣に過ぎないのではないかということを、まず疑うことからしか、人間(命あるものすべて)と自然との関係は構築できないのではないかと思っているからである。そのことによって、わたしたちの共同性全般に渡る難題は、少しずつでも、見通せることができるはずだという淡い希望があることを否定しないつもりだ。
 昌益が提示する「自然」の概念を、著者は、次のように読み解いていく。
 「昌益のいう『自然』とは、現代語の自然とほぼ同じように、人為によらずに存在するもの全て、天地宇宙の間に存在するありとあらゆるもの、森羅万象を射す言葉です。しかも、『自(ひと)り然(す)る』『自(われ)と然(す)る』『自(わ)が然(す)る』とも読まれるように、単なる物質存在ではなく、同時にその運動性・生命性が強調されている点に特徴があります。」「『自然』の語と表裏一体のものとして、昌益の思想を最も特徴づける言葉に『直耕(ちょっこう)』という用語があります。(略)『直耕』は単に農民の生産労働に限りません。宇宙の根源的実在である『活真』が天地宇宙を生み出し、その存在を日々維持しているのは『活真の直耕』によるものであり、天地宇宙が『転々』として運回し、四季を巡らせ万物を生み育てているのは『転定(天地)の直耕』だというのです。」
 わたしは、かつて生命あるもの、あるいはすべての生命態というものは循環するものだということを、発生学者・三木成夫から学んだ。その衝撃は、いまでも忘れない。前著で著書によって読み解かれた昌益の世界に接して、同じような感慨持ったことを覚えている。ここでは、「人為によらずに存在するもの」といういい方を著者がしていることに着目してみたい。わたしなりに、「人為」の意味を措定してみるならば、あらゆる生命を統治しようとする力とでもいえばいいだろうか。昌益は優れた医者だったという。だが、昌益時代に比べれば、想像を絶する進化を遂げてきた医療技術というものは、臓器移植や延命治療に象徴化させていえば、実は、いつのまにか人間の生命をコントロールするためにあるかのようになっているといわざるをえない。M・フーコーふうにいうならば、生命倫理の問題ということになる。もちろん、それは医療技術だけの問題ではない。原子力技術や遺伝子工学といったものに対しても、現在、わたしたちの疑念は確実に拡大しつつあるはずだ。わたしは、科学や様々な技術革新によって、生活水位が向上したことを安直に否定したいわけではない。リスクをともなった、やみくもな進歩は、「自然」に反することだという矜持だけは持ちたいと思っているだけなのだ。だから3.11は、自然からのひとつの警告だと考えるべきかもしれない。
 「昌益にとって最も人間らしい人間、人間らしい姿とは、自然の万物生成活動と軌を一にした、農民の姿」であると、著者はいう。もちろん、農民というのは、いまや、ひとつのメタファーとしての存在性であるから、わたしたちは、これからありうべき像(イメージ)を、作り上げていくべきである。
 昌益が理想としていた「『自然の世』とは、支配者・搾取者がおらず、人々が自然と一体となって農耕を軸に、皆一様にその土地土地に適した生産労働(農業・林業や水産業)にたずさわり、貧富の差がない、平和で平等な社会」という、いうなれば共同性のイメージを、イノセントなものとして、250年後のわたしたちは、引き受けていかなければならないと、わたしなら思う。

(『図書新聞』13.5.4号)


| | コメント (0)

2013年4月 5日 (金)

暮尾 淳 著『詩集 地球(jidama)の上で』                  (青娥書房刊・13.2.13)

 詩の他に俳句・エッセイを収めた『ぼつぼつぼちら』(05.10刊)以来、七年ぶりの詩集ということになるが、昨年、句集『宿借り』(12.5刊)を刊行しているから、幾らか空白感は埋められている。ただし、わたしは、この間、本詩集に収められている大半の詩篇は、初出誌(「騒」や「小樽詩話会」)で読んでいる。当然のことかもしれないが、いまこうして、ひとつに纏められてみると、初見時と印象が、かなり違って感じられることに驚く。
 例えば、「愚かなるアバンチュール」に、「ほろ酔いの彼女を/そこだけ暗い地下鉄駅の入り口まで送り/さようならと後ろを向いたジーパンの/お尻を思わず撫でてしまったのだが/彼女は振り向きもせず階段を降りて行き」という箇所があり、思わず暮尾淳タッチとでもいえる情景に惹かれてしまったことを覚えている。だが、最終連は、「そんな愚かなアバンチュールも/豚インフルエンザもテロも/素知らぬ顔して乗せて/いまも回っている地球に/飲み残し本醸造の/しぼりたて『ダダ』で乾杯。」(“ダダ”という銘柄の酒が、限定発売で、本当にあったのだ)となっていて、鳥瞰視線とでもいう他はない、独特の角度を射し仕入れていることに気づかざるをえない。この鳥瞰視線から見えるものは、地球(詩集名の地球に“jidama”と付したのは、鮮烈だ)の上に住まう人々であり、自分を取り囲む人たちや出来事であり、ついには、自分自身である。ではなぜ、暮尾は鳥瞰視線から、自分を見ようとするのだろうか。一見すると自己を相対化するといったことを想起しがちになるが、そうではない。鳥瞰視線によって見えるもう一つの像というものがあるのだ。それは、生者とともにあるはずの死者たちの像である。「日常性を撃つなどという詩的野心は、もうわたしにはない」(「あとがき」)と暮尾はいう。確かに、そうかもしれない。しかし、日常性というものは、撃つべきものではない、イノセントに受け入れるものなのだと、わたしなら、いいたい気がする。そのことを一番知っているのは、他ならない詩人・暮尾淳のはずなのに、敢えてそのようにいうところが、暮尾タッチなのだと、わたしは思う。
 「マレンコフが死んだと/居酒屋で聞いたが/スターリン時代の/ソビエトの首相ではなく/カラオケの世になっても/新宿の古いバーを回っていた/それが通称の/流しのギター弾きで」「飲んで話してみれば/家族には自殺者のいる人間なんて/ごろごろしていて/要するにおれは/単なる酒好きで」「マレンコフと同じ肝臓病みだけれど/それでもさいきんは/深酒には気をつけているんだぜ。」(「マレンコフ」)
 ソ連の最高指導者にありながら、フルシチョフに追放され、その後、不遇の晩年を過ごし、86歳で死んだマレンコフに似ているとして、その名をつけられた流しのギター弾きの死は、詩人・暮尾淳にとって、日常のなかのひとつの死である。それは同時に、暮尾にとっては、もうひとつの死と、さらにもうひとつの死をも喚起させるものなのだ。
 「自分の意思や善意とはかかわりなく/ただたまたま存在していたというだけのことが/ひとに害をもたらしてしまう/その生の理不尽に/ひそかにおれはおたんこなすと呟き/(略)/蕎麦屋で安い昼酒を飲んだ。」(「おたんこなす」)
 「酔って部屋に帰り/送られてきた本をぱらぱらとめくると/出口のない暗澹たるこの時代を撃つには/棍棒のような思想が必要だとあり/しかしおれにはそんな物騒な/棍棒なんて/もちろん利口棒ももう要らないよ。」(「利口棒の唄」)
 「単なる酒好き」で、「蕎麦屋で安い昼酒を飲ん」で、「酔って部屋に帰り」、地球(jidama)の上のことを想う、そんな暮尾淳の詩世界を、これまでわたしは、同じように酔い続けてきたように思う。「生の理不尽」さに気づくことは、死者を想うことから由来する。わたしたちは、時として、死(者)のことを忘れ、生(者)へと執着し、出口の見えない暗澹たる世界を彷徨することになるのだ。あるいは、こうともいえる。棍棒のような思想が瀰漫しているから、死(者)を貶めて、生(者)を優先させる。それは、地球(jidama)ではなく、地球(chikyu)からの視線(水平的な視線といいかえてもいい)だからだ。もちろん、わたしは、そんなことを、暮尾淳がこの詩集で表出しているなどと、訳知り顔で解説したいのではない。少なくとも、無意識のなかで、「棍棒のような思想」を希求してみたり、「ただたまたま存在していたというだけのことが/ひとに害をもたらしてしまう」ことを忘失してしまう自分がいることを、暮尾淳の詩世界によって気づかされたということだ。
 まだまだ、酩酊が足りないのだ。しかし、「深酒には気をつけているんだぜ」という言葉を、かみしめながらも、結局、わたしは、これからも暮尾淳の詩世界に酔い続けていくほかはなさそうだ。

(『図書新聞』13.4.13号)

| | コメント (0)

« 2013年3月 | トップページ | 2013年7月 »