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2012年1月 1日 (日)

イマヌエル・カント 原著、早間央 訳・監修、北澤睦世 構成『超訳 カント――時代を照らすカントの言葉』(マーブルトロン発行、三交社発売・11.11.25)

 わたしが、カントという存在を最初に意識したのは、埴谷雄高によってだった。埴谷が戦前、獄中でカントの『純粋理性批判』に出会って衝撃を受けたことを知ったからである。それでも、カントを積極的に読んでみようという思いは、残念ながら湧きあがらなかった。カントにそれなりに向き合おうと考えたのは、フーコーを通してと『永遠平和のために』という著作に接してからということになる。フーコーは、最大限、カントを評価しているのが、『言葉と物』での、次のような言説によって理解できるといっていい。
 「〈人間学〉は、カントからわれわれまで、哲学的思考を律し導いてきた基本的配置をおそらく構成する。その配置は、われわれ現代人の歴史の一部となるがゆえに本質的なものであろう。」「カントの批判哲学が哲学にたいする任務として指定した有限性の思考、こうしたすべてのものは、なおわれわれの反省の直接的空間を形成している。われわれが思考するのはこの場所でなのだ。」 
 実は、この『言葉と物』がそうであるように、和訳される思想・哲学書の多くは、読みづらさを払拭できないのを宿運としているかのようだ。詩文などは、訳者によって随分イメージが違ってくる場合があることなど、こと翻訳書を一方的に享受する側は、訳語によって、正確に著者の真意を理解することを放棄しなければならないことになる。とはいえ、ただ訳と表記されている場合や反訳、そして超訳とそれぞれにどのような差異を発生させているのかは、原書にあたって、自ら翻訳を手がけて見ない限り、正確なところは分からないはずだ。ただし、未知の著者や著作の入り口としてなら、どのかたちで翻訳されたものでも、格好のテクストだといえなくもない。
 本書の訳者は、「ただただ難しい、長文で読みにくいと敬遠されているカントの言葉たちを、まず素直に多くの皆さまに伝えることが仕事だとして、和訳作業を試みた」と述べている。箴言集のようなものが、ある意味、深い理解を与えることを考えてみれば、著作のエッセンスを集めた本書のようなかたちも、カントの世界を浮き立たせるひとつの方法だといえると思う。
 『啓蒙とは何か』、『人倫の形而上学の基礎づけ』、『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『世界市民という視点からみた普遍史の理念』、『人間学』、『判断力批判』、『永遠平和のために』、『人類の歴史の憶測的な起源』等々、カントの著作をほぼ俯瞰できる視線を射し入れている。全12章(それぞれに「啓蒙」や、「感性と悟性」、「考えること」、「人間とは」といった章題があり、各章ごとに訳者の的確な解説が付されている)に分け、標題を冠した155項目の言葉群が配置されている。例えば、61項目では、「考えごとをしながら食べるな」という標題のもとに、「たったひとりの食事はよくない。/物思いにふけりながら孤独な食事をしていると、/しだいに快活さを失う」と『人間学』から訳出されている。当たり前の「食事」のことが哲学的言辞となることに戸惑いを持つかもしれない。だが、「ひとりの食事はよくない」ということをさらに、敷衍させていけばフーコーが、『人間学』の「食卓を囲む集い」という概念に着目して、「誰も自分が特権的だとか孤独だとか感じることはなく、話をする者もしない者もみな語られる言葉の主権に共通にあずかる」(『カントの人間学』)ことのできる、国家でも家族でもない場所として措定していたことに通底し、それは、共同的関係性の初源のかたちへと遡及させて、わたしたちを喚起させてくれる。だから、57項目の引例のように「哲学者とは、人生の中に題材をみつける/知恵の探求者」であるならば、「食事」は、最も人間的であり、人生そのものということになる。
 このようなかたちで、カント哲学の基調を本書から汲み取とることができるのは、僥倖なことである。
 もう少し、本書の中に分け入ってみるならば、5項目の「たとえ革命で独裁者は倒せても、/市民ひとりひとりの考え方まで変えることはできない」ということを反照させて、「市民ひとりひとりの考え方を切実に汲み入れない限り、革命は達成されたことにはならない」と、わたしなら解読してみたい。これは、読み手を直截に喚起させていることになる。以下、幾つか例示してみる。
 「責任と義務を果そうとするなら、/私情や欲望から離れ、/他人の立場で考えることだ。」(27「責任と義務を果す方法」)、「常識にとらわれた人の話は、一般論や聞きかじりの知識でいっぱいだ。/話はいつのまにか、単なる幻想の領域にはまりこむ。」(49「知の暴走」)、「自然は、人の目的のためにあるのではない。/人は、自然の目的のためにあるのだ。」(134「自然の尊厳」)、「生まれつきの不幸より、/人の尊厳を踏みにじる不正を責めよ。」(148「不幸を憎まず、不正を責めよ」)
 訳者は、カントを「とても愛情深く、人に備わった『正しい心』を信頼し、人が進むべき正しい『人の道』を説いた」とし、カントの考える「義務」とは「社会の規約によるものではなく、ひとりひとりの人間が自らの意志で生み出していく永遠普遍のものと見なしていた」と捉えていく。このようなカントの思考世界が、二百年以上前の言葉群にも関わらず、いまだにアクチュアルに満ちていることに、わたしたちは驚嘆すべきである。

(『図書新聞』12.1.1号)

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