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2013年3月30日 (土)

堀部茂樹 著『北村透谷 その詩と思想としての戀愛』          (七月堂刊・12.11.20)

 わたしにとって、北村透谷(1868~94)への入り口は、桶谷秀昭(評論集『近代の奈落』)であり、北川透であった。自由民権運動をモチーフとする色川大吉は、わたしにとってはやや距離があったといえる。いまから、四十年以上前のことである。本書の著者は、わたしとほぼ同世代だといっていい。当然のように、吉本隆明、桶谷、北川、菅谷規矩雄の名前に重きを置いている。著者は、「あとがき」のなかで、透谷の「『恋愛は人世の秘鑰なり』というマニフェストに瞠目し、心奪われ」、「魅せられた」と述べた後、次のように記していく。
 「ちょうど透谷と出逢った頃、奇しくも今年三月亡くなった吉本隆明の『共同幻想論』(略)が出た。『対幻想は、個体幻想と国家幻想の源泉であり結節点である』という吉本の思想は、それからの私にとって批評の思想的根拠となったが、それ以上に、生きることの根拠ともなった。それは、内なる『家族』の問題に呪縛されてきた私に、『性』と『家族』は『対幻想』の源泉であり、『対幻想』に関わる問題が、悲しみ、苦しみ、闘うに値する思想的課題でありうるのだということを教えてくれた。したがって、また、『恋愛』が、個人の恣意的なものでなく、人の宿命的な関係性を映すものであることを示唆するものであった。」
 吉本の『共同幻想論』における〈対幻想〉概念を重視する著者(あえて、付言しておけば『島尾敏雄論』という著書がある)に、わたしもまた同意するものである。だが、著者とおなじように『共同幻想論』の核は〈対幻想〉にあると述べたり、男―女における関係性、あるいは、恋愛(エロス)性といったことを論旨の基軸として強調するとなにか奇異な視線に晒されてしまうことを、わたしは、これまでしばしば経験してきた。だから、二十年に渡って書き続けられ、いま、纏められた渾身の透谷論を前にして、「その詩と思想としての戀愛」をモチーフに、展開していることを、感嘆の思いで、わたしは読み入ったといっていい。そして、あらためて、そもそも、わたし(たち)が、透谷に魅せられたのはなぜだろうかという思いに至ったといえる。
 「明治一八年、自由民権の壮士らと別かれ、二三年から詩人、思想家として、はげしいたたかいのなかを生きてきた」透谷は、「ほとんど孤独で、精神の自由、『内部生命』を牙城に、明治の思想界ぜんたいに、たたかいを挑み、刀折れ矢尽きた感があった」(桶谷秀昭)なかで、石坂ミナとの熾烈な関係性もまた、同時に抱え持ちながら、やがて自死したことに、わたし(たち)は、当時、率直に共感していたことを思い出す。それは、維新でもなく革命でもなかった薩長政権成立から二十数年経過していた透谷の時代に、戦後二十数年経過した只中で、価値転換を目指した闘いとそれに付随する日常的な関係性を苦悶しながら送っていたわたし(たち)の時代情況を、無意識のうちに重ね合わせていたからだといいたい気がする。
 「〈恋愛〉を個と国家社会の対立の埒外のこととして捉えるのではなく、生きることの根源に係わるエロスのこととして感受した透谷は、〈恋愛〉をたんなる色事から、人間の精神を構成する位相のひとつに引き上げて、追求し、表出し、表現したのだ。」「透谷は、明治維新によって崩壊した江戸幕藩体制という強力な共同性が、明治中央集権国家という新たな共同性の体制として形成される過程において、没落士族の子弟として封建的な共同性から解放され、関係意識を裂かれて、〈おのれ〉という個の意識を〈病〉として抱えて、都市に流浪し始めた近代の典型だった。」「透谷の『恋愛』と『恋愛思想』とは、結局、何であったのだろうか?『体験としての恋愛』において、『我と汝』の融合する賛美するべき『至上の体験』の至福を感受したことは事実であったが、そのことから透谷が『恋愛至上主義者』であったことはない。透谷の『体験としての恋愛』が、『理想としての恋愛』となり、挫折し、経験化されて行き着いた透谷の『恋愛思想』が『恋愛至上主義』ではなかったことは明白であり、それは、『牢獄ありて後の恋愛』すなわち、『引き裂かれた魂』の『半魂』との合一・一体化への希求であり『恋愛の不可能性』の意識であった。(略)さまざまな誤解・曲解されてきた透谷の『恋愛』と『恋愛思想』を巡る詩と思想の営為が、透谷の〈引き裂かれた精神〉、〈引き裂かれた魂〉の軌跡を示しているということだ。」
 丹念に透谷作品に向き合いながら、その作品の深部を切開して、透谷の内面世界を照射していく著者の視線の行く立ては、「江戸幕藩体制という強力な共同性が、明治中央集権国家という新たな共同性の体制として形成される過程」のなかで、「関係意識を裂かれて」いく透谷像であり、恋愛を巡る精神の軌跡が、「引き裂かれ」ていく透谷の有様である。著者に導かれながら、わたしなりに透谷を描像していくとするならば、関係性(共同性)のなかで、絶えず苦悶しながら生き急いだ思想家だったということになる。幕藩体制から明治近代という擬制の社会で、「生きることの根源」として、まだ、未明の恋愛という感性を自らに強いたことは、透谷にとって、ほとんど、悲痛なる宿命だったといっていいかもしれない。

(『図書新聞』13.4.6号)

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2013年3月22日 (金)

つげ義春・原作、山田勇男・監督                     『つげ義春の蒸発旅日記 ディレクターズカット版【DVD】』  (ワイズ出版発売・ベンテンエンタテイメント販売・12.11.16)

 つげ義春が『夜行 No.10』(81年6月刊)に発表したエッセイ「蒸発旅日記」を基層にして、漫画作品「初茸狩り」や「西部田村事件」などの挿話を織り込んで、寺山修司作品の美術担当でもあった山田勇男が監督した作品(公開は、03年7月。05年8月、初DVD化)のディレクターズカット版である。特典映像として、つげ義春の撮影現場訪問が付されている。 
 映画は主人公・津部を演じる銀座吟八の抑制された演技、ストリッパー役の藤繭ゑの際立ったエロス性、津部が結婚しようと会いに行った看護婦役の秋桜子の存在性、それらが響音しあうかのように、中心となる人物たちが、夢のような世界をリアリティ溢れる存在として活写されていく。
 わたしは、公開時に劇場で見ただけで、その後のDVD映像も見ていなかったので、じつに十年近い空白の時間をもって再見したことになる。映画というものは、不思議なもので、最初見たとき印象深いと思われる場面も、再見時になにも感じないことがあるし、逆に、なにか冗満だなとおもわれるカットが、深い意味合いをもって迫ってくるということがある。本作において、たびたび水面が揺れるカットが挿入されている。それが、今回、DVD作品では、彷徨(蒸発)する主人公(津部)の心象を効果的に表していると率直に感じることができたのだ。たぶん、カメラのフォーカスが揺れる雰囲気を繊細に捉えているからだと思う。このことは、全編を貫いている基調だといっていい。監督の山田勇男は、清順映画の美術監督・木村威夫の色調を見事に映像美として展開していく。ただし、それが、どこか抑制気味に描出されることによって、ポエジーのようなものが滲み出ているといえるのだ。わたしの勝手な憶測を述べるならば、そもそも、山田がつげ義春という表現者に仮託しているものは、映像詩的世界ではないかという気がする。
 「映画の津部さんは、つげさんだとぼくは思っていますからね。そして、津部さんであるつげさんは、わたし自身も投影しているんです」(『幻燈 No.4』02年10月刊)と、山田はインタビューで答えている。これまで、山田以外、竹中直人、石井輝男、山下敦弘らの監督によってつげ義春の原作は映画化されているが、確かに、山田が語るように、つげ義春―映画の主人公―監督という連繋を辿ることができるのは、この『蒸発旅日記』以外ないといえるかもしれない。
 「わたしが今までつくってきた映画の方向性というのは夢の感覚のリアリティみたいなものですから」とも前出のインタビューで山田は述べている。一見、矛盾するかのような「夢の感覚」と「リアリティ」という言葉の繋がりは、まさしく、つげ義春の一連の「夢作品」にも通底するいい方だと思う。「リアリティ」が「現実」と直訳するような地平からは、つげの「夢作品」を理解することはできないとわたしなら考える。じつは、「夢」と「リアリティ」が表裏のものであることを知ることによって、わたしたちは、はじめて存在していることの「感覚」を掴むことができるからだ。それは、この映画作品が、彷徨していく主人公像を極めてリアリティある場所(鄙から都会へと空間性は拡張していく)に象徴化させていることで、切実な示唆を包有することに繋がっていく。つまり、こういうことだ。十年というこの間の時間性は、ますますわたしたちを彷徨える存在として強いてきたことを、この映画がいま、暗喩していると見做すことができるのだと。

(『図書新聞』13.3.30号)

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