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2012年12月23日 (日)

石関善次郎 著『吉本隆明の帰郷』(思潮社刊・12.8.25)

 著者には、吉本隆明の生地である月島から、最後の場所となった本駒込までの11回の転居跡を辿った生活史的評伝といえる著書『吉本隆明の東京』(05年刊)がある。本書は、前著と同じようなかたちで、吉本の父祖の地・天草を訪れて、始原の、あるいは、未生の吉本隆明とでもいえるものを描出したものだ。よく知られているように、吉本が述べていることだが、父は郷里の天草で造船所をやっていたが、不況で、「借金を返せず、ほとんど夜逃げ同然で、東京へ来た」ことになっている。吉本がまだ、母親の胎内にあった時で、1924(大正十三)年4月のことだ(その年の11月に吉本は誕生している)。やがて祖父母、両親、兄弟四人(その後六人となる)という大家族の生活が始まっていく。
 わたしは、七十年代の初めに、熊本にいる友人を訪ねる途中で、一度だけ天草の地に立ったことがある。もちろん、吉本にとって本当の意味での故郷だと知ったからだ。夏だったこともあり、澄み切った空と海の印象が、いまだにイメージとして、忘れずに残存している。
 著者によれば、吉本は、天草を63年と80年に二度訪れているという。63年の時は単独で訪れ、事前に父親に訪ねるべき知人、場所を聞いていて訪問したという。二度目は、当時、雑誌「野性時代」に連作詩篇を連載していて、その取材のため、妻・和子ら編集者たちが同行していたためか、親戚や縁者を訪ねていないようだという。ただし、この連作詩篇は、後に詩集『記号の森の伝説歌』(86年刊)としてまとめられていくのだが、「多く吉本隆明の父祖の地、天草を〈伝説〉の舞台にしてい」て、「いわば、魂の還るべき場所を尋ねる作品と分かる。〈私〉をさかのぼり、未生以前の世界をたどる。〈想い〉は言葉に託されて〈伝説歌〉とな」っていると著者は、述べていく。確かに、いわれてみれば、魂の母型のようなイメージが全篇を貫いていると、いまあらためて、思い返すことができる。
 天草下島の北端、苓北町志岐が吉本家の本籍地であった。著者は、真っ先に当時、「夜逃げ」を手伝った隣家の住人に会って話を聞き、吉本家の在った場所を特定していく。さらに著者による精緻な調査していく様は、まるで推理劇を彷彿させるかのようだ。
 なぜ、天草には造船所が多くあったのか、また、なぜ吉本家が造船所を営むことになったのか、なぜ、借財をつくっていってしまったのかという、それらの経緯を仔細に調べ上げていく。
そして、吉本の祖父母、両親とも、最後まで天草に帰郷することがなかったことの事由が、著者の解析によって、僅かながらも浮き上がってくるのだ。
 「隆明は、ほかの兄弟と違って自分だけが暗いのは、『夜逃げ』と、それに続く一家の苦労のどん底で生まれたからだと語る。(略)母に手を握られるのは嫌だった――母の忌避は、そのまま、母性との交流不可能性、あるいは母性の〈拒絶〉につながる。〈島を出る〉という関数でとらえるとき、母についての記憶は、このように〈拒絶〉につながっていくのに比べ、父・順太郎についての記憶=父の挫折は、(略)希望につながって揺るがない。挫折を超えて、いな、挫折者であることがそのまま父への尊敬となっていくのは、驚嘆すべきことだ。」
 母への拒絶、父への尊敬というアンビバレンツな吉本の感応は、否応なしに天草への郷愁感を抱くことと無縁ではないはずだ。
 著者は、谷川雁に触れた吉本の文章の中で、天草について、「白色光がまばゆく輝き、水面に乱反射してまるで異世界の豪華な白色光の中にいるような感じの明るさだった。ああこれが日本列島(ヤポネシア)の南西部における『海上の道』の彼方に描かれた柳田・折口のユートピアに至る想像上の道筋かと思った。(略)わたしはどうやらこの父祖の地を訪ねて、他界のまばゆい白色光の世界まで見せられたらしい」と述べている個所を引きながら、「まるで〈他界〉のようなその〈場所〉が、島と海と、そして天草に触れて語られてあることに、感慨を覚えずにはいられない」と記していく。それは、著者の、吉本への誠実なまなざしであり、自身もまた、天草という場所に感応したからこそ、述べることができるはずだと、わたしには思われる。
 本書は、天草をめぐってのものを中心に据えながら、もうひとつ、外伝的な論述が後半に配置されている。吉本は、敗戦時、徴用動員として魚津にいた。その頃のことを現地に行って調べていく。当時、吉本が仲間と立山の称名ホテルに宿泊したことを記した文章が、編集者・岩淵五郎の追悼文にあることに着目しながら、岩淵の足跡を追っていくことになる。そして、吉本と岩淵がクロスしていく場所を次のように述べていくのは、圧巻だ。
  「隆明が岩淵五郎を『大衆』と定義するとき、隆明には、この国家を超える大衆の像が意識されていたことは間違いない。(略)隆明が〈大衆〉と『共同幻想』を論じて、男女の〈家〉、『対幻想』のありように注視し、市民としての個人ではなく『対幻想』をこそ自立の拠点とみなしていることに思い至るのだ。」
 始原の吉本を胚胎する天草という場所と、戦争期における吉本の時間性が、一体となった本書は、またあらたな吉本像を開いてくれたといっていいはずだ。

(『図書新聞』13.1.1号)

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